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未来 ― 私達の力で歴史を動かそう!

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未来 ― 私達の力で歴史を動かそう!
ブログ紹介
  〔小林多喜二の最新情報と交流の広場は下記へ〕
  • 21世紀の小林多喜二への手紙。

  •   〔2012年多喜二祭情報〕
    ・2012年2月18日 大阪多喜二祭(予定)
    ・2012年2月20日 小樽墓前祭
    ・2012年2月21・22日 小樽小林多喜二国際シンポジウム
      〔ピックアップ〕
    ・「多喜二の火を継ぐ大阪多喜二祭08&09年報告集
     申し込みは、治安維持法国賠同盟大阪府本部まで
     TEL/FAX 06−6772−7555
     一冊500円送料80円(申し込み後、報告集と振込用紙を同封)
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    読書コメントも難しくなってきた

    2012/01/24 19:34
     最近は、簡単にコメントできるフェイスブックへの書き込みで済ましているため、このブログへの書き込みが減ってしまった。ブログには、ブログの発信力があるので、必要だと思うが時間がなくなる中で、両方は難しい。興味のある人は、フェイスブックへの登録を。

     かつては読んだ本の概ね8割に対して、書評を書いていたが、多忙のなかで中断している。今年に入って、フェイスブックに読んだ本の短いコメントを書いているが、これもそろそろ限界になってきた。
     それでも、読んだ本の中には、その真意を深く検討しなければならないものがある。

     マルクスの「論文『プロイセン国王と社会改革― 一プロイセン人』(『フォルヴェルツ!』第60号)に対する批判的論評」(『ME第1巻』)は、現代にも読みごたえのある論文だ。これからの運動を展望しながら、今後も考えてみたいと思っている。


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    大阪多喜二祭「前夜祭」 1月28日

    2012/01/15 17:35
     2月18日の大阪多喜二祭に向けて、毎年恒例の「前夜祭」を1月28日に開催する。参加者が主人公の「前夜祭」も定着し、すでに30名を超える参加者(出演者?)が登録済みだ。
     今年はゲストにオダサク倶楽部主宰の井村身恒さんを招き、ミニ講演「小林多喜二と織田作之助」をしていただく。大阪「多喜二サロン」にもお越しいただいたが、「小林多喜二と織田作之助」をテーマに語るというのは、これまでにないことだろう。
     また、清水ただしさんや渡辺武さん、藤永のぶよさんをはじめ、日航不当解雇原告団のKさんにも参加いただく。日航の不当解雇裁判の判決が3月末に言い渡される。Kさんとは1月5日にも固い握手を交わしたが、ぜひ訴えを聞いて欲しい。
     もちろん、第2部の司会は、ケイ・シュガーさんだ。私は、この日京都に行っているが、間に合うように大阪に帰ってきたい。

    大阪多喜二祭「前夜祭」

    日 時 1月28日(土)午後6時半〜

    場 所 ねむかホール(谷町6丁目)

    参加費 500円


    問合せ 治安維持法国賠同盟大阪府本部
    06−6772−7555
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    今井正の映画「小林多喜二」上映

    2012/01/09 05:30
    画像 今井正の生誕百年を機に「シネ・ヌーヴォX」(大阪市西区九条)が、1月中今井正の映画を上映している。
     映画「小林多喜二」も、1月16日(月)20:50〜、18日(水)9:50〜、19日(木) 17:05〜、20日(金) 20:50〜、21日(土)9:50〜、上映される。
     詳しくは
    http://www.cinenouveau.com/sakuhin/imai/imaische.html
     をご覧いただいたい。
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    三日間の読書三昧

    2012/01/03 16:07
     ここ数年、1月1日から3日まで同じ生活パターンだ。とはいえ、読書タイムが私のリフレッシュ時間だから、最高の休養でもある。
     今年も、1日に義姉家族との新年会に出かける以外は、読書タイムと晩酌タイムのみ。そして、早寝早起きを心がけ、健康的な生活を過ごした。

     計画どおり、『マルクス=エンゲルス全集』第1巻を最初から読み始め、「序文」、マルクス「プロイセンの最新の検閲訓令にたいする見解」「シュトラウスとフォイエルバッハとの審判者としてのルッター」「第六回ライン州議会の議事 出版の自由と州議会議事の公表とについての討論」「歴史法学派の哲学的宣言」まで。
     『日本プロレタリア文学集』11・「文芸戦線」作家集Aを開いて、鶴田知也「海鳴り」「牧場を逐われて」「シベリアから返って来た手紙」を読んだ。
     『マルクス=エンゲルス全集』と『日本プロレタリア文学集』は、いつ読み終わるか分からないペースで読み続けるつもりだ。

     『資本論』は、宮川實訳宮川彰監修『学習版 資本論B』を第10章から13章第3節まで読んだ。この「学習版」の出版ペースが遅いので、これぐらいのペースでも早いくらいかもしれない。

     あとは、川上弘美『川上弘美』西谷正『坂田昌一の生涯』平田直・佐竹健治・目黒公郎・畑村洋太郎『巨大地震・巨大津波 東日本大震災の検証』を読んだ。
     『巨大地震・巨大津波』は、3・11以前の地震・津波の科学的認識の到達点と、3・11東日本大地震以降の研究態度などについて書かれ、興味深かった。これらの科学者の姿勢とは明らかに異なる、東電の「想定外」との破廉恥な無責任ぶりや、科学的検証をしようともせず原発再稼働を企む政府の無責任な姿勢に改めて怒りを感じた。

     明日からは、また通常の暮らしが始まる。仕事と労働運動の合間に読書でリフレッシュすることにしよう。明日からは、えらい評判になっているナオミ・クライン『ショック・ドクトリン』を読む予定にしている。買い込んでいる本は何十冊とあるから、朝起きたら気が変わるかも知れないけど(笑)。
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    西谷正著『坂田昌一の生涯』

    2012/01/03 11:47
     西谷正著『坂田昌一の生涯―科学と平和の創造』を読んだ。最初に記しておくが、西尾成子著『科学ジャーナリズムの先駆者 評伝石原純』と併せて読まれることをお薦めする。

    画像 石原純の著作を通じて物理学を専攻した科学者は多いが、坂田昌一はその一人であるばかりでなく、科学と社会、政治との関わり方など、「科学者」「人間」として一貫して生きた点にも、二人には大きな共通点である。
     二人の生き方・考え方から学ぶことは多い。私たちはその精神を一層発展させていくことが必要だ。二人が単に科学だけの発展を願ったのではなく、科学者の社会的責任を自覚し、行動し続けたのは、そこに科学的な考え方「哲学」がある。何よりも自然哲学、自然弁証法、唯物弁証法を実践する立場にあったからだろう。

     自然には階層性があり、それは自然の発展の中で作られ、生物、人間、社会もその発展の中で作られたものであるから、社会科学は現代自然科学が対象としているいろいろな階層と同じ系列上にあるねのを対象としている点において、同質性があると共に独自の法則がある、つまり、社会の発展法則を明らかにしたマルクスの資本論は、ニュートン力学、量子力学と同格であり、このような自然の階層性を基礎とした弁証法的自然観を背景として、はじめて科学の論理をとらえ、科学の将来に全体的な計画を樹てうる、と論じる。

     大学の中ではすべてを疑う精神が育まれているが、外へ出た人はとかく流れに押し流されて、いわゆる批判的精神が失われている。大学で学んだことの中でもっとも大事なのは、批判的精神を身につけて失わないということだ。

     以上の引用は大切な点を示している。いまの社会を批判的精神をもって科学的指針をもって行動するためにも、弁証法的自然観を身につけ、社会科学を学ぶ必要がある。『自然の弁証法』や『資本論』などの学習が不可欠なゆえんだ。
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    2012年2月18日 大阪多喜二祭

    2012/01/02 10:22
    画像
     大阪多喜二祭も今年で6年目。チラシが出来たので紹介するが、これは「不屈」用で、本チラシには「不屈」の印刷はない。年末ギリギリに間に合わせたので、これからチラシを普及する予定だ。

    多喜二の火を継ぐ「大阪多喜二祭」

    日 時 2012年2月18日(土)午後2時開会
    場 所 クレオ大阪東ホール
    第一部 多喜二追悼の抒情歌/清水紫さん
    第二部 記念講演「人間の健康・多喜二・人間的復興」(仮題)
         日野秀逸さん
    資料代 1,000円
    主 催 大阪多喜二祭実行委員会
    連絡先 治安維持法国賠同盟大阪府本部
          06−6772−7555
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    2012年の幕開け

    2012/01/01 09:14
     新年明けましておめでとうございます。

     旧年もお世話になりましたが、今年もよろしくお願いします。

     2012年は、ますます変化、激動の時代になることが予測される。「いまの政治を変えてほしい」「くらしを良くして欲しい」という国民の思いはますます切実になっている。自公政治も民主党政治も、この国民の立場に立たない政治であることが、国民の目にも見えるようになっている。
     しかし、それに代わる政治への展望が見いだせない状態にもある。悪政の元凶、資本主義の根本システムが社会矛盾と政治混迷を生み出していることを国民の目に見えるようにしなければならないだろう。

     「1%の彼らに私たち99%の未来を決めさせない」というウォール街占拠運動の宣言を活かし、なぜ1%に富みが集中するのか、それを改めるためにどうすればよいのか、私たちの連帯した運動が必要なことを、みんなで確認していることが必要だ。
     同時に、国民が「政治への展望が見いだせない」もとで、ウソと誤魔化しによって「改革者」を装いながら、さらに一部の富める者だけが富める社会へと導こうとするファシズムの台頭を許してはならない。

     今年は、しっかりと学習し、現実社会を分析し、実践することによって、未来への展望を拓く年にしたい。もちろん、多くの仲間とともに一緒にすすみたい。
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    12月の読書

    2011/12/31 17:22
     昨日、今年1年間の読書について書いたが、本日は12月の読書について。
    今年の後半はレーニンの本を意識的に読んだが、今月は国民文庫のレーニン著『マルクス=エンゲルス=マルクス主義』(全三巻)を批判的に読んだ。『唯物論と経験批判論』や『帝国主義論』など数多くの功績があるレーニンが「革命論」で一面的な論を強硬に展開したのか(晩年、修正しているが)。科学的社会主義から逸脱する者との論争の繰り返しが、激烈になり勇み足を招いたとの感さえもってしまう。外なる敵と内なる敵といえば、言い過ぎになるかもしれないが、内外の敵との論戦の多いことが災いしたのか。もう少し、レーニンの書を読みながら考えてみたい。
     鰺坂真さんの『科学的社会主義の世界観』を読み返したが、「物の見方・考え方」、唯物論的弁証法を誰もが学び直す必要を痛感しているからだ。あまりにも哲学が語られなくなり、体系的な哲学の本の出版さえない今日を危惧せざるを得ない。哲学者の集団的英知を集め、体系的な入門書をつくるべきだと思うが、そのような状況にないようだ。
     マスコミを使った「大本営発表」が氾濫する中で、国民が真の敵にたいして立ちあがるには「学習」が欠かせない。来年は、狭い領域ではあるが、学習活動にも挑戦する予定だ。
     12月の読了は以下のとおり。

    画像レーニン 『マルクス=エンゲルス=マルクス主義』(1)国民文庫
    樫本喜一編 『坂田昌一 原子力をめぐる科学者の社会的責任』
    竹本賢三 『原発小説集 蘇鉄のある風景』
    太田昌克 『「核の今」がわかる本』
    自由報道協会編 『自由報道協会が追った3・11』
    大谷昭宏×藤井誠ニ 『権力にダマされないための事件ニュースの見方』
    マーカス・チャウン 『宇宙誕生』
    連合通信社編集部 『原発闇社会』
    レーニン 『マルクス=エンゲルス=マルクス主義』(2)国民文庫
    画像鰺坂真 『科学的社会主義の世界観』
    レーニン 『マルクス=エンゲルス=マルクス主義』(3)国民文庫
    POSSE vol.11 『「3・11」が揺るがした労働』
    福島県九条の会編 『福島は訴える』
    雇用のあり方研究会 『ディーセント・ワークと新福祉国家構想』
    粟野仁雄 『ルポ 原発難民』
    シェイクスピア 『ヴェニスの商人』(岩波文庫)
    森 浩一 『倭人伝を読みなおす』
    前泊博盛 『沖縄と米軍基地』
    中村邦生編 『この愛のゆくえ』(岩波文庫ポケットアンソロジー)
    栗原幸夫 『わが先行者たち』
    レーニン 『一歩前進、二歩後退』
    霜田正次 『文学と現代』
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    2011年の読書

    2011/12/30 17:37
     2011年も明日で終わり。今年は、昨年から続けたヘーゲル弁証法の学習をなんとか計画どおり終わらせ、古典学習にこだわり続けた。今年は230冊を読了したが、3月以降、原発や大震災関連の本を漁ったので、自然科学や文学の分野が少なかった。

     来年は、自然科学や文学を今年よりも多く読めればと思っている。ただ、古典を摘まみ読みしているだけでなく、マルクス=エンゲルス全集を第一巻から読み進めようかとも考えている。10年以上かかる挑戦になるので、持続できるかどうかの自信はまったくないが、何事も挑戦だ。

     『資本論』は、繰り返し読み続けたい。読む度に新しい発見があるし、思考訓練にもなる。今年はヘーゲルの弁証法を学習したあとだけに、『資本論』がいかに弁証法を駆使して書かれているかがよくわかった。「導きの糸」にしたいけど、それほどの能力はないので、読むだけでも愉しみたい(笑)。
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    2011年、そして来年

    2011/12/29 18:02
     2011年も残すところあと2日と数時間だ。今年は大きな事件(問題・課題・転機)があった。

     その第一は何といっても、東日本大震災・大津波と福島原発事故だ。これまでの認識を改めなければならないほどの大事件であり、転機でもあり、今後の課題を与えられた。
     東日本大震災は、自然の威力をこれほどかというほど知らしめた。しかし、こうした自然の威力は、これが初めてでもなければ、これが最後でもない。これからも起こることを前提にした認識と行動が求められている。
     同時に、日本の政治が行ってきたことは、こうした災害時に人命を助けるのではなく、犠牲を増幅する政治だったことを明らかにした。効率化の名のもとに進められてきたことが、災害時に人命救助をはじめとした最も大切にすべき人間を疎かにしてきたことが浮き彫りになった。自治体機能の縮小(役所数や職員の減)は、救援・復旧に著しい遅れを招くなど、現在も支障をきたしている。病院の統廃合は、救助や救命に支障をきたし、救える命さえ救えない事態を招いた。数え上げればキリがないほどだ。
     福島原発事故も、人の命よりも経済を優先する資本の論理を浮き彫りにした。ウソやヤラセなど、資本の論理と原発を推進した政治の醜悪さ、露骨さを明らかにした。そして、原発と人類は共存することはできず、原発をなくすことでしか解決できないことを知らしめた。

     転機の第二は、10月に職場復帰したことだ。これまでの生活スタイルを元に戻すことだといえば、それまでだが、そんな簡単なことではなかった。2年間に蓄積した疲労を回復させる間もなく、体調不良とたたかいながら、ダブル選挙があった。ダブル選挙については、別途論及しなければならないと思っているが、ここでは長くなるので省略する。
     ただ、休みなしに働いた2年間に比べ、週休日に少しは休み日を確保しながら(本当は当然のことなのだが)、体調回復に努め、少しは良くなっている。
     職場復帰以降のことについては、また書く機会があると思うので、ここでは省略する。

     この1年間を振り返って思うことは、人間の暮らしを犠牲にする資本主義のシステムが、政治への不信という「資本にとっての困難さ」を持ちながらも、依然として貫かれていることだ。
     政権交代後も、東日本大震災後も、資本は自らの儲けを増殖するために、政治と御用学者をフル稼働して、飽くなき利潤追求にまい進している。
     このシステムは、「社会的に強制」されない限り、歯止めがかからない。その「強制」を行わない政治への不信といら立ちが、「破壊者」でありながら「改革者」を装った橋下・維新の会への支持へと結びつく結果を導いている。1930年代にヒットラーが台頭したこと現象とよく似ている。
     そこに向かわないためにも、人々の暮らしを苦しめている原因を明らかにし、その解決策を示し、具体的に行動することが求められている。ただ「独裁ノー」をいうだけでは、国民に展望を示すことはできない。
     「貧困」が可視化される状況をつくったように、今日の閉塞感の元凶を可視化し、その解決に向け行動することが解決の道であることを可視化させなければならないだろう。そのためには、日々の粘り強い行動の積み重ねが重要だろう。

     最後に。
     多くの国民は、「いまのままではいけない」と確実に思っている。「政治を変えて欲しい」と願っている。そんな人々に、真実を知らせ、その解決法を共通認識にすることができれば、政治を変えるエネルギーに転化できる日がやってくる。その可能性が高まっている一面も確実に存在する。来年こそは、そんな転換期を拓こう。
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    義母の調子悪し

    2011/12/13 22:17
     毎晩、毎晩、会議や集会などで遅い日が続いている。そんな中でも、今日は大阪多喜二祭の準備。これまでの賛同者にチラシなどを送付した。回を重ねるごとに賛同者が増えるのは嬉しいが、発送作業も増えるので大変ではあるが・・・。
     帰ってきたら、義母の調子が悪いと連絡があったとのこと。急を要するとかいうことではないが、元の病院に戻ったそうだ。明後日から妻が様子を見に行く予定。私は予定どおり25日〜26日に行ってくる。慌ただしい年末になりそうだ。
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    一人ひとりの人間が尊重されることが当たり前の社会へ

    2011/12/09 23:29
     今週はハードだった。寒波も堪えた。身体は弱いけど、意志が強固だから(笑)、ついつい無理をしてしまう。家に帰ってから、いろいろな情報をチェックするのをやめて、そそくさと寝ればいいのだけど、ついつい様々なサイトを調べてしまう。でも、世の中を見渡さなくて、運動の方向を見定めることはできない。
     職場復帰したとたんに情報量が激減する。単組の報告を聞いているだけでは、情報不足になる。これをなんとかできないかな〜。

     昨日は、大阪争議団の支援総行動だった。休みを取って丸一日参加した。不当な解雇や、一方的な賃金引き下げ、労働条件引き下げなどの不当労働行為があらゆるところで行われている。
     憲法にも労基法にも明らかに違反している。裁判でも断罪される不当労働行為は後を絶たない。

     こうした解雇や使い捨て労働、人間の尊厳さえ奪う不当労働行為を絶対に許してはならない。なのに、こうした労働者への不当な行為を、「民間では当たり前」などと嘯き、競争に勝ったものだけが生き残れるような社会へと導こうとする橋下・維新の会のやり方は絶対に許されない。
     安定雇用、健康で文化的な生活ができる賃金と働くルールの確立こそが「当たり前」の社会を実現しよう。そのために、すべての労働者が何度も何度も立ちあがらなくてはならない。
     この「何度も何度も立ちあがること」が明日の展望を拓く道だろう。

     12月24日〜25日に下関に行く。そのついでに長崎に帰ることにした。義母が転院した。いまの患者の人権不在の点数医療制度のもとで、労働者だけでなく、患者さえたらい回しされる。こんな政治がいつまで続くのだろうか。
     この目で現実を見据え、この現実把握の力で、理不尽な現実を変える道筋を考えなければならない。もちろん、みんなの力でだ。

     義母は自分自身の生命力とたたかっているだけではない。今日の医療制度ともたたかっている。私は、そんな義母に、一緒に「頑張ろうね」と言いにいくつもりだ。
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    竹本賢三著『蘇鉄のある風景』

    2011/12/04 18:15
     原発小説集として発行された竹本賢三著『蘇鉄のある風景』を読んだ。元赤旗記者としいうこともあり、現場のリアルな人間模様や労働現場、労働者の生の実態などが描写され、興味深かった。興味ある人は、読んでみるといいだろう。

     ただ、「解説」に誤認識がある。解説者と知らない仲でもないので、あえて書いておく。「八目鰻」に書かれた大阪・関西の生コン関係の「分裂派」の暴力的行為は、解説者が書くような「労線統一」とのスローガンに行われた流れとはまったく別のものだ。小説「八目鰻」にも、「労線統一」などとは書かれていない。解説に「労線統一」をめぐる状況のように書いているのは間違いだ。
     著者は、「統一と団結」の名のもとに、暴力を行使して統一労組懇排除を進めた「分裂派」の暴力とその構造を鋭く追及したのだ。まだまだ著者の追及は足りないぐらいだ。
     そもそも、「八目鰻」は1984年に書かれている。大阪や関西の事情に詳しくない解説者にとっては仕方のないことかもしれないが、殺人さえ犯した一派のことを、このような「解説」で済ましては著者の思いを歪めることになる。仕方がない側面もあるとは思うが、あえて記録しておく。
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    樫本喜一編『坂田昌一 原子力をめぐる科学者の社会的責任』

    2011/12/04 17:47
     原発をめぐる戦後からの状況を、科学者の視点から見つけ続け、発言し続けた坂田昌一の文集。「平和利用」という「思い」にこだわった今日的には疑問符がふされる内容はあるものの、坂田昌一や日本学術会議が指摘し、警告した事項を忠実に守ろうとすれば、原発の稼働はあり得なかったことが予測される。
     科学者の科学的な指摘や警告に耳を貸さず、原発を推進した政府や原発推進者の「無理」があらためて分かる。60年前から、安全性を死守しようとする政治姿勢もなかったことが分かる。このような曖昧な状態のもとで、原発を稼働した政治責任は重い。
     過酷事故が起こってからでは遅い、と指摘されていたにも関わらず、それに耳を貸さなかった政治責任をあらためて追及しなければならないだろう。
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    「自然発生的」について

    2011/12/04 17:29
     私も時には使っているかもしれない「自然発生的」という言葉について、考えさせられた。レーニンの「なにをなすべきか?」に書かれている。以前に読んだ時には、素通りしたかもしれない。今月、レーニンの「マルクス=エンゲルス=マルクス主義 1」(国民文庫)収録の「なにをなすべきか?」抜粋を読んでいて、釘づけになった。「自然発生的にもいろいろある」として、「理解しはじめた」という捉え方は、偶然ではなく必然性が内在していることを示している。歴史が断絶していないように、人間社会の運動も断絶していないことを考える時、「自然発生的」という言い方に気をつける必要があるだろう。

     「しかし、自然発生的にもいろいろあろうというものではないか
     「「自然発生的要素」とは、本質上、意識性の萌芽状態にほかならないということである
     「つまり、労働者は、自分たちを圧迫している制度が確固不動のものであるという古くからの信仰を失って、集団的反撃の必要を・・・理解しはじめたとは言わないが、感じはじめ、目上の者への奴隷的従順をきっぱりと捨てさったのである
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    「蟹工船」ブームの誤読

    2011/12/02 19:45
     2008年に、いわゆる「蟹工船」ブームが起こった。その時、人々は小林多喜二の「蟹工船」の何を読んだのだろうか。使い捨て労働の悲惨さ、過酷労働の酷さ、それらへの「共感」という紹介が多かった。
     2011年3月11日の福島原発事故が起こって以来、原発労働者の実態を「蟹工船」と例える本を何冊も読んだ。それほど、原発労働者の、命軽視の労働条件の酷さがクローズアップされたからだろう。それはそれで間違ってはいない。

     しかし、小林多喜二は、けっして、そのことだけを唯一の課題にしたわけではない。悲惨な労働の実態を明らかにするだけでなく、なぜ、そのような労働が強いられるのか。強いられた労働者が、最初はバラバラにされていて、その本質に気づかなくても、何度も同じ過酷な労働を強いられることによって、学んでいく姿を描いている。

     自らのおかれた立場を学んだ結論が、「俺達には、俺達たちしか味方が無えんだ。」ということに気づき、「そして、彼等は、立ち上がった。―もう一度!」という結論になることが、多くの書で見落とされている。

     第三次「蟹工船」ブーム(第一次は1929年、第二次は2008年、第三次は私たちがこれから起こす)は、人間の尊厳をかけたたたかいへの本当のたたかいへと発展させなければならない。

     昨今の橋下氏などへの支持は、主体的な、能動的な行動力をもぎ取られた閉塞感あふれるもとでの、他力本願の結果なんだろう。

     「万国のプロレタリア団結せよ!」と、「そして、彼等は、立ち上がった。―もう一度!」を、セットで考え、行動する時、本当の「蟹工船」を書いた多喜二の精神が生きてくる。世界に広がる「99%のわたし」の精神と行動は、マルクスと多喜二の精神に繋がっている。
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    11月の読書

    2011/12/01 21:55
     昼間は仕事。夜は労働運動。非専従に戻って2ヶ月目。非専従で全体を見渡すのはなかなか難しい。けど、「木を見て森をみず」にならないようにしないといけない。
     11月の読書は以下。『資本論』はこだわって読み続けている。青木笙子著『沈黙の川 本田延三郎 点綴』は、本田延三郎の生涯だけでなく、小林多喜二との関わり、井上ひさしとの関わり、「組曲虐殺」に関することなど、興味深い内容だった。

    画像カール・マルクス/宮川實訳 『学習版 資本論A』
    友寄英隆 『大震災後の日本経済、何をなすべきか』
    山田玲ニ 『資本主義卒業試験』
    橋下徹/堺屋太一 『体制維新―大阪都』
    赤旗編集局 『原発の闇 その源流と野望を暴く』
    POSSE vol.12 『復興と貧困』
    日野秀逸 『「被災者目線」の復興論』
    柳田邦男 『「想定外」の罠』
    画像内田樹ほか 『橋下主義を許すな』
    安西祐一郎 『心と脳』
    吉田謙吉 『築地小劇場の時代』
    塩崎賢明ほか 『東日本大震災 復興への道』
    小出裕章 『原発の真実』
    ハイネ   『ドイツ古典哲学の本質』(岩波文庫)
    柿谷浩一編 『日本原発小説集』
    今野晴貴・川村遼平 『ブラック企業に負けない』
    画像斎藤貴男 『民意のつくられかた』
    北村俊郎 『原発推進者の無念』
    有馬晋作 『劇場型首長の戦略と功罪』
    池田知隆 『どうなる!大阪の教育』
    山岡淳一郎 『原発と権力』
    青木笙子 『沈黙の川 本田延三郎 点綴』
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    一冊の本が届きました

    2011/11/29 22:56
     数年前に宇治山宣会の総会で記念講演をした人から、一冊の本が届いた。メッセージには、このブログを見ているとのこと。この2年間の更新状況は恥ずかしい限りですが、西宮のTさんだけでなく、このような読者がいることにびっくり。
     小林多喜二の研究に関心を持っている人が、一個人の発信を見ていることをあらためて考える必要があるかもしれない。何はともあれ、多喜二への関心は、ひそかに(?)、興味深く、いまも続いていることに確信をもとう。

     送られた本にたいする「書評」は、後日ということで。
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    「民意」のはき違え

    2011/11/28 22:47
     大阪市長選挙に当選した橋下氏が、早くも「民意」の歪曲を行っている。大阪市全有権者は2,104,977人、橋下氏に投票したのは750,813人で、全有権者の35.66%。選挙に勝ちさえすれば、当選者の意見がすべて「民意」であると押し通す手法はすでに使われてきたが、昨日の会見はその最たるものだ。

     27日の会見で橋下氏は、「大阪市長は260万人の民意を得ているだけ」(「毎日」)と発言。いつ、どこで、「260人の民意を得たのか」。
     平松氏に投票した522,641人の「民意」、831,523人の投票しなかった人の「民意」を無視して、「260万人の民意を得ている」と言い切る思考が恐ろしい。

     正確には「大阪市長は260万人市民の代表」であって、いずれの「民意」にも耳を傾けなければならない。ましてや、「大阪市民有権者の35.66%の支持を得ただけ」で、「白紙委任」されたわけでもない。それが「260万人の民意を得ている」とすり替わってしまうのだから、とんでもない暴君だ。

     「教育基本条例案」や「職員基本条例案」についても、「民意」を得たから、「民意を無視することはできない」と発言。しかし、選挙公報では「教育基本条例案」についていっさい触れず、法定ビラではウソと誤魔化しに終始。それでも、勝ちさえすれば、「民意」と解釈する傲慢ぶり。

      「民意」をはき違えた人物と冷静な議論ができとは思えない。「教育基本条例案」「職員基本条例案」については、全国の各界各層から異議や問題点、違法性さえ指摘されている。大阪市議会では、すでに否決されている。それでも「民意」と言って市長提案すると言っている。
     WTCの時もそうだったが、否決されたら「もう一度民意を問うこともあり得る」と、解散という脅しや恫喝を平然と行う。今度もそうだ、「解決しなければもう一度民意を問うこともあり得る」と発言。違法な条例案さえ、歪曲した「民意」を盾に押し通そうとする姿勢は独裁そのもの。さらには、自らの独裁ぶりをカモフラージュするために言った言葉にはあきれるしかない。「教委の独裁を改めさせる」と言ったという。空いた口がふさがらない。

     さらなるたたかいへ、運動を強めていこう。
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    小林多喜二『党生活者』のミッシングリングが解けた?

    2011/11/23 18:18
     小林多喜二の「党生活者」については、多喜二自身の書簡や事実関係などから、その執筆時期というか、完了時期について疑問が多い。私も、時期的につじつまの合わない書簡などに基づいて考えたときもあった。気になりながら、そのままになっていたが、ついにその真相が明らかになるかもしれない。

     島村先生のフェイスブックに「来年2月に小樽で開かれる「小樽小林多喜二国際シンポジウム」で​は、晩年(地下活動中)の多喜二が遺した原稿や、伏字無しの状態​で保存された「ゲラ」を素材に話すつもり。「党生活者」の直筆原​稿は発見されていないが、伏字無しで組まれた「ゲラ」刷りは二種​類残されている。」との書き込みがあった。
     二種類「残されている」ことについては、すでに佐藤三郎さんが指摘していたが、現物をみない私はあまり深く考えていなかった。
     しかし、この意味はとてつもなく大きいことに気付いた。この二種類の「ゲラ」の違いが、書簡の日付問題や編集者の見た原稿がいつのものだったのか、などの疑問を解くことになるかもしれない。
     これは、多喜二研究にとって、注目すべき発表になるかもしれない。
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    2012年大阪多喜二祭の挑戦

    2011/11/13 17:29
     超多忙なメンバーが集う大阪多喜二祭事務局が今月から動き始めた。第1回事務局会議で相談した内容の具体化が着々と進んでいる。
     大阪多喜二祭は、時代を撃つことにこだわり、昨年は経済学者でもある石川康宏神戸女学院教授に記念講演をしていただいたが、今年も文学研究者でない人に依頼し、現在、記念講演のタイトル等の最終調整中だ。

     現在、東日本大震災復旧・復興支援みやぎ県民センターの代表世話人で、東北大学名誉教授、日本医療福祉生活協同組合連合会副会長理事の日野秀逸さん。近著に『「被災者目線」の復興論』など。

    @2012年大阪多喜二祭(第6回)
     日 時 2012年2月18日(土) 午後2時〜
     場 所 クレオ大阪東ホール(2010年、2011年と同じ)
           (JR「京橋」駅南口・南へ徒歩7分
           京阪「京橋」駅中央口・南へ徒歩11分
           地下鉄「大阪ビジネスパーク」駅C出口・東へ徒歩9分)
     第1部 文化行事
           (折衝中)
     第2部 記念講演
           日野秀逸さん「人間の健康(いのち)の復興と小林多喜二」(仮題)

    A大阪「多喜二サロン」
     日 時 2011年12月6日(火) 午後6時半〜
     場 所 クレオ大阪中央
           (地下鉄谷町線「四天王寺前夕陽ヶ丘」駅1、2番出口から徒歩約3分) 
     内容   井村身恒さん「織田作の孫弟子が語る―織田作之助と『蟹工船』」

    B2012年大阪多喜二祭「前夜祭」
     日 時 2012年1月28日(土)午後6時〜
     場 所 ねむかホール(谷町6丁目)
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    「蟹工船」劇 「北緯五十度以北」と小林多喜二

    2011/11/13 17:19
     以前、古本市で購入した吉田謙吉著『築地小劇場の時代』を読んだ。ここに書いてあることが本当なら、蟹工船執筆の調査は函館だけでなく、船中の様子などは小樽でも調査していたことになる。興味深い。吉田謙吉は舞台装置家で築地小劇場で仕事をしていた。以下、引用(P233〜)。

     高田保脚色による小林多喜二の「蟹工船」は「北緯五十度以北」という題目に変えさせられてしまったことによって、かろうじて上演されることになった。
     新築地劇団の「蟹工船」の上演にさいしては、劇団から、当時、小樽の拓殖銀行に勤務していた小林多喜二を、土方与志とぼくとでたずねることになったが、土方与志が、地方公演の稽古にひっかかっていて、何としても出かけられなくなってしまったために、ぼくだけがひとり、「蟹工船」そのものについての資料取材のために、小樽まで出かけることになり、あらかじめ、劇団から小林多喜二宛つぎのような電文を打った。
     キサクカニコウセンブタイノタメヨシダケンキチアスアサ7ジ オタルニツク」シンツキジ
     初日は、すでに数日後に迫っていた。ぼくは小林多喜二をたずねるはなしがきまるとすぐ、その日のうちに小樽に向かった。
     (略)
     小樽に着くなり、拓殖銀行をたずねると、すぐにわかった。ひっそりとした裏通りにあった二階建ての木造の洋館まがいの建物で、はいっているなりカウンターで刺を通じると、ちょっとはなれたデスクから、立ちあがった小林多喜二は、にこやかにその白顔をほころばせながら、出てきてくれた。
     (略)
     漁業組合を、まず、たずねた。入口の土間に立ってみると、両側のニ階ベットから蟹工船の漁夫たちが、むっくり起きあがりながら、無表情ぜんとした顔を一瞬こちらに向けた。一人の漁夫が、土間のあたりまで出てきてくれ、小林多喜二と二言・三言はなしはじめていたが、北海道弁というか、ほとんどはなしの内容はききとれなかった。
     (略)
     小林多喜二と漁夫のはなしは、ぼくに蟹工船を見せてあげてほしいとの頼みの連絡だったことがあとでわかった。だが、「あいにく、いま、みられるように、船からあがったところだし、就航はしていない」という。しかし、船員のいない船そのものだったら、見せてもらえるということだった。
     もちろん、ぼくはぜひその船を見せてほしいと頼んだ。その足で、そのまま小林多喜二と埠頭に向かった。埠頭といっても、さくばくとした浜辺で、そこに、小さなモーター船のはしけが一・ニ隻もやっていた。だが、小林多喜二は、銀行の勤務中なので、いったん銀行に帰らなければならないからというので、その浜辺で別れ、ぼくひとのそのハシケに乗せてもらった。
     (略)
     ぼくはふたたび拓殖銀行にもどって、小林多喜二に会い、礼をのべると、すぐにまた小樽の駅にひきかえし、その日のうちに連絡船に乗った。
     (略)
     それについて付記しておきたいのは、尾崎宏次、茨木憲両氏による著「先駆者の生涯―「土方与志」」の年表によると、ぼくがこの上演にさいして小樽まで出かけたが、「小林多喜二には会っていない」と記されているが、明らかに誤りであることは、以上にしるしたとおりだが、
     (略)
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    義母の笑った顔

    2011/11/09 05:48
     昨日、長崎から帰ってきた。義母の見舞いに行く前に、「表情がないから。何を言っても頷くだけだから」と言われていたので、人を判別できないのかなと思っていた。
     ペットに横たわる義母に、「来たでー。たいへんやったなぁ」と話しかけると、大きく目を見開いて、大きく笑ってくれた。一緒に行った親類が、「笑った顔を初めて見た」と驚いていた。時々は人を判別できるまで回復したのだと思う。右半身は動かないけど、左はしっかりと動く。リハビリをしんどがっているそうだが、もう少し回復すれば、車椅子生活ができるようになるかもしれない、という。
     少しでも回復して欲しい。一緒に行った娘が、義母の姿を見て泣いていた。あんなに、おしゃべり好きだった義母が話すこともできない姿はたしかに悲しい。回復を祈るのみだ。
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    義父の7回忌、義母の見舞い

    2011/11/05 07:30
     明日、義父の7回忌だ。早いものだ。まだ生きていた頃の義父がまぶたに焼き付いているし、穏やかな死顔も忘れられない。今日から長崎に帰って、明日法事、明後日は義母の見舞いに行ってくる。8日の朝に帰阪予定だ。
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    10月の読書

    2011/10/31 21:33
     新しい生活スタイルに入った10月、少し時間的余裕というか、読書タイムが増えた。もちろん、腰を据えた時間ではないが、移動中や休憩時間、待ち時間などに集中する時間が増えたということだけど。
     しかし、9月までの過密労働の影響が確実にきたのも今月だった。心配をかけてはいけないので、誰にも言わなかったが、10月の体調は最悪だった。家にたどり着くとゼーゼーと身体中で息をしないといけないほど疲労していた。夜になったら発熱する持病が毎晩続き、苦しい一カ月だった。
     昼間は元気で(どうしてか人の前では元気に振る舞っている)、家にたどり着いたら、身体中で呼吸して、大いびきをかいて寝ているそうだ。しんどい朝が何日も続いたが、気合いでスイッチを入れて(これがいけないんだろうね)、なんとか誤魔化してきた。
     そんな生活を続けながら、休日に12時間くらい睡眠をむさぼって、やっと今朝くらいから普通になってきた。もうそろそろ、これまでの経験から、元に戻るだろうと思っている。ということなので、ご安心を。

     倒れた義母の見舞いに行くこともしなかった。ずっとずっと気になっていた。「長崎だから」と自分を納得させてきたが、今も言葉も発せられない状態の義母が気になっていた。11月6日に義父の7回忌がある。5日に出発して、遅ればせながら7日に義母の見舞いをして8日に帰ってくる予定だ。

     以下、10月の読書記録。とくに、小森陽一編『3・11を生きのびる 憲法が息づく日本へ』はお薦めだ。最後2編はいまいちだったが、全体的に、今日考えなければならないことの論点が整理されている。憲法が息づく日本の実現こそが、未来を拓くことにつながる道だろう。

    画像脇田滋編 『ワークルール・エグゼンプション』
    豊田直巳 『フォト・ルポルタージュ 福島原発震災のまち』
    小林多喜二/十和田操/宮本百合子 『百年文庫79 隣』
    みやぎ教育文化研究センターほか編 『3・11あの日のこと、あの日からのこと』
    田口ランディ 『ヒロシマ、ナガサキ、フクシマ』
    大阪自治体問題研究所編 『大阪大都市圏の再生』
    田島一  『時の行路』
    堀江邦夫/絵=水木しげる 『福島原発の闇 原発下請け労働者の現実』
    画像山岡俊介 『福島第一原発潜入記』
    西尾成子 『科学ジャーナリズムの先駆者 評伝 石原純』
    大木聖子・纐纈一起 『超巨大地震に迫る』
    志村嘉一郎 『東電帝国 その失敗の本質』
    山家悠紀夫 『暮らし視点の経済学』
    福祉国家と基本法研究会 『新たな福祉国家を展望する』
    小出裕章 『原発のない世界へ』
    大阪の地方自治を考える会 『「仮面の騎士」橋下徹独裁支配の野望と罠』
    画像佐野眞一 『津波と原発』
    小森陽一編 『3・11を生きのびる 憲法が息づく日本へ』
    奥村直史 『平塚らいてう』
    高寄昇三 『翼賛議会型政治・地方民主主義への脅威』
    佐多稲子 『私の東京地図』(講談社文芸文庫)
    澤井勝ほか 『大阪都構想Q&Aと資料』
    田中利幸/ピーター・カズニック 『原発とヒロシマ』
    浅川凌  『福島原発でいま起きている本当のこと』
    土屋 保男 『マルクス エンゲルスの青年時代』
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    昼休みの読書

    2011/10/28 21:58
     10月以降も相変わらず忙しい日々を過ごしている。昼間は仕事、晩は労働組合。昼間も休暇を取って労働組合の日も多い。まあ休暇にも限度があるので、いまの活動スタイルは年内だと思っている。来年からは、昼間は仕事、晩は労働組合活動というスタイルになるだろう。

     仕事に復帰して、もうすぐ一カ月になるが、気がついたら昼休みを取っている(当たり前だけど)。労基法の基本は「いっせい休憩」だけど、専従役員をやっていると「いっせい休憩」とはいかない。昼ご飯を食べる時間だけはみんなで昼食時間にしていたが、何時何分から何時何分ということにはならなかった。良くないけど、これが労働組合の現状でもある。

     いま、事務所についてから始業時までと、昼休みを、2年前と同じように読書タイムにしている。この時間だけで1日に50ページは読めるから、けっこうな時間だ。まあ、専従期間も移動中を読書タイムにしていたので、そんなに読書量が増えるわけではないが、昼休みにゆっくり読書できるというのはいいものだ。

     いま、みんなの読書量が減っているが、「知る」ことや「知ったことを活かすこと」、「自分の頭で考えること」の愉しみを知って欲しいと思っている。少し、学習活動にも力点を入れて、独習の習慣を一人でも多くの人に広げたいと思っている。

     ショックだったのは、というか唖然としたのは、今年から専従になった役員に、どれくらい本を読むかを聞いたら、年に4冊か5冊だという。空いた口がふさがらなかった。これは何とかしたい。
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    経済!経済?経済?? 人の命・健康・暮らしは二の次か!

    2011/10/15 22:25
     本日は、「橋下・大阪維新の会VS明るい会・よくする会」の公開討論会と「原発ゼロの会・大阪」の発足の集いに行ってきた。
     橋下・大阪維新の会の主張は、経済、経済、経済、経済成長がすべてを解決するかのような言い分だった。失業者が増えている、高卒・大卒卒業者の就職率が低い、大阪の非正規労働者が多いことを認めながら、結局は経済が良くなれば解決するような言い分だ。

     企業が儲かれば、賃金が自動的に上がるかのような発言、雇用問題が解決するかのような発言。しかし、企業は「儲かったら賃金を上げる」とか、「儲かったら正規雇用を増やす」と言っているのだろうか。
     ノーだ。大企業は、「労働者派遣法をやめたら国際競争力に負ける」とか「賃金を下げないと国際競争力に負ける」とか言って、どんどん内部留保を増やし続けているのに、安定雇用や賃上げを拒否しているではないか。企業が儲けても、内部留保は増えても、労働者の賃金が下がり続け、非正規労働者が増え続けてきたのが事実なのだ。
     その事実をまったく顧みることなく、経済が良くなって、企業が儲かれば、すべてが解決するような言い分は詐欺でしかない。
     そもそも、経済、経済、経済と言って、人の命をどうするのか、人の健康をどうするのか、人の暮らしをどうするのかについてなど、すべてが経済問題の後回しにされている。まったく逆さまの論理である。

     教育基本条例の問題点を指摘されると、そのことには答えずに別のことを答える。あげくのはては、高卒の6割しか正規の職につけない現状があるから、競争力をつけて勝ち残れるようにするためだと主張する。だったら、その競争に負けた4割の学生はどうするのか。きっと、維新の会は、10割が勝ち残れるようにするために、というのかも知れないが、可笑しな話した。そもそも、正規の椅子が6割しかないのに、その椅子を増やさずに、どうやって10割の人間を座らせるというのか。

     まあ、呆れた主張に、唖然とした。

     「原発ゼロの会・大阪」の発足の集いに参加して、あらためて思ったが、原発推進論者は「日本経済を守るためにも原発の早期再開を」というが、ここには人の命と健康を優先するという思想がない。
     日本経済のためには、人は命も健康も後回しにしろというのは、とんでもない思想だ。人なくして経済はあり得ない。人あっての社会ではないか。
     「資本の論理」との決別こそが、人間社会の未来を拓くのだ。「資本の論理」を優先する勢力に未来は託せないことは明白だ。
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    科学と哲学と芸術

    2011/10/10 15:34
     西尾成子著『科学ジャーナリズムの先駆者 評伝 石原純』を読み終わった。これは書き残しておかなければという石原純の言葉がいくつもあった。あの時代に、科学的考察を貫いたことにまず敬意を感ずる。そして、最後の死に唖然とする。生きていれば、戦後にどのような活躍をしたか、みたかったものだ。

     以下、いまも重要だと思われる論稿を紹介する。

     「われわれの論理における矛盾を避けようとするなら、その思考の法則を変え改良していかなければならない、すなわち、われわれの思想・観念・概念といったものを、与えられた自然に相応するように改めねばならない、最近の物理学の進展、たとえば相対論による時間空間概念、物質が原子、電子からなることの実験上の事実、に適応するように、変えねばならない、ここに自然科学と哲学の最も密接な交渉が存在する」(「自然科学と哲学」1915年)

     「科学者といえども政治や経済に対する関心と正しい認識とを必要とする。・・・。とくにその仕事の本質において最も国際的普遍性を有すべき科学者においては最も多くのことに対する自覚を保持して社会的な政治経済機構への正常な批判につとめることが肝要であると思われる」(『科学』巻頭言1936年)

     「およそ くろいものほど ひかる。いましめられる非常時の なにとない おののき。
    巷に氾濫する国防映画。それで 都市までが 三角形に見えてくる。」(「黒体輻射」1936年)

     「科学教育では科学的に知られたことばかり教えるのではなく、同時にこんにち科学的に知られていない事柄がいかに周囲に満ちているかを十分に説明しておくことが必要である。さらに子どもたちが自発的に疑問を起こすように、しかも適切な疑問を起こすように導かねばならない。子どもたちの質問に対してはなるべく子どもたち自身で解答をみつけださせるように指導しなければならない。個々の問題について、科学的に思考するように導くことが大切である。」(「科学教育の原理的認識」1939年)

     「芸術において創造的能力が必要であることはいうまでもないが、芸術といえどもそれが完成したうえでは合理的かつ実証的でなければならないのであって、そうでなければ多数の人を感動させることはできないはずだ。ここに科学と芸術とが人間文化の最高の産物であることを真に理解することができるのである。要するに科学を進め、芸術を創作することは、つまりはこの地上の自然に秘められている真実の世界を覗い知ろうとすることに外ならないのであって、ここにこそ人生の最大の喜びがあるのはむしろ当然の事柄である。」(「科学と芸術」1941年)
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    西尾成子著『科学ジャーナリズムの先駆者 評伝 石原純』

    2011/10/09 19:50
     3・11以降、大震災や原発に関する本が続々と出版されている。3・11を「科学」的に考えるために、それらの書をむさぼり読んでいる。同時に、執筆者の観念に振り回されず、自分の頭で考えるために、古典と科学を学び直すことの重要性を感じている。
     とはいえ、まずは現状の認識が必要だとしゃかりきに現状認識に努めてきた。これはこれで大事だが、急がば回れ、も必要かもしれない。そんなことを考えながら、現状認識を中心にしながらも、本を漁っている。

    画像 そんな折、西尾成子著『科学ジャーナリズムの先駆者 評伝 石原純』が出版された。島村先生とのお付き合いや、アインシュタインと山本宣治の対談などの知識がなければ、見逃していた一冊かも知れない。
     数年前まで、石原純の名前さえ知らなかったのだから。

     まだ読み始めたばかりだけど、19世紀から20世紀にかけての科学の発展、とりわけ物理学やアインシュタインの相対性理論がどのような受け止められ、どのように受け入れられていったのか、極めて興味深い時代の話、その時代を科学の目を持って生きた石原純の評伝は、今まさに読まれる必要があるのかも知れないと思わせる執筆ぶりである。

     「いまからみれば、1900年前後の物理学は大激動の時代を迎えようとしいた」と、科学的認識の発展・進化を興味深く(科学的かつ哲学的に)見続けている人々にとっては、見過ごすことのできない時代であり、画期である。

     「自然科学の領域においてにしろ画期的な発見がなされるごとに、唯物論はその形態をかえなければならないのである」とエンゲルスは喝破したが(『フォイエルバッハ論』)、19世紀の科学の画期的な発見を正面から受け止めた石原純の思考力を私たちは学ぶ必要があるだろう。

     本書は、19世紀から20世紀にかけての科学・物理学の発展に興味のない人にとっては、ちんぷんかんぷんの内容かもしれないが、わかる人には見逃せない一冊だ。

     3・11を契機に社会のあり方が見直されているが、科学の分野でも注目すべき提起や発見があるかもしれない。
     自然を知ることは、人間の生き方を、社会のあり方を知ることでもある。自然と無関係に人間は生きられない。どれだけの人が、そのことに気づいていようがいまいが、人間は自然の一部でもあるからだ。

     ついでに、最近私が注目している科学のあらたな発見(?)のその後に注目しているのは、@生命の元となる炭素などの生成と地球の生命誕生の謎、Aホモ・サピエンスとネアンデルタール人との混血の有無、Bニュートリノが光の速度を超えたという実験結果の真偽、などであるが、私にはそれを判断する知識はない。
     それでも、批判的に検証する認識力だけは高めていきたい。

     本書に、「彼が人の理論を無批判に鵜呑みしないという点は、評価されてもいいだろう」とあるが、これこそが一番大切なことである。マルクスのモットー、「すべてを疑え」「自分の頭で考えろ」こそが、明日を切り拓くだろう。
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    11/10 <シンポジウム>草稿ノート・直筆原稿に見る小林多喜二 ;創作の軌跡

    2011/10/07 22:50
     ブログ「「蟹工船」日本丸から、21世紀の小林多喜二への手紙。」に、11月10日の「 <シンポジウム>草稿ノート・直筆原稿に見る小林多喜二 ;創作の軌跡」の案内が紹介されている。
     シンポジストは、多喜二研究の現代的意義を深めているメンバーだ。行きたい。行きたい。

     しかし、しかし、いまの状況では、大阪府知事選挙の告示日だ。うーん、やっぱり行きたいけど・・・。

     でも、行きたいなぁ。
     島村先生にも、神村さんにも、尾西先生にも、久々に会いたいなぁ。

     以下、転用。 

    「草稿ノート・直筆原稿に見る小林多喜二 創作の軌跡」
     第13回図書館総合展(パシフィコ横浜) 第3会場(アネックスホール203)
     11月10日(木)15:30-17:00 [受付開始15:10]
     主催:(株)雄松堂書店

     島村 輝氏(フェリス女学院大学 教授)(座長)
     日高 昭二氏(神奈川大学 教授)
     尾西 康充氏(三重大学 教授)
     神村 和美氏(東京学芸大学 助手)

     貴重な遺品資料として永らく丁寧に保存されていた多喜二の創作ノート15冊2000ページと、日本各地に散在していた直筆原稿類800枚が2011年2月、DVD版資料集としてまとめられた。多喜二のノート稿類には普段一般読者の目に触れることのない、作家の血のにじむような文学的営みの痕跡が、赤裸々に残されている。一例として代表作「蟹工船」を挙げるなら、このDVDにはその草稿ノート・直筆原稿・初出誌(「戦旗」掲載)が収録されており、それらを綿密にたどることによって成立過程でこの作品の本文がどう変化していったのかを明らかにすることができる。非合法の地下活動中に、若くして世を去った多喜二の作品は、その生成過程に不明な点が多かったが、そうした謎がとかれてゆくことが期待される。近代文学の分野で今注目されている草稿研究の分野に新たな一石を投じることになろう。
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