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zoom RSS なぜ19世紀のマルクスの古典を学ぶのか

<<   作成日時 : 2010/10/09 18:17   >>

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 『経済』11月号が、「資本主義って何? マルクスの眼」という特集をくんでいます。まだ1本を摘まみ読みしただけですが、タイムリーな特集だと思います。マルクスと『資本論』がなぜ注目されているのか、なぜ学ぶ必要があるのか、最初に読んだ一本にそのことを考える視点が述べられていました。
画像 往復書簡=内田樹/石川康宏「もしマルクスが生きていたら」です。以前に両者著の『若者よ、マルクスを読もう』について感想を書き込みましたが、その著についての「往復書簡」です。
 参考 http://f-mirai.at.webry.info/201006/article_13.html

 本書の書簡は内田樹氏が先で、石川康宏氏が後なのですが、石川康宏氏の書簡の一文から紹介します。

 「読者のみなさんの中には、二一世紀になる今日、なぜ一九世紀の古い古典を読み、研究する必要があるのかと疑問に思われる方もあるかもしれません。その種の問いに対して私は、こう答えることにしています。
 当時の現実に立ち向かったマルクスとエンゲルスの真剣な姿勢と分析の深刻さを肌で学び、二一世紀の現実世界に立ち向かう自立した精神と変革者としての気概、あわせて現実を分析させる理論的な導きの糸を得ること、そこにこそ古典を学ぶ重要な意義があると」。
 ぼくも一九世紀の「個別的・具体的な政治的主張」を、そのまま現代に持ち込むことには反対で、その「主張」を導いた「ものの考え方、とらえ方」を汲み取ることが大切だと思っています。

 これを先に紹介すると結論が出たもののようですが、言葉でなく、「ものの考え方、とらえ方」を掴むことの重要性は深める必要があります。
 内田樹氏の一文を紹介します。

 マルクスが今そこにある現実を論じている時代にマルクスを読む時の仕方と、マルクスが論じている現実がもうそこにはない時代、かなり深い理解力と洞察力がなければ、自分たちの現実がマルクスが論じていた現実と、本質的には同じものだということがわからない時代においてマルクスを読む仕方はずいぶん違うものにならざるを得ない。僕はそう思うのです。

 足元をかなり深く掘らないと、マルクスの本質的な歴史的理解、社会理解、ひろくは人間理解に手が届かない。
 だから、「マルクスを勉強する仕方」そのものが様変わりしなければならない。僕はそう思います。


 けれども、マルクスがその個別的・具体的主張をなすに当たって採用した「ものの考え方、とらえ方」は有効性を失っていない。

 「マルクシスト」でない内田樹氏の「マルクシアンの道」としての語りを興味深く読みました。

 それにしても、両者が共に、マルクスが読まれていない現実を指摘しています。だからこそ、『若者よ、マルクスを読もう』を発刊されたのですが。
 私は、教条主義も「紙型」主義も大嫌いなので、石川康宏氏の視点で読むようにしていますが、なかなか現実的場面での活用にまでは至っていません。

 最近、マルクスが注目される中で逆の動きも起こり始めています。中には、読みこなしてもいないだろうに、ただ一九世紀の「古い」というだけで批難している人もいるようです。
 「古典」を学ぶとはどういうことか、いま一度考える必要がありますね。「古典」とは、マルクスだけじゃありません。先人から何を学び、克服し、現実にどう活かしていくのかが問われていると思います。

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