読みたい本、読み直したい本が山積み

 早朝、通勤電車、隙間を見つけての読書を続けているが、読みたい本、読み直したい本が山のようにある。いま起こっていることも知りたい。古典を読んで、ものの見方・考え方を鍛えたい。私の知識欲は留まるところがないが、時間には限りがある。
 短い時間に集中する「集中力」はアップしているが、この「集中力」が疲労の原因にもなっている。それでも「知りたい」「学びたい」という欲求は途切れることがない。

 『資本論』をじっくりと読み直したいとも思っている。ヘーゲルの弁証法を学び直した後だけに、この欲求が強まっている。しかし、集中した時間は取れそうにないので、ぼちぼちと始めようと思っている。
 宮川實訳『学習版 資本論①』を読み始めている。あらためて『資本論』を読むことになるが、「翻訳」がいかに大切かということを考えている。

 資本論翻訳委員会訳の新書版『資本論』と宮川實訳『学習版 資本論①』とを読み比べると(いま読んだ部分だけだけど)、その違いをはっきりと感じる。
 たとえば

 「学問にとって平坦な大道はありません。そして、学問の険しい小道をよじ登る労苦を恐れない人々だけが、その輝く頂上にたどりつく幸運にめぐまれるのです」(資本論翻訳委員会訳 新書版『資本論』)

 「学問には平坦な大道はありません。そして、学問の険しい小道をよじ登る労苦をいとわないものだけが、その輝く絶頂にたっする見込みがあるのです」(宮川實訳『学習版 資本論①』)

 この二つを読み比べると、私には後者のほうが、すっきりする。「恐れず」より「いとわず」のほうが現実的だし、「幸運に恵まれる」というより「見込みがある」という方が、『資本論』を読んだ者にはしっくりとくる言葉だと思う。

 政府や東電、マスコミの体質は、国民の気持ちに「しっかり」と応える気がない、ということを物語っている。そんなことを一緒に考えるのが、私の読書術でもある。
 学ぶということは、単に「知る」ということではなく、現象から本質を捉え、現象を正しく説明し、その改革を求めることに繋がる。私は、そう考えている。

原発の危険性に、国や企業は「冷笑」 人命よりもコスト優先 

 大震災にともなう原発事故が起きて以降も変わらないことがある。全国紙と言われる新聞は、過去に幾度も「原発の危険性が指摘されていた」ことを正確に報道していないことだ。まるで、大本営発表のような報道しかしていない。

 そんな中で「北海道新聞」(3/23)が、「会社はコスト優先」という記事を書いている。しかし、「元技術者」の「自己批判」という書き振りに留まっている。

 みなさん、よく覚えておいてほしい。全国紙などマスコミの大方は、原発事故のそもそもの責任追及をしていない。過去から今回のような危険性が指摘されていたことを報道していないのだ。
 以下、「北海道新聞」。

「会社はコスト優先」 原発の元技術者ら ネットで自己批判(03/23 06:55)
 東京電力福島原発を造った大手重電の元技術者たちが事故発生以来、インターネット放送などで自己批判と原発政策の告発を続けている。
 「もっと声を大にして言い続けるべきだった」。東芝で放射能を閉じこめる原子炉格納容器の耐性研究グループ長だった後藤政志さん(61)は話す。1979年の米国スリーマイル原発事故などで、格納容器内が異常に高圧になるとわかり、放射能物質ごと大気に放出する弁を付ける事になった。
 「フランスは、内圧が上がりにくく、放射能物質が漏れにくい巨大なフィルター付き格納容器を造った。われわれも必要、と議論したが、会社は不採用。コストだなと思った」と後藤さんは言う。
 「高台に建てたり、防水構造にしたりしていれば。想像力が足りなかった」。60年代、国内に技術がなく、津波を想定しない米国の設計図をコピーして第1原発を設計した元東芝社員小倉志郎さん(69)は悔やむ。
 4号機の設計にかかわった元日立グループ社員で科学ライターの田中三彦さんは今回「政府や公共放送が危機を正しく国民に伝えていない」と感じている。「格納容器内が8気圧になった時、普通は4気圧などと流していた。普通は約1気圧で、4気圧とは事故に備えた設計値だ。8気圧なら異常事態なのに、パニックにしないという配慮が多すぎる」
 3人はこれまでも匿名、あるいは著作、集会などで原発の危険性を訴えてきた。だが国や企業から返ってきたのは「冷笑だった」(後藤さん)。
 東京のNPO環境エネルギー政策研究所顧問竹村英明さん(59)は「日本には許認可権を持つ経産省、学者、電力会社などで作る原発ムラがある」という。竹村さんによると、ムラは強力で、疑問や批判を口にする技術者を村八分にする。3人がそうだったという。放送は、動画中継サイト「ユーストリーム」や「ユーチューブ」などで見られる。
 (引用終わり)

 コスト、コスト、コスト。何度このコスト優先という言葉を聞いてきたことだろう。コスト優先のために、人の命も安全も、生活も人権も、どれだけ犠牲にされていることだろう。

 コストを減らすために、「官から民へ」と官製ワーキングプアを増やし、公務員減らせの大合唱で必要な人員まで減らしてきた。いま、被災地の最前線に立っている多くは、その公務員だ。
 医療関係職員、消防職員、水道関係職員、土木職員などが先発したが、いまでは保育士をはじめ、職種に関係なく派遣されている。生々しい話もたくさん聞いている。それでも、自治体労働者としての矜持をもって、たくさんの仲間が被災地に行って、懸命に働いている。

 これでも、コスト、コスト、コスト、が大事なのだろうか。何よりも大切なものは、人の命と安全などではないだろうか。

愛川欽也さん 原発事故「想定外とはいわせない」

 東京電力副社長が21日の記者会見で、福島原発の事故について、「未曾有の津波を経験した結果として、こうした事態になった」と述べたという(「読売」3/22)。恥知らずの言い分だ。

 19日放送のCS放送朝日ニュースターの「愛川欽也パックインジャーナル」で司会の愛川欽也氏は、「日本は地震国です。しかもあんなところにあったら津波がくるのは当り前でしょう。それが想定外の津波でやられたなんて、いわせないですよ」と怒りをあらわにした。そして、15日付「日刊スポーツ」のコラム「政界地獄耳」を紹介。

 同コラムは、日本共産党の福島県委員会が2007年に東電に対し、チリ級津波が発生すれば危機冷却の海水取水ができなくなり、最悪の場合は、冷却材喪失による過酷事故に至る危険があることを指摘してきたことを取り上げている(「赤旗」3/21)。
 島村先生のブログでは、すでに3月14日の「いつ、どこで、だれが、だれに、なにを、どのように?そしてなぜ?」というコメントで全文が紹介されている。

 日本共産との吉井衆院議員が2006年3月の予算委員会で対策を迫った国会質問に「完璧に問題点予見し指摘している」「こうなると人的災害か」などの反響が相次いでいる。(「赤旗」3/22)

 「これを読むと、今の事態を完璧に予言していて震え上がった・・・。こうなったらイデオロギー論とか二の次!一貫してもの言う人のことにもっと耳を傾けなくては」

 「驚いたな。ほぼ完璧な予測だ。緊急停止後の冷却系が原発の泣き所だったんだ」

 「今回の事態は『想定外』ではない。今回の事態は、あらゆる人間が考えを尽くして予想した全てを上回る、とかではない」

 http://ceron.jp/url/iori3.cocolog-nifty.com/tenkannichijo/2011/03/2005-073-4f4d.html

 サイトを見たが、「想定外」でないことを、読んだ人が納得しているコメントが続々と書き込まれている。

 必見だ。

三連休も、休まず出勤

 世の中は三連休。一日くらい休んで、読書タイムを堪能しようと考えていたが、やっぱり無理。今日もしっかりと仕事をしてきた。明日は大震災対策に走り回る予定だ。
 大震災対策に、政治変革、組織強化を一体に取り組む必要があるが、なかなか妙案はない。みんなが試行錯誤しながら、悩みながら、活動していることだろう。

 プロ野球選手会の動きに注目もし、期待もしている。国民感情と、政治や企業活動との乖離の矛盾をあらわしている。
 いまできることは何か、いましなければならないことは何か、一人ひとりの国民が、考え、行動することが求められている。
 これまでの延長はやめよう。否定されるべきことは、きっぱりと否定しよう。肯定すべきことは、さらに発展させよう。このことが求められていると思う。

こんな時に選挙をしていてよいのか!

 大震災被災地での苦難、食料や燃料、防寒具などの物資不足が、それに追い打ちをかけている。福島原発事故による影響から、大阪からも電池がなくなったという。帰りにコンビニに寄って調べたら、やっぱり電池は売り切れていた。報道を見ると、奈良では燃料や米なども売り切れたという。
 被災地に必要なものの供給が足りない中で、大阪や奈良でも「売り切れ」が続出しているのだ。

 本日の衆議院本会議で、大震災の影響で実施が困難な地方自治体の選挙を延期するための臨時特例法案が可決され、18日に参議院で可決の見込みになっている。
 この期に及んでも、やはり私は疑問を感じざるを得ない。本当に、一部の地域だけの延期でいいのだろうか。国民の気分感情に添うかどうかも問題だが、被災地に必要な電気や燃料が不足しているもとで、電気や燃料を消耗する選挙を行っていて本当によいのだろうか。

 今日、大阪にも、「電池を送って欲しい」との電話があった。どこも不足しているのだ。電気もなく燃料もなく、寒さに震えている被災者の元に届くのではなく、選挙戦に使うために備蓄されるおそれさえある。本当に、こんなことがあってよいのだろうか。やはり納得できない。

 今からでも遅くない。選挙は全国一律延長すべきだ。政府は、国会は、今一度考え直せ。政府が、国会が、全国一律中止の決定をしなければ、燃料などが、最も必要な人のところに届かなくなる。

 考え直せ!

 全国一律に延期せよ!

 今ならまだ間に合う!

統一地方選挙は全国一律延期すべきではないか

 3月11日に発生した東日本大震災は、一地域的なものではなく、日本列島の東半分にも及ぶ甚大な被害を与えている。くわえて原発事故の影響は、一時的なものではなく、今後も多大な困難や克服すべき課題が増えている。
 いま、被災地の救援や支援活動が広がっているが、現地への立ち入りもままならない状況からいっても、支援活動と復興に向けた長期的な全国的支援が不可欠になるだろう。

 政府は、3月15日に統一地方選挙の対応について、「被災地に限り2~6カ月の延期」を可能にする特例法案を提出する方針を固め、16日に閣議決定した。報道によれば、「全国的延期について引き続き議論する」とされているが、各政党の足並みは揃わず、地域限定になりそうな雲行きだ。

 共産党の市田書記局長が「未曾有の大災害で全党派が協力すべき時。選挙している場合ではない」と全国一律延期を提案し、国民新党、たちあがれ日本も同調したが、自民と公明両党は「全国一律はいかがか」と難色を示した、とある(3/15「朝日」)。

 片山総務相は、「任期を守るのが鉄則」「民主主義の大原則は覆さない」などと発言しているが、国民の苦難を脇に置いての「民主主義」や「鉄則」とはいったい何なのだろうか。

 日本共産党の志位委員長は、「全国的延期が必要」として、①人的・物的被害が極めて甚大で広範囲であり、原発の爆発事故や石油化学コンビナート火災など複合的被害の形で広がっており、「いまは全国民、全自治体が救援と復興に党派を超えて力を集中すべき時だ。この重大局面で選挙を行えば大きな矛盾をもたらすことになる」、②選挙戦自体が落ち着いた環境で実施する条件がない、③60カ国以上から国際的支援が寄せられ、政府の一挙手一投足が注視されている時に選挙を行えば、世界から日本の姿勢が問われる」の理由をあげ、「全国規模の延期は多くの国民の気持ちにも沿った当り前のことであり、政府・各党の真剣な検討を求めたい」と強調している。

 いまの事態を考えれば、全国民的な支援と復興への理解と協力こそが求められている。全国一律に延期する方法こそが道理にかなっているだろう。
 多くの国民の苦難を前にして、「鉄則」などという言葉を用いて、いま必要なことは何かを考えることさえしない思考停止的態度は戒めなくてはならない。政権党のふがいなさは言うまでもないが、自民や公明の「全国一律はいかがか」という、これまた思考停止、あるいは党利党略としか考えられない、これこそ「いかがなものか」だ。

 全国一律延期の声が日増しに広がっている。全国一律延期の決断が必要だ。

Facebookの使い方

 Facebookの利用方法がよくわからない。「ウォールに投稿した」というメールが届くけど、どうすればいいのだろうか。???

橋下知事の戯言 5時間閉じ込められたWTCが防災拠点?

 未曾有の大震災が起こったもとでも、自らのメンツを維持するためとしか思われない、根拠のない持論に固執する面々がいる。東電言いなりの菅政権しかり、石原都知事しかり、そして大阪府の橋下知事しかりだ。

 3月11日、橋下知事が、庁舎移転を目論む(府議会で2回も否決された)WTCビルは、地震直後(震度3)にエレベーターが停止し、5人が最大5時間閉じ込められた。また、。51階のスプリンクラー1カ所が破損し48階まで水漏れしたほか、階段壁面のパネル落下や100カ所以上のひび割れなどの被害がでた。また、丸1日以上にわたって一部エレベーターが停止するなどの被害を受けたという

 府議会で、議員から「生命を財産を守る司令塔として適当なのか」と複数の議員から質問と移転再考を求められても、事実を無視した持論に固執した。その言い分には呆れるしかない。

 橋下知事は、「大きな被害はなく、想定の範囲内だ」「津波があれば、指揮官は見えるところで指示を出すのが重要。最前線のベースキャンプとしてWTCの頂上から指示を出す」などと答弁したという。

 議員から「災害を見くびっていた」と言われると激高して、「僕だって土日にどういう対策が必要か考えていた。眠れなかった。あなたは何をしていたのか」と声を荒らげる場面もあったという。WTCが本庁舎にふさわしいかどうかの議論をしている時に、このような言い方をすることが知事としてふさわしいのか疑わざるを得ない。

 橋下知事は、「防災拠点としてふさわしいか、もう一度、検討するよう指示を出した。だめなら考え直す」と言及したようだが、前述の発言からは冷静な判断ができるとは思われない。

津波は「天罰」発言 石原都知事は撤回したというが

 石原都知事が「津波は天罰」発言を謝罪し、撤回したとの報道があるが、それで「済む」問題だろうか。

 問題の発言は、「津波をうまく利用して『我欲』を一回洗い落とす必要がある。やっぱり天罰だと思う」というものだが、記者から「『天罰』は不謹慎では」との質問が相次いだのに、「(今回の震災が)大きな反省の一つのよすがになるのではないか」などと説明し、撤回しなかったという。

 抗議が殺到した中で、謝罪と撤回した、というのが経緯である。記者から「『天罰』は不謹慎では」との質問が相次いだ時点で撤回しなかったことから考えても、「被災者の失意、無念は拝察するに余りある」という謝罪の言葉はあまりにも白々しく感じる。

東電の言い分を伝言するだけの無責任な菅首相

 福島原発はいったいどうなっているのか。多くの国民の共通した思いだろう。政府の発表は、すべて東電言いなりとしか見えない。いったい、どのような責任ある発言があったのだろうか。
 国民の関心は、「これからいったいどうなるの」、ということなのに、政府の発表はそのことに全く応えていない。それどころか、東電言いなりの報告に留まり、国民が一番知りたいことに何も答えていない。

 もういいかげんにせよ。

 迅速かつ正確で、もっとも国民が求めている情報を伝えよ。

 「人体に影響はない」を連発しているが、いったい誰がその責任を取ってくれるのか。はっきり責任の所在を示してもらいたい。
 退避勧告まで出していながら、「人体に影響はない」の連続にはうんざりだ、これからどのような展開が想定されるのか、いまの政府などの無責任な発言に、どう責任を取るのか、国民のもっとも聞きたいことに政府は応えるべきではないだろうか。

続々と寄せられる情報に、驚愕、驚愕、驚愕

 続々の大震災の被害状況が映像で流されています。見れば見るほど、今度の大震災の規模の大きさに驚きます。また、どれだけの人が亡くなっていることか、また72時間といわれる一つの時間が過ぎ、生存者の救出の可能性が減っていることに、胸が苦しくなります。神戸でも、奇跡の生還、もありました。できるだけ多くの人が救出されることを願わずにはいられません。

 今日は、大阪の労働組合での対策会議がありました。これからのことなど、いくつかの確認がされましたが、今後の支援活動についての具体的なことは「まだ」です。中央本部での判断等もありますが、情報が遅すぎます。

 原発は最悪の状態に進んでいます。それなのに、政府の情報だけでは正確な状態がわかりません。島村先生のブログに、過去のことも含めて情報発信されています。
 Facebookにも、いろいろな情報が書き込まれていますが、いまだにFacebookの使い方がわかりません。

 正確な情報を知らすことが、いま求められています。

未曾有の巨大地震 いま必要なことは何か

 巨大地震による被害を受けられたみなさんに心から追悼とお見舞い申し上げます。そして、まだ被害が拡大し続けているもとで苦難を強いられている人々を心配しています。また、家族や親類、友人などの安否が確認できない苦衷を察し、心が痛んでいます。

 福島原発が最悪の事態を起こす可能性もあり、未曾有の出来事と政治的人災を考えざるを得ません。とはいえ、今は一日も早い救助と救援、支援に必要な手立てを取るときだと思います。いまは、いずれは政治的責任を問わなければならない時がくることだけ言っておきます。 

 今日は朝から大阪のそれぞれの団体の代表が集まる会議がありました。冒頭、予定していた行事を取り止めることを確認し、巨大地震への対応について意見交換しました。
 私の労働組合も、朝からの行動の方針を一部変更し、午後からは今後の方針について緊急の通知を発しました。いま、みんなが一致してしなければならないことは、救援、救助、支援など出来ることに力を尽くすことです。そのために、組合員・労働者への訴え、自治体への申し入れ、支援カンパの訴えなどを発しました。

 大阪は、阪神大震災時の教訓をもっています。私も、瓦礫の山となった震災地に何度も入りました。何が必要で、何が求められているのか、その時の体験から体得したこともあります。その教訓をいまこそ発揮することが必要です。
 今日も、東京の本部から電話がかかってきました。阪神大震災時の大阪の対応のノウハウを活かそうとの思惑からです。こうした動きは重要だと思いました。

 いまこそ、みんなの力をひとつにして、今しなければならないことに力を集中することだと思います。私も、いつでも飛び出せるように準備しています。

 みなさん、いま必要なことに力を集中しましょう。言葉だけの「団結」や「連帯」ではいけません。本当の「団結」の力を発揮しましょう。

国内最大級の地震 みなさんの無事を祈ります 被害を受けた人に心が痛みます

 国内最大級といわれる地震が起きました。まず、何よりも被害を受けた人々のことを思うと心が痛みます。阪神大震災での体験から、今度の地震が想像もできないほどの地震であることがわかります。津波が襲う映像に身震いしました。これほどの地震が起こるとは、多くの人が身震いしていることでしょう。

 どうぞ、みなさんが無事でありますように。これ以上、被害が拡大しないように願わずにはいられません。これから、政治による人災も明らかになってくると思いますが、地震大国ゆえの防災対策の不備も明らかになってくるでしょう。

 それは今後の課題として追求していくとして、何はともあれ、いまは少しでも被害が最小限に留まる事を祈らずにはいられません。

読みたい本が山積み

 読みたい本がたくさんあるけど、追いつかない。少し体調を崩して、読書量が落ちたせいもあるが、読みたい本が多すぎて、買う量が増えているからでもある。いますぐ、読めもしないのに、ネットでまとめ買いするからかもしれない。5年も前に買って、まだ読んでいない本も数冊ある。読みたい本が次から次へとあるから、どうしてもこうなってしまう。まあ、いずれは読んでいるから、無駄はないのだが。

 少し体調を崩してから、頭の回転が悪い。頭が回転しないのは、最悪だ。最悪だったので、数日間割り切って、気分転換に努めた。おかげで、徐々に戻ってきた。まだ本調子ではないが、こうした割り切りは必要だと思う。
 さあ、少しずつエンジンをかけ直してみようと思う。

火をつけに行ったつもりが、自分自身に火がついた

 今日は、ある単位組織によばれて、組織的な話をしに行った。与えられた時間は30分だったけど、少しでも参加者の心に火がつけばととの思いを持って行ったが、気がつけば一番火がついたのは自分だった(笑)。
 まだまだ半端だと自分でも思っているし、熱く熱く燃える思いには至っていない自分への歯がゆさを感じていたが、議論を深めれば、まだまだ先に進めるのだと感じることができる時間だった。
 日々の仕事を片づけるのにあくせくし、ほとばしる思いが湧いてこなくて、自分の頭の中だけで振り回されていたようだ。
 まだ、ほとばしる思いをぶつけるところまで高まってはいないが、光明は見えてきたような気がする。いまの状態から脱出できる契機になったかもしれない。
 でも、自分で知らず知らずのうちにつくっている殻を破るのが怖いのも事実だ。私のアクが強いことも知っているから・・・。
 しかし、ここまできたら、自分の流儀でやるしかないのだろうか。きっと、それだけじゃいけないんだよね。やっぱ、悩んでしまう。
 まあ、明日からは、一歩でも前進してみたい。

12時間爆睡

 疲労が溜まっていたのが、とうとう腰にきてしまった。3日に最悪の状態になったが、早朝からの宣伝行動に行かないわけにはいかず、この日の寒さでいっそう酷くなってしまった。3日の昼前から、「この仕事が終わったら、帰らしてもらうわ」といいつつ、定刻まで仕事をしてしまった。
 4日の午前は会議の提案者なので、休むわけにはいかず、重くて痛い腰を引きづりながら出席。限界だったので、昼から、「今度こそ、帰らしてもらうわ」と言って、退出。昨日は、行事があったので、開会あいさつだけして帰らしてもらい、お風呂とマッサージに行ってきた。やっと、身体が軽くなって、昨晩は12時間眠り続けた。
 腰が痛いと、熟睡できないものだが、マッサージのおかげで熟睡できた。おかげで、今日はほぼ回復した。

 本日も予定はあったが、4日の退出時に「6日はパスさせて欲しいけど、四役で誰か行くことになっているのかなー。誰もいなければ行くけど・・・」と言ったら、「行くから大丈夫」と言われたので、休ませてもらうことにした。
 とはいえ、明日の晩に話をしなければならないので、その準備は今日中に終わらせないといけない。また、まとめなければならないアピールがあるので、それにも取りかからなくてはいけない。

 心配はずっと続いていた微熱だが、昨日から下がっているので、今晩発熱しなければ大丈夫だろう。少なくとも今日の仕事の目途がつくまでは、発熱しないで欲しいと思うが、油断禁物だ。
 無理をせず、要領よく仕事をしようと思っている。さて、どうなることやら。

大きな視野で、大きな運動を

 いまこそ、大きな視野で社会を見渡し、大きな気概をもって、大きな運動が必要な時はないと思う。とはいえ、どうしても守りの運動になっているところでは、そんな視点がついつい失われがちになっているようだ。
 この激動の時代にこそ、外に目を向けることが重要になっていると思う。なかなか旨く伝えることができないことに、焦りを感じることもあるが、これを乗り越えなければならないと思う。

 そのために如何にすべきか。考えながら行動し、行動しながら考えたい。

 大阪多喜二祭で石川康宏さんが、「学んで、学んで、たたかう」と強調された、「学ぶ」ことと「たたかう」ことの統一が必要だと思う。
 「学ぶ」ことがおろそかになっている。たたかいことの方向性を学びきっていない。なぜ「学ぶ」のか。なぜ「たたかう」のか。この統一が理解されなければならない。

 学び、そして実践による検証と、それに基づく確信の大切さを、まずは示さなければならない、ということかも知れない。

 少し腰に疲れが溜まってきてしまった。健康管理に気をつけながら、頑張ろうと思う。今日はもう休むことにします。おやすみなさい。

”多喜二の火を継ぐ”が伝わった大阪多喜二祭

 毎年のように大阪多喜二祭に来ていただいている人のブログに、今年の大阪多喜二祭の感想が書き込まれている。本当にありがたいことだ。

画像 ブログ「明日につなぎたい」では、「何を学ぶのか 多喜二から」と、ずばり今年の狙いがタイトルに。

 「2011大阪多喜二祭」に行く。講演のテーマは「小林多喜二の生き方と"現代の探求 "」。講師の語り口は軽妙でよどみがない。だが中身は深くて重い。聴くほどに雲間が晴れていく思いがした。多喜二の生きざまを通して戦前、戦後の歴史が整理されていく。多喜二たちが命を賭してめざした自由と平和は、普遍的な歴史観・思想として形成される。それが戦後の憲法にこめられている。私が見た"戦記もの"にはこの哲学があったのだろうか。そんな思いにふけりながら講演に聴き入った。
 私がとくに感銘をうけたのは「21世紀の現代になぜ多喜二か」という切り口であった。①外への侵略、内への抑圧を転換すべく、日本の社会改革に命を懸けた、その真剣な生き方②その思いと一体のものとして、努力の重ねられた作品の深み③21世紀の現実に変革者として立ち向かう気概④多喜二の見ることのできなかった現代の社会をうごかす新しい取り組みの力。あげられたこの項目を学ぶこと。その努力が「多喜二の火を継ぐ」ことになるのだと思った。
 他愛ない話なのだがホットな気分になったことがある。青年・孫息子から「今日の昼どこへ行くの」と聞かれる。「毎年2月にやっている多喜二祭や」と答えた。「蟹工船やな。じいちゃん多喜二がよっぽど好きやねんな」。こんな言葉が返ってきた。これが嬉しかったのである。理屈めいたものは何もない。感覚的なのだが私の心情を分かってくれている。そう思っただけの甘い話である。


 ブログ「つれづれに」では、「大阪多喜二祭」とのタイトルだが、文中に「”多喜二の火を継ぐ”大阪多喜二祭」とあるところに、今年の狙いが伝わったことを感じる。

画像 午後からは、予定通り”多喜二の火を継ぐ”大阪多喜二祭に参加しました。大阪で、始まった多喜二祭も第五回を迎えました。
 いつものように、多喜二が愛した音楽、この多喜二祭で聴く多喜二へのレクイエム、なんど聴いても聴くたびに胸を突き上げるような感動・・・。
 「多喜二の火を継ぐ」とは、単に追悼するとか、偉業を偲ぶとかで済ませない、後に続く私たちが、その多喜二の燃えるような火を受け継ぐ覚悟を固める日だ・・・・と、柳河瀬さんが挨拶されました。
 石川康宏先生の「小林多喜二の生き方と”現代の探求”」。従軍慰安婦問題などで、これまでお話しを聞く機会が沢山あったのですが、「多喜二の生き方」を通して現代の思想問題にせまる・・・・こういう切り口で「多喜二」を語られたこと、とても新鮮で、一層多喜二に近づくことができたと思います。開会前に前夜祭の様子が映像で写されて、参加しなかった者にもおすそ分けしてもらったような気分でした。元気がもらえたいい集いでした。






 ブログ「まいど、日本機関紙出版です。」は、「多喜二の火を継ぐ~2011年大阪多喜二祭に行く」と、ここでも「多喜二の火を継ぐ」が強調されている。

画像 クレオ大阪東で行われた「2011年大阪多喜二祭」に行ってきた。
 第1部は多喜二が愛した音楽をテーマに、合田清さんのピアノ演奏、樋口さんの朗読、ケイシュガーさんの歌が披露された。最後の「多喜二へのレクエイム」は何度聴いてもいい。
 第2部は石川康宏さん(神戸女学院大学)の講演「小林多喜二の生き方と”現代の探究”」であった。以下、聴きながらこれはなるほどと思った部分の私的メモを後日のために貼り付けておく。
 ・多喜二に何を学ぶか。変革者として生き方、それ自体。現代を生きる我々。
 ・変革者としての自分の仕事。変革者としての編集者であることが必要。
 ・その生き方を現代で我々はちゃんと受け継いでいるのか?
 ・多喜二を現代の中で創造的に読み、どう生かすか。
 ・多喜二の最初の飛躍。貧さの仕組みに目を向けるようになる。作品に投影されていく。
 ・執筆依頼がどんどん来るが、今自分は何を書くべきかをまず、考えながら執筆活動を進めた。
 ・第2の飛躍。時代を総括、個人を発展・成長の中でとらえる、屈しない連続した中で捉えること。
 ・時代があり、多喜二が書き。それを出す出版社がいて、それを読む読者がいた。
 ・常に前に前に進んでいこうという意欲の人。
 ・革命家として、小説家として人生を統一しながら生きてきた。・憲法が出来て60年以上も経つのに、なぜ簡単に「自己責任」論がはやるのか?
 ・ヨーロッパ社会と日本社会の違い
 ・社会のあり方のついての思想が必要。
 ・自己責任でいいという考えをどう乗り越えていく。そのための思想が必要。
 ・自己責任論が生まれる歴史的、思想的背景。
 ・東アジア諸国と付き合おうとするならば…。
 ・従属する中での衰退に直面している日本という国。
 ・(大阪都構想などについて)デカくなるばかりで我々に何いいことがあるのか?これまでいいことがあった事はない。


 ブログ「さわやか元気&吐息」では、「明日の準備と多喜二祭へ」というタイトルで、「お見事!」と締めくくっていただいた。

画像 明日は総会、その準備で事務所に。午後からは多喜二祭、一部は合田清さんのピアノとシュガーケイの歌、最高でした。多喜二の好きだった曲が弾かれ歌われました。二部は石川康宏教授の登場、私は文学者ではありませんと登場。出会いから語りながら、多喜二と経済、社会変革を語っていきます。現代に関わっては、政策より思想の大事さを人権と自由を生かすうえで強調しました。最後は、いつものように聞いてもダメ勉強しないと人は成長しないと結びました。お見事!

2月の読書記録

 今日は発熱との格闘の一日だった。夕方になって、やっと熱が下がり、微熱はあるがほぼ回復、また頭が動き出した(笑)。今月の読書は、ちょっと欲求不満だった(笑)。

画像塚原仲晃 『脳の可塑性と記憶』(岩波現代文庫)
高寄昇三 『虚構・大阪都構想への反論』
前田俊夫 『いのちの起源への旅137億年』
孫崎  享 『日米同盟の正体』
ヴェルコール  『海の沈黙・星の歩み』(岩波文庫)
ヘーゲル  『哲学史序論』(岩波文庫)
原富 悟  『微笑みかげんの階級闘争』
熊谷金道・鹿田勝一 『春闘の歴史と展望』
乃南アサ 『地のはてから』(上)
画像乃南アサ 『地のはてから』(下)
不破哲三 『「科学の目」で見る日本と世界』
宮川  彰 『マルクスで読み解く 労働とはなにか 資本とはなにか』
高田光子 『小林多喜二 青春の記録』
レーニン  『なにをなすべきか?』(国民文庫)

大阪多喜二祭の余韻

 今日は大阪革新懇の総会だった。もともと26日に予定され、会場もおさえていたのに、複数の代表世話人から「大阪多喜二祭の日だから、日を変えるべきだ」との意見が出され、今日になった。
 複数の代表世話人から、「昨日は御苦労さまでした」「昨日はどうも」と挨拶された。みんな、大阪多喜二祭に来ていただいていた。本当に嬉しかった。会場には、ケイ・シュガーさんも来ていた。言葉を交わす時間がなかったのは残念だったが、まあ以心伝心だったと思う。

 大阪多喜二祭と大阪革新懇の総会の成功は良かったが、私の仕事のほうは山積みになってしまった。火曜日の学習会の準備、その晩の集会でのあいさつ、某団体のアピール、会議のレジュメの検討など、昼間にはできない準備に頭を悩ましている。
 今朝、ゆっくり寝ることができたのは幸いだったが、限られた時間に仕上げなければならないことは山積みだ。今日も必死で頑張ったが、かなり疲れが溜まったようだ。どうも、持病でもある白血球の生産が追いついていない感じがする。晩になったら発熱するという症状があらわれると、休養を取らないと身体が持たない。その前兆がきてしまったようだ。まあ、休養すればどうってことない病気だから、もう寝ることにする。
 でも、頭は冴えに冴えていて、仕事日和なんだけどなぁ。これが一番いけないので、やっぱり今日は寝よう。明日の朝、熱が下がっていることを期待して。

2011年大阪多喜二祭に250人

 感謝!感謝!感謝!

 多喜二の火を継ぐ2011年大阪多喜二祭、今年は250名が参加していただいた。合田きよしさんのピアノ、ケイ・シュガーさんの歌は何度聞いてもいい。石川康宏さんの記念講演は、狙いどおりだった。毎年、こだわりを持って企画するために、チャレンジと冒険でもあるが、「多喜二の火を継ぐ」とは何か、という大阪多喜二祭のテーマをしっかりと発揮できたと思う。

 今回で復活5回目となる大阪多喜二祭だが、いつも来ていただける人の顔、初めて来ていただいた人の顔など、どちらも嬉しい人々が参加していただいた。
 第1回目から、250名→400名→250名→400名→250名ときれいな波があるものの、毎年250名以上の人に来ていただいていることが嬉しい。

 すでに、大阪多喜二祭の画像が、ブログ「「蟹工船」日本丸から、21世紀の小林多喜二への手紙。」にアップされている。
 感謝!感謝! ぜひ、ご覧いただきたい。

 また、講演いただいた石川康宏さんのブログにも、ご本人の報告が書き込まれている。

 他にも、大阪多喜二祭の様子を報告されているブログもあるので、またゆっくりとチェックしてみたい。

 さて、毎年、大阪多喜二祭の翌日に、参加者の「感想」のすべてをアップしていたが、今年は時間的余裕がない。別の人がまとめることになったので、後日発表したい。期待していた人には、申しわけないけど、お許しいただきたい。

 昨日は丸一日、「多喜二の人」となった。本当に充実し、楽しい時間だった。今日からは、また「多喜二の火を継ぐ人」として、頑張りたい。

 さあ、

 「仕事だ、仕事だ」。

大阪多喜二祭迫る

 いよいよ2011年大阪多喜二祭まで2日に迫った。今日は朝から携帯がよく鳴る。カーキーソルトさん、室ちゃん、ケイ・シュガーさんと、それぞれ明後日の準備の確認だ。講師の石川康宏さんからレジュメも届いた。いま、この時に必要な話になりそうだ。
 準備は着々と進んでいる。あとはどれだけの人に参加していただけるかだ。今日も、「チケットなくても入れるか」との問い合わせをいただいた。私の周りでは、確実に参加者が増えている。昨年まではチケットの押し売りをしていたが、今年は押し売りはしていない(笑)。それでも、過去4年の実績と、私がいまの超多忙な生活の中でも、同時に取り組んでいる大阪多喜二祭を応援しようと声をかけていただいている。ありがたいことだ。
 ぜひ、ぜひ、大阪多喜二祭に足を運んで欲しい。

 朋(とも)あり遠方より来(きた)る、亦楽しからずや。

 論語の一節だ。私は学ぶことが楽しい。友と語らうのも嬉しい。別に「君子」になりたいとは思わないが(笑)。

 子(し)曰く、学んで時に之(これ)を習う。
 亦(また)説(よろこ)ばしからずや。
 朋(とも)あり遠方より来(きた)る、亦楽しからずや。
 人知らず、而(しかう)して慍(いか)らず、亦君子ならずや。


 わずか一時間ほどの語らいではあったが、本当に楽しい時間だった。私が、「元気満々に、イキイキと生きている」と伝えても、心配されていた。会って、元気な様子を直接見て、「安心した」と言われた時は、その心が本当に嬉しかった。
 ありがとう。

 さあ、仲間とともに、明日を切り拓くぞー。

多喜二の火を継ぐ大阪多喜二祭

画像 もうすぐ大阪多喜二だ。小樽をはじめ意義深い多喜二祭が全国で開催され、新聞等にも紹介されている。仕事の合間に、さすらいのピアノマン・合田清さんのCDのセットなど、準備を進めている。
 石川康宏さんの講演に注目が集まっている。多くの声は、「石川康宏さんって、小林多喜二の話もするの、幅広いなぁ」だ。実際のところ、石川康宏さんが、どれだけ多喜二の人生に踏み込まれるのか、未知数だが、注目されていることは事実だ。
 私としては、挑戦であり、冒険だったのだが、これだけ注目されたことは意味があったと思う。あとは石川康宏さんの講演に期待するのみだ。

多喜二の火を継ぐ 2011年大阪多喜二祭
日  時 2月26日(土)午後13時30分~

場  所 クレオ大阪東ホール
      (JR「京橋」駅南口・南へ徒歩7分
      京阪「京橋」駅中央口・南へ徒歩11分
      地下鉄「大阪ビジネスパーク」駅④出口 東へ徒歩9分)

記念講演 「小林多喜二の生き方と”現代の探求”」
       石川康宏さん(神戸女学院大学教授)

文化行事 ピアノ演奏「多喜二が愛した音楽」
       合田清さん(さすらいのピアノマン)
       歌「多喜二へのレクイエム」ケイ・シュガーさん

資料代  1,000円

主  催 大阪多喜二祭実行委員会

連絡先  治安維持法国賠同盟大阪府本部
       06-6772-7555

宇宙

 宇宙の話に興味津津。新しい発見の記事をなどを読むと嬉しくなる。とはいえ、日々の仕事は、現在から出発するしかない。昨日と今日、一泊の学習集会だった。主催者を代表して、「冒頭発言」(笑)をしたが、「すごい迫力やなあ」と久々に褒めてもらった(笑)。

 大学時代にワンダーフォーゲル部のリーダー(キャプテン・主将)をしていたが、私にバトンを継いだリーダーが参加していて、「すごい迫力やなあ」とわざわざ声をかけにきていただいた。「原稿あるんやったら、くれへんか。労働組合のニュースで紹介したい」と言われたので、「書いてないことも言っているけど」と断って、下書き原稿を渡した。

 最近、発言原稿を書く暇もなく、頭の中で組み立てて、「冒頭発言」(あいさつ)をすることが多くなってしまったが、重要な会議等には出来るだけ下書き原稿だけは書くようにしている。今回は書いていて良かったと思う。活用していただけるということは、それだけ私の思いが通じたのだと思える。ありがたいことだ。

 明日は、昼休みにデモなど、またまた忙しい一日になりそうだ。「いま立ち止まったら、そのまま倒れてしまう」なんて冗談を飛ばしながら、イキイキとやっているから、不思議だ。このエネルギーは、どこからくるのだろうか。

 信念?確信?憤り?仲間?

 きっと、あらゆる思いが繋がっているからなんだと思う。

 今日は爆睡するぞー

 「一日を二十八時間に働く」としても、休養は取らなければならない。「個人的な生活が同時に階級的生活であるような生活」とは何か。明日も、元気に働き続けることができる生活を確立することだ。
 必要に迫られれば、普段なら1日かかる仕事を半日で済ます集中力があってこそ、「一日を二十八時間に働く」ことができるのだ。集中力を保つには、がむしゃらに働くだけではできない。

 休む時には休むことに集中する、ことが重要だと思う。現実にはなかなか難しいけど・・・。

 今晩は睡眠に集中だー。

私から見れば「最低」なのに、なぜ期待されるのか

 疲れたー。ホントに疲れたー。ちょっと考えなければならない仕事が多すぎる。頭はクタクタなのに、やっぱり考えなければならない。それも多方面のことを考えないといけないので、頭の中はくちゃくちゃ。それでも、場面場面でその場のことを考えなければならないので、まるで綱渡りをやっているようだ。
 明日は、集会で主催者あいさつをしなければならないが、まだ半分もまとまっていない。15分間という与えられた時間に、何をポイントにして話すか、もう少し整理が必要だ。
 いまも、この文章を書きながら、一部の脳は明日のことを考えている。そして、これから書こうとしていることを考えている。これではダメだと分かっているが、あまりにも時間がなさ過ぎるから、いつもこんな状態だ(笑)。

 今日は、参加を予定していた会議があったのだが、大阪青年会議所が「選択しませんか?私たちの未来を!」という討論会を開催したので、そちらに行ってきた。民主、社民、共産、公明、維新、自民の各党の討論会だ。維新の会からは代表の橋下氏が参加するだけに満席だった。民主や自民、公明の経済戦略への話は、言い方は違うが結局税金を企業に投入して、そのおこぼれを期待するという無責任な話しばかりでうんざりした。

 各党が何を言っても、同じことを繰り返したのが橋下氏だ。

 1回目、「既存政党は無責任」→「予算編成権を持っているのは知事だけ」→「議員には何の権限もない」→「実現できない」→だから「無責任」。

 2回目、「議員が何を言っても実現できない」→「予算権限がないから」→「過半数取らないとできない」→「知事しかできない」→「共産党のいうことはいっさい採用しないことにしてる」→「過半数取らないとできない」。

 3回目、「立案しないとできない」→「知事が予算を組んだことはできた」→「予算を組まないとできない」→「過半数を取ればできる」。

 4回目、「地方議員は無責任」→「地方議員は過半数取っても予算編成権ない」→「何もできない」→「知事が出したものしか判断できない」→「地方議員は知事の政策に○か×だけ言えばよい」→「知事が一緒につくらないとできない」→「知事と政策合意しなければ何もできない」

 もう書くのも嫌になってきたが、すべての政党が同時間発言する中で、公明の媚びへつらうような発言が醜くく映った。独裁者・橋下氏に媚びへつらう姿にしか見えなかった。
 最後にフリー討論になったが、これは当初のルールを逸脱し、橋下氏の土俵に乗っけるための見世物になり、呆れかえるばかり。それに拍手喝采する人の多いことにも唖然とした。
 もう疲れたので、詳細は省略する。

 ところで、参加者へのアンケート結果が発表されたが、このアンケート自身がわかりにくい。同時に、アンケートにはQRコードで応える方式で、年配の人は「わからない」と答えてはいないけど無視。
 問いもわかりにくい、問い1は、「本日の議題の中で一番興味があったのはどの政党でしたか?」。支持政党を聞いているわけではないが、やっぱりわかりにくいから、「期待する政党」に○をした人が多いと思う。その結果は「維新の会」に75%、橋下氏が来るから参加した人が多かった結果だと思う。

 その後の、アンケート結果は、よく分析する必要があるだろう。

 「各議題に対して、一番分かりやすく答えていたのはどの政党ですか?」に、「維新の会」と答えたのは64%で、問い1の75%から11%低い。
 そして、興味深いのが「本討論会に参加して支持する政党に変化はありましたか?」には、35%の人が「イエス」と答えていることだ。
 よく分析しないといけないが、35パーセントの人が2時間の討論を聞いて、「支持政党が変化した」というのだ。もっと時間を取って、今日のような一方通行でない「かみ合う」議論をすれば、果たしてどうなるのか。
 「閉塞感」だけでなく「いまの政治を変えたい」と強く思っている、有権者の揺れ動く意識があらわれているように思う。「くらしを良くしてほしい」からこそ「政治を変えて欲しい」との思いゆえに揺れ動く人々の気持ちに、どう分かりやすく応えるのかが問われている。それには、量も質も必要だ。

 もう疲れたので、今日はここまでにする。寝ながら明日のあいさつを考えたい(笑)。

睡眠時間だけは

 睡眠時間だけは確保しようと思っているが、だんだん短くなっている。かつて白血球減少症の一歩手前という診断をされ、健康管理に心がけてきたが、それも難しい場合がある。
 とはいえ、不思議なもので、精神力が身体を支えている。もちろん、そんなものが永続するものでないことはわかっているので、休める時に休もうと思っているが、「やりたい」ことがいっぱいで(笑)、頑張ってしまう。
 分かっているけど、やめられない(笑)。ホントに困ったものだ。
ということで、今日はもう寝ることにする。おやすみなさい。

ひとつひとつを大切にしながら、大きな視野で

 今日も慌ただしい一日だった。ひとつひとつの仕事を的確にこなしながら、大阪多喜二祭の準備で与えられた仕事もこなすことができた。それは、人と人とのネットワークがあるからこそできることであって、私ひとりでしようと思っても、けっしてできることではない。
 仲間と仲間が繋がりあって、それぞれの役割をお互いに支えあっているからこそ、できるのだと思っている。いまの立場になればなおさらのこと、人と人とのつながりの大切さを感じる。
 今年に入って、二人分の仕事をしてきたが、本日少しだけ任務を取ってもらった。時には、大阪の運動全体にかかわる判断を要する任務があるだけに、そのことも含めて説明しながら、引き受けてもらった。ありがたいことだ。

 何よりも、現状分析と、未来への展望をひらくために、いま如何にすべきかを話しあう機会になったことが、一番の収穫だとおもう。
 消化試合はまっぴらごめんだ。みんなが、そんな思いになるような提起をしてみたい。そんなことを思っているが、もう少し工夫がいりそうだ。試行錯誤しながらも、仲間を信じて、もう一歩進めるために知恵を絞ってみたい。
 まあ、今日は、ここまでにしよう。おやすみなさい。

人の命と安全削る 政府の犯罪 「沈まぬ太陽」

 久々に早く帰ったので、録画を頼んでおいた映画「沈まぬ太陽」を観ている。原作を読んでいるので、映画と原作の違いに違和感も感じながら、あらためて人の命や安全を後回しする企業や、そのバックにある政府への怒りが湧いてきた。

 今日の「赤旗」に、日本航空会長の驚くべき発言が掲載されている。整理解雇は、「必要ないと分かっていながら強行した」と認める発言だ。

 こんな事実がどれだけ国民に知られているのだうか。半官半民といわれる航空会社が、政府の指導で乗客の命と安全を削っている。また、公務員バッシングや「官から民」への大合唱のもとで、人の命や安全よりも「安上がり」をすすめている。
 「官から民」へ移行しても、施設費や運営にかかる費用は変わらない。変わるのは、働くものの雇用が不安定になり、ノウハウなどの継承が困難になる「官製ワーキングプア」が増えるだけだということ。それなのに、「官から民へ」が当然のようにふりまかれ、結局は国民の命と安全が削られている。

 会社言いなりの労働組合がつくられ、まともな主張をする労働組合の人間が「差別」的人事や、会社からの報復を受けることにより、「物言わぬ」労働者が増えていく。

 本当にこれでいいのか。

 日本航空が「整理解雇」という名で不当に解雇した労働者の多くは、乗客の命と安全のために会社に「物言った」人たちだ。明らかに「沈まぬ太陽」に描かれた不当な差別的行為なのだ。

 本当にこんなことを許していいのか。
 私は「ノー」だ。

 だからこそ、こんな不当なことを許さないために、私は行動する。
 生きる。

やりたいことがいっぱい

 昨日は朝から会議。途中で退出して、いろいろな組織の代表の4人で、ある人に決断を求めに行った。話をすればするほど力の入る時間だった。晩御飯を食べる時間もなく、天王寺の立ち食いそば屋で、てんぷらそばを数分で食べて帰路に。
 今日は朝から吹田に出掛け、仲間への激励を込めた行動に参加。救命救急センターへの補助金カットを打ち出した橋下知事。救命救急の仕事を守るためにも、補助金カットの撤回を求める署名を持って、各戸訪問。多くの人が快く署名に応じていただいた。みんな、命や安全、暮らしを何とかして欲しいと思っている。そのことに背を向ける民主党政権や橋下知事にあらためて怒りを感じた。

 午後から、組合事務所に行って仕事をしようかと迷ったが、久々に古本探しにかっぱ横丁に寄ることにした。神保町の本屋も高いと思ったが、かっぱ横丁も少々高かった。と言いつつ、4冊買って帰ってきた。古本の値が下がったという話を聞くが、昔からある古本屋の値は下がっていないように思う。大阪では、大阪天満宮の古本市が一番お買い得かも知れない。今度はいつ開催するのだろうか。

 やりたいことがいっぱいある。今日も組合事務所に行こうかと思ったのは、そういう思いが強いから。傍から見ていたら、そんなに働いてどうすんだよー、と言われるかもしれない。でも、これは誰かに命令され、誰かの犠牲になってやっている仕事ではない。なんとかしたいと思う気持ちが強いから、ついつい頑張ってしまうのかもしれない。

 いま、乃南アサ著『地のはてから』を読んでいる。自分の生きる道を、自分で選択できない、諦めながらもその範疇で、たくましく生きる女性が主人公だ。最後がどうなるのか分からないが、理不尽な社会や、自由に選択することもできない生き方を強いる社会を、少しずつでも変えてきたのも人間の力だ。
 いま、閉塞感と言う言葉が繰り返されているが、それこそ今は耐えている時代ではない。一人ひとりが声をあげ、行動し、社会を動かしていく時代だ。まだまだ、みんなの具体的な意識と行動が一体にはなっていないが。
 戦前のひとりの女性が当時の社会の枠組みの中で、翻弄され、我慢させられた姿から、そんな社会であってはならないと気付いてほしいと思う。

 橋下知事の強引なやり方は、まるで戦前の、「女は黙って、はい、と言っていればいいんだ」という家父長制の延長のような傲慢さを思い出してしまう。戦前、家父長制を許したのが政治なら、今日の橋下知事の横暴を許しているのはマスコミかもしれない、などと思ってしまう。ひとりひとりの人間を大切にしない人間に、人間を大切にする政治ができるわけがない。自分の考えだけで、イエスかノーかを問い、自分の考えを受け入れない人をすべて「敵」にするような手法は、あってはならない。
 そんな橋下知事を持ち上げるマスコミは、もっと考えなければならない。かつて、ホリエモンや村上某を時代の寵児のように持て囃した結末から、マスコミは何を反省したのだろうか。マスコミも国民もよく考えなければならない。

 私は自分の頭で考え、自分の判断で生きている。それもマルクスやエンゲルスが喝破した「必然」の中でのことではあるが、「自由」への展望があるからこそでもある。いま変化が始まっている。これを本物にするかどうかは、一人ひとりの人間の意識と行動にかかっている。ひとりでも多くの仲間と意識的な目的をもって生きたいものだ。

働き過ぎだ~

 東京4日間や箱根2日間など、実り多い会議に参加して、たくさんの学ぶことができた。それはそれで良いのだが、毎週末何処かに出掛けているために、平日に凝縮した仕事をこなさなくてはならない。もう、いつから休んでいないのかわからないし、今月も結局休みなしに働くことになりそうだ。
 今週はさすがに疲れが出て、火曜日は11時出勤と朝ゆっくりさせてもらった。それはそれで休養になったのだが、出勤後はフル回転。会議や懇談会などに走り回り、その合間に責任重大な文書作成に着手。家に帰ってきてから一杯やりながら、夜中まで悪戦苦闘。
 昨日も、重要な会議をはしごしながら、その合間に仕上げの作業。赤ペン片手に、重要な機関会議に臨むなど、2つの仕事を同時並行する熱心ぶり(笑)だった。
 それでも完成したのは今日の午前中。午後からはレセプションに参加。市田忠義さんが参加されていたので、東京の状況などについて立ち話ながら、少々本音の話をした。

 今日の午前中に仕上げようと思っていた文書を、予定どおり済ませたので、今日はさすがに早く帰ってきた。たまには、責任から逃れてゆっくりしないと精神がもたない(笑)。今日はビールが旨い(笑)。

 今日は嬉しいこともあった。いつも、一番しんどい時に以心伝心のように携帯にメールが届く。たった数行の簡潔なメールだが、最大の励ましとエールが込められている。普段は、ほとんど連絡も取らないのに、お互いに状況が推測できる友からだ。妻からは、まるで恋人みたいと嫉妬(?)されているが(笑)、心の友からだ。
 どっちが佐々木でどっちか須山か、どっちも佐々木でもなければ須山でもなく、でも佐々木と須山のような信頼と人間味に溢れている、と思う。ありがとう。

 最近、会う人、会う人から、「身体にだけは気をつけて」と言われる。ありがたいことだ。それだけではない。最近は、すっかり私の多喜二活動が有名になっていて、「きっと多喜二も、あなたと同じ状況になったら、同じ選択をしているよ」、なんて言葉をかけてもらっている(笑)。
 スペインで「党生活者」が「同志」のタイトルで出版されたと、佐藤さんのブログで紹介され、島村先生のブログで紹介されている。多喜二の文学が、世界に注目されるのは、きっと単なる文学ではなく、人間の心の琴線にふれる温かさをもっているからだろう、と私は思う(笑)。