岩手県 陸前高田

画像 9日から今日まで岩手県盛岡および陸前高田に行ってきた。津波に飲み込まれた市街地の様子を見て、言葉も出なかった。何もかにもが破壊され、残っているのは残骸だけ。テレビの画像でみているだけでは分からなかった現実に打ちのめされた。自然と人が共存できる復興をどう実現するのか。一方通行の「復興・復旧」ではいけないことを痛感した。
 自ら見て、感じて、聞いた、ことなどを今後に活かしたい。

やっぱり読書

 昨日の夕方、突然、疲労がピークに達した。今日は一日家でゆっくりしようと、朝もいつもより2時間も遅く目覚めた。朝は、ゆっくり過ごしたが、ちょっと本でも・・・。と思ったら止まらない。あーあ。
 楜沢健著『だから、鶴彬』とカール・マルクス著『資本主義的生産に先行する諸形態』(国民文庫)を読んだ。

画像 やっぱり楜沢健氏は注目だ。
 『だからプロレタリア文学』を読んで、以下のように感想を書いたけど、氏の視点は変わっていない。

 楜沢健氏に注目していましたが、今月発売された『だからプロレタリア文学』を読んでビックリしました。労働者の暮らしの実態に寄り添う「立ち位置」がこれほどはっきりしていたとは過去の論考で気づきませんでした。
 なぜ、いまプロレタリア文学が再発見され、「蟹工船」だけでなく、マルクスと「資本論」が読み直されているのか、その根本的問題に迫るものになっています。

 「貧困」との遭遇。
 それが感情をかき乱さない、穏やかで安定した遭遇になろうはずがない。それまで直面したことのない「不可解な」驚愕や憤怒や羞恥や恐怖をともなわない遭遇になろうはずがない。もしもその出会いが、何の感情の不調和も騒乱も混乱もともなわないのであれば、それは「貧困」ではない。感情の不調和や騒乱や混乱なしに「貧困」と真に出会うことはできない。『貧しき人々の群』は、そう訴えている。

 宮本百合子『貧しき人々の群』に対する論述だが、これは著者が同じ「遭遇」を感じたからこそ書ける文章であり、その「立ち位置」はすべての作品分析にブレることなく貫かれています。
 いまなぜ「蟹工船」なのか、現在の労働者にも寄り添いながら、その本質に迫る論考に、「鳥肌が立つ程興奮を感じた」といっては大げさかもしれませんが、少なくとも新しい「仲間」にエールを送りたいと思います。
 文学は誰のために書かれ、何のために書かれるのか、そして今日の資本主義社会のもとで懸命に生きる労働者が、立ち上がらずを得ない、そのことを「プロレタリア文学」時代から叫ばれ続けていることを示した本著の意義は大きいでしょう。


 以上は、2010年5月23日の未来ブログに書き込んだものだ。『だから、鶴彬』は、鶴彬の時代を俯瞰しようとしたもので、現代との対比はそれほど書かれてはいない。それでも、なぜ過去に学ぶのかという視点は、「立ち位置」に示されている。今後も期待したい。

 話は変わるが、橋下知事の独裁者ぶりが止まらない。ツイッターをみれば、暴走状態にあることがわかる。「数の力」で強権発動したことを批判されて、それに反論している言い分が自分勝手としかいいようのない支離滅裂ぶりだ。
 
 「大阪市議会大阪維新の会が提案した」条例について、「十分な審議もなく数の力で否決したのは既存の政党」と、自分たちの提案が否決されたことさえ「数の力」と言いきってしまうところが、独裁者の発想なんだろう。
 橋下知事のツイッターを読めば、コロコロ変わる言い方の角度、なんでも自分の基準でしか物事を考えられない無法ぶり、そして支離滅裂さがわかる。
 ただ、この言いたい放題のツイッターを読むには、根気と忍耐がいるから、誰も全部を読もうとは思わないだろうけど。

「批判の圧殺」のさきにあるもの

 安斎育郎著『福島原発事故』を読んだ。原発の問題点や今後の原発政策など、いま、必要な視点が書かれている。それだけではない。政府と電力企業が結びついて批判の圧殺をすすめてきたことを著者自身の体験から語られている。

 「私の研究室では、安斎育郎とは口を利かないようになっていましたから、朝行っても誰も口を利きません。教育業務からも外され、研究発表も教授の許可なくしてはいけないと申し渡されました。」
 「私の隣には、電力企業から派遣された人が席を占め(世に言うスパイですね)、講演に行けば「安斎番」という人が尾行していて、一部始終を録音する仕組みができていました。人事問題が起これば妨害が入りましたし、私の知り合いが研究室に研究の打ち合わせに訪ねてくると、居づらい思いをされました。」

 本当にここまでするのが電力企業だ。関西電力の思想差別を思い出す。裁判で断罪されたが、「利益のためには・・・」という姿勢が改まったかどうかは別だ。

 今日の不信任決議をめぐる茶番劇には呆れた。国民が愛想尽かすのは当然だ。その反動で、橋下知事みたいな独裁者が強権を振るっている。こちらはパフォーマンスが上手だから、適切な批判が必要だが、コロコロ変わる論点に付き合ってばかりもいられない。
 本当に必要なことは何なのか、しっかりとしたビジョンをもってのぞまないといけないだろう。

5月の読書記録

 今月は新刊本だけでなく、買ったままにしていた本や古本を意識しながら読んだ。レーニンの『カール・マルクス』は何度目かになるが、新しい発見があった。古典学習を繰り返すことはやはり重要だ。「導きの糸」にしたい。

画像池田  功 『啄木日記を読む』
愛知宗教者九条の会編 『安重根自叙伝・東洋平和論』
岩崎  昶 『日本映画私史』
浅見  淵 『昭和文壇側面史』
青野季吉 『文学五十年』
宮本憲一ほか 『「大阪都構想」を越えて』
大岡欽治 『関西新劇史』
レーニン  『カール・マルクス』(新日本文庫)
日高昭二 『テクストの領分』
基礎経済科学研究所編 『世界経済危機とマルクス経済学』
画像鰺坂真ほか 『人間とはなにか』
鳥巣京一 『西海捕鯨の史的研究』
松田解子 「逃げた娘」(松田解子自選集『髪と鉱石』収録)
松田解子 「A鉱山の娘」
河上  肇 『第二貧乏物語』
松田解子 「風呂場事件」
松田解子 「勘定日」
萩原伸次郎 『日本の構造「改革」とTPP』
松田解子 「飯場で」
画像広瀬  隆 『福島原発メルトダウン』
松田解子 「そだち」
松田解子 「若いボールミル工とダム」
松田解子 「手選女工員」
藻谷浩介 『デフレの正体』
柴野徹夫作 『増補版 まんが原発列島』
松田解子 「老師」
松田解子 「その一人」
大河内一男・松尾洋 『日本労働組合物語 昭和』

1928年2月20日 普通選挙(男子のみ)の日の疑問

 男子だけの普通選挙が始まって以来、1928年、1930年、1932年、1936年といずれも2月20日が投票日だった。ずっと、なぜ2月20日なのかを疑問に思っていた。2月20日が特別の休日であった可能性を調べてきたが、的外れであった。2月20日は、多喜二が虐殺された日でもあり、こだわりすぎたのかもしれない。

 大河内一男・松尾洋著『日本労働組合物語 昭和』に、1928年2月20日の投票日に関する記述がある。

 「昭和3年2月20日の総選挙の投票日をめぐって、日本光学工業豊岡工場、および同大井工場で、変わった争議が起こった。選挙の投票日は月曜だったが、評議会や組合同盟は、投票日を一般の公休日である前日の第三日曜にしなかったのは、無産の投票を妨害するためだと攻撃し、この日の有給休暇を獲得するよう指令した。日本工学では、日曜日を出勤日とし、公休を翌月曜日の投票日にくり下げると発表したが、評議会・関東金属労働組合にぞくする同社豊岡工場の従業員は、前日の日曜も半日休業とし一日分の賃金を支給せよ、と要求した。

 以下続くが、これで疑問は氷解した。
 同時に、投票日を休日に行わなかった当時の政府の姿勢とともに、投票日が休みでないにも関わらず、山本宣治をはじめ無産政党の議員を複数当選させた人民の力は銘記されなければならないだろう。

 権力による露骨な選挙妨害の記録は多いが、平日に選挙が行われたという事実は欠落している。あらためて、このようなもとでの無産政党の複数当選の意義を考えるべきではないだろうか。

今日は家で仕事

 たまには家でゆっくりする時間もないと身体がもたない。最近の多忙さには目が回りそうだった。一日のうちに、次から次へと別々の課題をこなしているうちに、消化不良を起こしそうな時がある。今月の連載原稿の締め切りが過ぎているのに、取りかかる時間的余裕もなかった。最後の手段として、明日が責了なので、いっぱつ勝負で原稿を放り込むことにした。やっと原稿が出来上がった。あとは、一晩ねかして、明日の朝チェックしたら送信予定だ。

 6月からのスケジュールも盛りだくさん。このスケジュールの合間に、次の会議の準備や整理をしないといけない。9日から12日は岩手。30日から7月1日は横浜で会議。あまり出歩きたくはないが、そうもいかない(笑)。

橋下知事の独裁者ぶり

 君が代斉唱時の教職員の起立を条例で定めることに対して大議論と反対の運動が広がっている。マスコミの報道にも、「乱暴だ」(北海道)、「自治の土台が揺らぐ」(信濃毎日)、「あの一票何だった?」(朝日)など、異論を唱える報道が増えている。
 しかし、マスコミなどの報道をみていて、このような条例が「乱暴」だとか、やりすぎだというだけの論調では、事の本質を伝えたことにはならないのではないか。
 橋下知事の主張は、憲法の精神を踏みにじるものであることはいうまでもない。多くの反対する団体が、本条例の違法性や強制することの不当性、教育の在り方など、もっともな意見を出している。それはそれで重要な指摘であり、大いに広げればいいと思う。

 不思議なのは、時々、橋下知事のツイッターの発言を取り上げることもあるマスコミが、ここでの橋下発言を取り上げていないことだ。最近の橋下知事のツイッター発言は、まさに「独裁者」ぶりを示している。このことを同時に取り上げることが必要ではないか。
 橋下発言を拾ってみよう。「 」は橋下知事、→は未来。

 「バカ教員の思想良心の自由よりも、子どもたちへの祝福が重要だろ!」
 →「思想信条の自由」を主張する教員は「バカ教員」、「バカ教員」は「思想信条の自由」を主張するな。典型的な論理矛盾。結局は、橋下知事の論理に従わない者は「バカ教員」で、橋下知事の論理に従わない者の「思想信条の自由」は認めないという独裁者の論理。

 「日本国の公務員なら、君が代に敬意を払え」
 →憲法にもどこにもそんなことは決められていない。あくまでも、橋下知事の意見。自分の意見が「命令」になる独裁者の典型的な論理。

 「公務員を辞めれば、表現の自由は最大限に保障される」
 →これが橋下知事の独裁者としての認識。公務員は、「全体の奉仕者」ではなく、権力(自分)の奉仕者だと思いこんでいる。公務員に「表現の自由」はないと言い切る認識は、今日の憲法の精神からみても弁護士失格としかいいようがない。

 「職務命令に従わない公務員を辞めさせることこそが政治家の役割だ」
 →ここでは「職務命令」が正しいものかどうかは問題にされていない。その「職務命令」が憲法に反するものであれば、当然のこととして「無効」となる。しかし、独裁者の頭には、そんな峻別はないのだろう。

 「選挙で選ばれた知事や時の権力に仕えることが国民・市民に仕えることになる」
 →すでに、このことに対しては述べたが、やっぱり「独裁者」。選挙で選ばれたら、何でもできると勘違いしている。議会制民主主義のイロハもわきまえない独裁者の論理そのものだ。

 もうやめるけど、異を唱える者への攻撃は相変わらずだ。「朝日」に対する攻撃など醜い限り。自分に異を唱えるものの自由は許さないけど、自分は「絶対」だという「独裁者」の言い分には呆れかえるしかない。
 橋下知事の、憲法より自分言い分が優先されるという自分勝手な「独裁者ぶり」を、いつになったらマスコミは報道するのだろうか。

東京は暑かった

 昨日の東京は暑い一日だった。熱い中、朝からアッチへコッチへ。日頃、運動不足だから、こたえた。請願行動では意外(本当は意外でもなんでないのだろうが)な反応があった。日々のくらしから物事を考えれば、基本的な点では多くの人が共通の土台に立てることを考えされられた。
 今日は大阪をアッチへコッチへしなければならない。日中に仕事を片づける時間がとれない。晩酌しながらの仕事では限界がある。とはいえ、明日までにしなければならないことは、待ってくれない。なんとか、頑張ってみよう。

福島原発事故は「神様の仕業」? 「人災」だ!

 与謝野馨経済財政担当相の発言に唖然としたのは、私だけではないだろう。もういい加減にしろ!福島原発事故は、かねてから今回同様の事故が起こることが想定されていたのに、利益優先体質のもとに、安全を軽視して必要な対策さえ怠ってきた「人災」であることは、日々明らかになっている。
 東電も、政府関係者も、マスコミ関係者も、すべての事実を明らかにしようしない体質が、福島原発事故を「神様の仕業」などと発言しても恥じない政治家を野放しにているとしか思われない。
 「人間としては最高の知恵を働かせたと思っている」という発言に至っては、怒りを感じずにはいられない。こんな人物に国民のための政治ができるはずはない。

 5大紙と言われる新聞は、まったく機能していない。大本営発表に色をつけているだけ。地方紙や海外のメディアのほうが、正確で冷静な報道をしているように見受けられる。財界、スポンサーの金銭的広告に依存している新聞の呆れかえるしかない報道姿勢は、私がいうまでもないだろう。
 政治家はどうか。企業献金を受け取り、天下り先にもなっている「東電」に、物言えないどころか、事実を捻じ曲げてまでも援護する醜い姿に、怒りをおさえきれない。以下、「赤旗」。

 与謝野馨経済財政担当相は20日の閣議後会見で、東電福島第1原発事故は「神様の仕業としか説明できない」と発言しました。同原発の津波対策に関しても「人間としては最高の知恵を働かせたと思っている」と語り、東電に事故の賠償責任を負わせるのは不当だとの考えを重ねて強調しました。
 与謝野氏といえば、大学卒業後、日本原子力発電に就職し、その後原発推進の中心だった中曽根康弘元首相の秘書をへて政界入りした経歴の持ち主。衆院科学技術委員長や通産相などを歴任し、原発建設を推進してきた、筋金入りの「原発族」政治家です。
 今回の事故後も「(原発を)推進してきたことは決して間違いではない」と言い放つとともに、原発を推進してきたことに謝罪するつもりも「ない」と断言。東電の賠償責任の免除まで主張してきました。
 原発事故は東電や政府が「安全神話」にどっぷりつかり、地震や津波への備えを欠いているとの警告を無視し、安全対策を怠ってきたために起きた明らかな人災です。放射線被害でふるさとを追われた住民、農水産業の甚大な被害に少しでも向き合う姿勢があるのなら、「神の仕業」とうそぶくのではなく、「安全神話」を振りまいてきた責任を痛感し、反省こそなすべきでしょう。
(吾)

戦前における全国で最後の公然たる多喜二労農葬

 大岡欽治『関西新劇史』を読んで、神戸のことで、これだけは記録しておかなければならないと思うものがあったが、多忙のためほったらかしになってしまった。あらためて記録しておく。ゴシックが本文のなかの引用。

 兵庫では、1934年2月18日大橋公会堂で、「小林多喜二追悼プロレタリア文化の夕」を開催し、「160名の観客を動員した。
 別のところでは、「コップ中央は努力して、これを新しい方策を立て直す契機して「三・一五白テロ反対・第二回小林多喜二労農葬」を大橋公会堂でおこなった。おそらく戦前における全国でも最後の公然たる多喜二労農葬であったと思われる。」とある。
 これは、別々のものなのか。それとも同じものなのか。後者には開催日が書かれていない。

 神戸の「下山手通6丁目のYMCA会館」について以下のような記述があった。
 「下山手通6丁目のYMCA会館は1913年1月11日に誕生した。第二期会館は1922年その隣に完成した。同じ年に新開地に建設された聚楽館とともに神戸の東西二つの文化の中心であったし下山手通というよき環境にあった。当時のホールとして果たした役割は大きい。
 「1945年6月5日の空襲によって会館は破壊された。YMCA会館の全活動の記録は作成されていないようである。
 

超多忙でも、やるべきことはやりたい

 むちゃくちゃ忙しくなってきた。手帳にびっしり書き込まれた予定に隙間をみつけて、次の日程を書き込んでいる。そのあるかないかの隙間に、方針を考えたり、戦略を練ったりしている。これではいい考えが浮かぶはずはないのではと思いつつ、スイッチが入るとスイスイとすすむ時があるから不思議だ。
 とはいえ、かなりの過密スケジュールになってきた。5月19日は丸一日、大阪の争議支援行動。5月25日には東京で中央行動。6月9日から12日まで岩手。6月18日から19日は一泊集会。6月30日から7月1日に横浜で会議。7月4日から5日まで信州へエネルギー政策の視察旅行に行く予定だ。
 ハードスケジュールなんだけど、元気だけはある。これが余裕があるように見られてしまうのかな。

全国の会議

 昨日から産別組織の会議が連続している。今回は開催地が大阪なので助かっている。今日と明日は中央委員会。私の出番はないので、全国の仲間のたたかいをじっくりと聞きたい。
 5月25日は東京、6月30日から7月1日は横浜だ。また、渡り歩く日が続くのかな~。

東日本大震災から2カ月

 東日本大震災から今日で2ヶ月目。いまだに行方不明が9千人超、避難生活を余儀なくされている人々が10万人以上いる。原発事故は収束のメドさえたっていない。
 本日、中央委員会があり、当面の方針を議論し、決定する。大震災後初めての機関会議でもあり、ちょうど2カ月目という節目に、どのように開会にあたっての挨拶をしようかと思案中だ。毎日、情報収集に余念はないが、日々変わっていく情勢に機敏に対応しなければならない。
 また、いっせい地方選挙後の中央委員会でもあり、選挙結果を受けた今後の取り組みについても語らなければならない。柱は決まっているが、どのような切り口で話そうかと考えている。時間的余裕のないなかで、あいさつの内容を組み立てなければならないが、まあ、頑張ってみる。

原稿の締め切り

 毎月の連載記事の締め切りが迫ってきた。5月号は合併号のために、通常より遅いのだが、現在の状況の中で書くのはとても難しい。基本的スタンスはできているのが、何から書き始め、どう結び付けるのか、限られた字数におさめることができるのか。まだ書き始めが決まっていない。この書き出しで流れは決まるだろう。
 まあ、一昨日と昨日、久々の連休で頭はすっきり回復したので、今晩から書き始めようと思う。明日の晩には入稿したい。
 さあ、仕事だ、仕事だ。

「想定外」などとは言わせない! 先人の教え

 東電の社長がいまだに「想定外」と言い逃れをしているようだ。何年も前から国会でも指摘されていたのに、それに頬かむり。マスコミ大手は、国会で今回同様の事故が起こる可能性が指摘されていたことさえ紹介もしない。東電と言う大企業スポンサーの軍門下にあるマスコミのお粗末な報道姿勢は、今回の事故とともに後世にまで悪しき例として歴史に記録されるだろう。

 そんな中でも、「想定外」では済まされない「先人の教え」で、命が救われた事実などが報道されている。

先人の教え、津波から住民守る 宮古市の姉吉地区( 47NEWS4月17日 )
 「此処より下に家を建てるな」。過去2度の大津波で壊滅的な被害を受けた岩手県宮古市重茂の姉吉地区では、11世帯約30人の集落の建物がすべて無事だった。守ったのは、先人が石碑に刻んだ教えだった。
 昭和三陸地震(1933年)の大津波後、集落から漁港へ約100メートル下った道端に石碑は建てられた。「高き住居は児孫に和楽(高い所にある家は子孫を幸せにする)」から始まり、集落が受けた津波被害をつづる。
 明治三陸地震(1896年)の津波では住民2人を残して壊滅。昭和三陸の大津波も、4人を残し住民をのみ込んだ。
 「小さい地震でも津波だと思って逃げろ」。昭和の大津波の生き残りで、介護施設に入る義母ツルさん(91)の言葉を、川端トシさん(64)は心に刻んでいた。海岸で集落の仲間とワカメの収穫を準備中、地震が来た。「津波だと思い、急いで家に逃げた」
 東京海洋大の現地調査によると、姉吉地区では津波の遡上高が観測史上最大規模の38・9メートルに達した。しかし押し寄せた津波は石碑の手前で止まり、石碑より上にある集落は無傷だった。

 この記事だけではない、「てんでこでん」をはじめとして、先人の教えや、過去の教訓などから高台に逃げることなど、「想定」などという観念で、自然の猛威を軽視してはならないという教訓から救われた命はたくさんある。
 効率化と称するコストカットのために、あらかじめ「想定」を低くして、事故が起これば「想定外」などと嘯く姿勢は絶対に許せない。
 マスコミ報道の醜さに、マスコミ関係者はなぜ声をあげないのか。きっと、声をあげている人はいるのだろうが、抹殺されているのだろう。だったら、声のあげかた、真実の知らせ方を私たちも考えなくてはならないだろう。

読書三昧の一日のしようと思ったが

 今日は久々に読書三昧の一日にしようと思っていたが、この間積りにつもった書籍や書類などの整理を始めてしまった。とうとう整理棚を買いに行き、私のわずかなスペース(一畳もないスペース。1階から3階までに本棚を9個も置いているので贅沢がいえない)を綺麗にした。これで、当分は気持ち良く仕事ができそうだ(笑)。

 整理が終わったところで、気持ち良く読書。大岡欽治『関西新劇史』を200ページほど読んで、ずいぶん前に古本市で買った浅見淵『昭和文壇側面史』を読み始めた。少しぐらい参考になるものがあるかとも思ったが、いまのところない。戦前の文化に関するものをあらゆる側面から少しでも調べることができればと思ったが、この本にはなさそうだ。途中まで読んで、今日はエンド。明日、残りを読もうと思うが、期待薄だ。

 『関西新劇史』に1930年5月18日のことが1行だけ書かれていた。
5月18日 戦旗防衛三千円基金募集講演会に全員応援した。

のびのび、ヒヤヒヤ、ゆっくり読書

 今日は早朝から久々にのんびりした。夜中に帰ってきた息子が10時頃に起きてきて、約束のドライブ。ずいぶん運転にも慣れてきた感じて安心して乗れた。ところが、途中で「免許を家に忘れてきた」というではないか。仕方がないから帰りは私が運転して帰ってきた。昼食に食べた焼き肉定食は安い割に旨かった。焼き肉を食べるのが久々だったせいかな~。

 先日から買い溜めた古本を、ぼちぼち意識的に読みはじめている。ついつい新刊本を優先してしまうが、たまには古本を優先してみるのもいいかもと・・・。昨日から岩崎昶『日本映画私史』を読み、今日読み終わった。
 夕方から大岡欽治『関西新劇史』を読み始めた。この本、定価が18,600円もして、古本を探していたら4,000円でゲットした。関西の戦前の文化運動の貴重な資料だが722ページもあって、持っては歩けない。家にいる時にぼちぼち読むことにする。

『関西新劇史』
 1929年「3月5日衆議院が治安維持法改正緊急勅令を事後承認した日、旧労働農民党の代議士山本宣治(京都選出)が東京の旅館で七生義団団員黒田保久二に刺殺された。そのために3月15日(前年が3・15事件の日)に東京と京都で労農葬が行われることになった。京都では3月5日、プロット中央執行委員会で正式に京都青服劇場がプロット加盟団体と承認されたので、京都での山宣葬に参加するために緊急にナップの召集が発せられ関西オルグとして大阪に常駐している久坂栄二郎を中心に、大阪戦旗座も参加して、14日夜宇治の花屋敷で、山宣の遺骨の前で、全国からの労働者農民代表の集まった大座敷で「山宣追悼」という即興劇を上演した。

 古典の読み直しを始めてはいるが、こちらはぼちぼちすすめたい。『資本論』も続けようと思うが、『学習版 資本論②』の出版を待つかどうか思案中だ。出版情報がなければ、新書版の第2分冊を読むことになるだろう。

連休

 本日は憲法のつどいに参加した。開場前から列をなし、800人の会場が満席になった。ササヤンにも会い、いつものニュースをいただいた。みんなそれぞれの場で頑張っていることをあらためて確認した。
 明日と明後日は、連休だ。二日続けて休むのは正月以来かもしれない。

 しかし、明日はヒヤヒヤしそうだ。息子の運転に付き合う約束をしている。あー、怖い。早く一人で運転できるようになってほしい。いまでは子どもたちもそれぞれの人生を歩み始め、父親に頼ってくるのは、こんな時だけだから、まあ仕方ないか(笑)。

4月の読書記録

 本日はメーデー。あいにく大阪の天気は悪いが元気に行ってくる。4月の読書は、古典が中心になった。『資本論』をまた読み始めた。『学習版 資本論』はお薦めなんだけど、2冊目以降の出版がいつになるのかわからない。隔月一冊ペースで発行してくれれば、私のペースにあうのだが、発行計画もわからない。

画像小栗崇資・谷江武士 『内部留保の経営分析』
『国文学 解釈と鑑賞』2月号 特集「井上ひさしと世界」
石川日出志 『農耕社会の成立』
西谷  敏 『人権としてのディーセント・ワーク』
『経済』5月号 特集「マルクス『資本論』のすすめ2011」
エンゲルス 『自然の弁証法(抄)』(科学的社会主義の古典選書)
出井康博 『首長たちの革命』
自治体の偽装請負研究会 『自治体の偽装請負』
エンゲルス 『フォイエルバッハ論』(科学的社会主義の古典選書)
奈良達雄 『社会進歩につくした茨城の先人たち』
画像加茂利男ほか 『地方議会再生』
長谷川宏 『初期マルクスを読む』
宮川實訳 マルクス『学習版 資本論①』
井上ひさし 『日本語教室』
マルクス・エンゲルス 『共産党宣言/共産主義の諸原理』(科学的社会主義の古典選書)
大阪弁護士会 『貧困を生まないセーフティネット』
エンゲルス他 『猿が人間になるについての労働の役割他10篇』(国民文庫)
ジョージ・オーウエル 『動物物語 おとぎばなし』(岩波文庫)

休むには休んだがヒヤヒヤさせられた

 今日は朝寝をして、予定通り、仕事は休んだのだが、先月免許を取ったばかりの息子が運転するからと、助手席に乗せられた。車線変更にヒヤヒヤ、車庫入れにヒヤヒヤ。これでは仕事をしているほうが楽だった(笑)。
 今日は、読書はほどほどにして、頭を休めようと心掛けているが、読みだしたら止まらない。えい、と本を閉じて、これからは休養時間にと思っているが、なかなか頭は止まってくれない・・・。
 仲間から近況報告のメールが届いている。みなさん、それぞれの場で活躍されている様子で一安心。情報も、ありがたい。こちらから報告することがないのが、さびしいと言えばさびしいが。

ゴールデンウィーク

 明日から世の中はゴールデンウィーク前半ということになるのかな。2日を休んだら何連休になるのだろう。と言っても、いまの私には無縁な計算でもある。

 時には早く帰宅することもあったけど、休みなしに働き続けてきた。わかってはいても、どうしてもやらなければならないことがある。丸一日家でゆっくり過ごしたのは、いったいいつだったっけ。
 休みなしに働き続け、最近では頭の回転も悪い。これでは良いアイデアも生まれてこないだろう。明日は何があっても休もうと思う。

 30日は朝から会議だが、午後には連休明けの重要な会議の準備を終わらせたい。1日はメーデー。2日には最終判断をして印刷を終わらせたい。3日は憲法記念日のつどい。なので、なんとしても2日に終わせて、4日と5日は連休を堪能するぞ。

 なんとも欲のないゴールデンウィーク計画だけど、命の洗濯と頭の休養はしないといけない。
6日からは、秋(冬?)の陣に向けて疾走だ。

原発事故 首相=これまでの政府答弁や対応は「間違っていた」

 26日の衆議院予算委員会で、首相が、これまでの政府答弁や対応は「間違っていた」と答弁した。また、政府が「国策として推進してきた」ことを認めると同時に、「一義的責任は東電にある」と答弁。過去に原発の危険性を再三にわたって警告されていたにも関わらず、「安全神話」を繰り返した政府と責任を認めた。
 しかし、東電の清水正孝社長は、「公正で迅速に対応するが、国の支援も必要」などと答弁。東電の加害者責任に頬かむりして、「税金で面倒を見てくれ」という呆れかえるばかりの言い分。

 これまで、国会で原発事故への警告が再三されていた事実を報道してこなかった新聞大手5紙の朝刊を読んだ。案の定だった。この昨日の政府答弁や東電社長の恥知らずの言い分を報道していない。驚くべき報道姿勢というしかない。これでは、国民は真実を見極めることが困難だろう。

 「しんぶん赤旗」の記事を以下に転載する。
 関連記事 http://www.jcp.or.jp/akahata/aik11/2011-04-27/2011042701_02_1.html

 「あってはならない事故が起こったのは、必要な対策もとらなかったからだ事故後も直ちに対策をとらなかった人災だ」―。26日の衆院予算委員会で、福島第1原発での事故を取り上げた日本共産党の吉井英勝議員。「安全神話」に立って事故を引き起こした政府と東京電力の責任が浮き彫りになりました。

首相、誤り認める
 吉井氏は、2005年から原発の全電源喪失による冷却機能喪失と炉心溶融の危険を再三にわたって国会で指摘していたにもかかわらず、政府は「多重防護でしっかり事故を防いでいく」(10年、直嶋正行経産相)などとしてまったく対策をとってこなかったことを指摘しました。

 吉井 これまでの政府答弁や対応は間違っていたと考えるか

 首相 事実として、間違っていたといわざるをえない。

 吉井氏が送電鉄塔の倒壊による外部電源喪失の対策をとっていなかったことを指摘すると、原子力安全委員会の班目春樹委員長も「耐震上の注意はしていなかった」と認めました。吉井氏は「『安全神話』にたって事故に備えてこなかったことが事故を引き起こした」と強調しました。

東電まかせの対応
 事故後の対応はどうだったのか―。吉井氏の質問に、菅首相は地震発生の3月11日夜には班目委員長に炉心溶融の危機を伝えられ「十分理解していた」と答えました。

 吉井 (首相は)原子炉規制法に基づいて東京電力にベント(蒸気排出)と海水注入を命じることができた。なぜ、直ちに危機回避の措置をとらなかったのか。

 首相 ベントをすべきだと午前1時30分に経産大臣から指示をだした。

 しかし、吉井氏は実際に法律に基づく命令は、ベントについては地震発生から16時間後、海水注入は29時間19分後になったことを指摘。「結局、電源喪失して炉心溶融に至る危険を知らされながら、東電まかせの対応だった」と批判しました。

 さらに吉井氏は、東電に放射能の放出状況など全データの提出もさせていないため、SPEEDI(緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム)やERSS(緊急時対策支援システム)が1カ月半にわたって機能していなかったことをあげ、「政府が『全力で収束させる』といっても東電いいなり、国家の機能を果たしていない」と指摘しました。

全被害者に補償を
 原発事故による被害は、住民の生活や仕事、子どもの教育をはじめ広範囲に及んでいます。

 吉井氏が全面的補償を求めたのに対し、東電の清水正孝社長は「公正で迅速に対応するが、国の支援も必要」などと答弁。吉井氏は「加害責任を忘れて、税金で面倒を見てくれというのはとんでもない」と批判し、首相にただしました。

 吉井 東電が農林漁業、中小企業をはじめ総ての被害者に補償させることを約束せよ。

 首相 国策として推進してきた。一義的責任は東電にあるが、適切な補償がするよう責任をもって対応する。

 吉井氏は「国策だといって事故を起こした。東電に被害者の全面的な補償をさせるのは当たり前だ」と強調しました。

◆福島原発事故の初動対応◆
【3月11日】
 14時46分 地震発生
 夜 原子力安全委員会の班目委員長「原子炉の圧力を下げ、圧力容器からベントしなければならない。それをしなければもっと大変なことになる」
  海江田大臣、総理に報告
【3月12日】
 6時50分 政府がベントを命令(地震発生から16時間後)
 10時17分 東京電力がベントを開始
 15時36分 1号機で水素爆発
 20時05分 海水注入命令(地震発生から29時間19分後)

いま、そして、これから

 いまを精いっぱい生きるだけでなく、これからのことを考えなければならない時期になってきた。人に今後を迫ることは、自らの今後を問うことでもある。9月以降のことをあまり深くは考えてはいなかったが、考えざるを得ない時期にきているようだ。
 しっかりと考えて判断しようと思う。人間は一人で生きているわけではない。自由と必然と括弧つきの偶然とのなかで、自らの生き方を考えるというのは難しい側面がある。
 まあ、私の楽天的な性格の側面をプラス方向にすすめることができればいいかな、と今は思っている。

ボランティア出発式

 本日、もうひとりの副委員長を団長に、岩手県陸前高田へのボランティアが出発する。ボランティアに参加する仲間には投票事務にたずさわっている人もいるので、新大阪を19時半に出発だ。その前に一時間ほど食事をしながら出発式を行うが、本日は東京に泊まり、明日朝から岩手に向かう。東京からはバスなので、到着は夜になる。
 これから第二、第三の長期ボランティアを送り出すが、今後は交通も回復していくのでもう少し楽になるだろう。とわいえ、現地での活動はたいへんだ。現地の仲間と連携しながら、がんばってほしい。

ブログを開設してから6年になるそうだ

 以下のようなメールが届いた。ブログを始めてからあと二日で6年になるとのこと。訪問回数は351,999件とのこと。最近は更新もままならないけど、6年間の蓄積はそれなりの財産とはなっている、と思う。


○━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━●
  ブログを開設してから、もうすぐ6周年!!
●━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━○

ウェブリブログに登録してから、あと2日で6周年になります。
ウェブリブログ事務局のまーさです。
ご利用いただき、ありがとうございます!

未来 ― 私達の力で歴史を動かそう!
http://f-mirai.at.webry.info/

この6年間にあなたのブログで生み出された訪問回数は・・・

351999 件 になります。

過去のブログを振り返ると、昔の自分が考えたり感じていたことから新たな気づきが生まれたりするものです。

最初に書いた記事は "「九条の会」に賛同します" でしたね
  http://f-mirai.at.webry.info/200504/article_1.html
2年目は "生きることと政治" でした
  http://f-mirai.at.webry.info/200604/article_1.html
3年目は "大阪の小林多喜二" でした
  http://f-mirai.at.webry.info/200704/article_12.html
4年目は "戦争と弾圧は手をつないでやってくる。~小林多喜二と治安維持法、憲法9条と治安体制~" でした
  http://f-mirai.at.webry.info/200804/article_16.html
5年目は "世界の小林多喜二研究" でした
  http://f-mirai.at.webry.info/200904/article_17.html
6年目は "加藤周一ドキュメンタリー映画 『しかしそれだけではない』" でした
  http://f-mirai.at.webry.info/201004/article_7.html

ブログを始めてから、あなたのライフスタイルは変わりましたか?
ぜひ、今の思いをブログに記録しておいてください。

後で見直すと非常に貴重な記録になります。

あらたな運動をどう展開していくか

 これからの運動をどうしていくのか。しっかりとした方向性を示すことはもちろんだが、それが実践できる基礎づくりが欠かせないだろう。その基礎ができていないというのが、決定的な欠陥かもしれない。試行錯誤や探求は必要だろうが、自覚的な人々の基礎づくりをおろそかにしてはいけない。
 そして、そのことをすすめるためには、やっぱり現状から、現実から、出発しなければならないだろう。どんなに時間がかかろうが、このことなしに、自ら、自らの力で、展望を自ら切り拓くことはできないだろう。
 あらためて、始めなければならない。原点に立ち返らなくてはならない。現実から出発し、現状を切り拓くための地道な運動を、あらためて基礎からはじめることを。
 経験主義や精神論だけでは、現実を変えることはできないだろう。さて、どう仕掛けるか、そんなことを考えている。これはかなり難しい挑戦になりそうだ。

ひどい「いびき」

 毎日、ひどい「いびき」をかいているそうだ。晩も朝も始終「いびき」をかいている、と言われる。朝、目が覚めても、すっきりしない。原因は、この「いびき」のようだ。
 疲れているせいだと思う。休みなしだということもあるが、精神的にも疲れているのかもしれない。昨日の結果にもどっと疲れたが、もう一方で冷静な自分がいる。

 現状を冷静に判断・分析し、次の一手を考えようとする自分がいる。まだ、具体像は見えていないが、「この運動の諸条件は、いま現存する前提から生ずる。」(『ドイツ・イデオロギー』)ということをふまえながら、懸命に模索している自分がいる。
 そして、早い時期に方向性を見出さなければならないと思っている。常に、こんなことを考え続けているから疲れるのだろうか。でも、私の脳は、やっぱり休んでくれない(笑)。

 まあ、今日は早く帰ってきた。今晩は、ゆっくり眠ろうと思う。

マスコミの役割って何だろう

 マスコミ報道を見ていて、腹立たしく思っている人が多いだろう。マスコミは、未曾有の大震災、制御不能の原発事故が起こって以降、どのような報道をしてきたのか。政府と東京電力の言い分を垂れ流すだけではないのか。財界の顔色をうかがった報道しかしていないのではないか。

 国民がいま知りたいことは何なのだ。これから、福島原発の事故はどう展開し、国民のいのちや暮らしにどのような影響を与えるのか。政府や東電の主張を鵜呑みにしていいのか。これらの疑問に応えるような正確な報道がされているようには思えない。

 多くの人が、マスコミ報道を批判し、声をあげている。その声を抹殺するのが、マスコミの役割なのか。島村先生のブログを読むとマスコミが報道しない驚くべき事実が次から次へと紹介されている。いまを「直視」するとはこういうことだ。

 ブログ「明日につなぎたい」にも、マスメディアの姿勢について次のように書かれている。

 不可解に思うことがある。マスメディアの姿勢である。共産党は早くから福島原発の危機を予見していた。そのとおりの事態が生じた。同党は原発政策の転換を先駆的に提案した。菅首相も否定しえなかった。大ニュースである。だが殆どの新聞、テレビでこれは見れなかった。真実であっても共産党のいうことは取り上げないということなのだろうか。ジャーナリズムの堕落・退廃の現われというしかない。こんな有様だから、地域主権とか地方分権とかを売りにしている諸政党が安心して原発を口にしないのも分かるような気がする。

 引用終わり。

 さて、このような事態のもとで行われている地方選挙についてはどうか。いっせい地方選挙の「全国一律延期」を求めた共産党の主張がどれだけ報道されたのか。橋下知事が政府に求めたという演説内容を紹介しても、共産党が求めたことは紹介しない。
 告示日には、相も変わらず「地域政党VS既存政党」が争点などと報道し、震災対策や原発問題が国民の関心であることを脇に置いた報道が続いた。さすがに、防災や安全が争点という書き方も増えてきたが、この争点はトップ記事にはならない。
 国民の関心や不安に応えず、世論誘導的な報道しかしない、恥ずべきマスコミの報道姿勢である。

 昨日の読売新聞の見出しは、「府議選『都』より『防災』」と書きながら、その世論調査の仕方は世論誘導から始まっている。問い1に、その姿勢が如実にあらわれているのに、そんなことは知らぬふりしての報道である。さすがに橋下知事への支持率が下がっていることは報道しているが、報道姿勢を見れば見るほど、呆れかえるしかない。

二人の演説

 今日、大阪ナンバで二陣営の街頭演説会があった。連続していたので、両方聞いてきた。一つは日本共産党。もう一つは大阪維新の会。いま、政治がなすべきこと、に対する訴えが対照的だった。
 志位和夫日本共産党委員長は、大震災、原発問題に対する政治の果たすべき役割について、具体的な提案を含めた話した。一方、橋下徹大阪維新の会代表は、大阪の「かたち」を問題に話していたが、いま国民や府民がどのような情報を求めているのか、これからどうなるのかに関する話はなかった。

 橋下氏の話に足を止める人もなく、聴衆もわずか、拍手する人も一部の人だけという状況だった。マスコミが書きたてる構図が、いかに作り物であるかを象徴する光景だった。マスコミの意図的な報道が世論誘導していることを実感した。

 原発報道はしても、東電批判をしないマスコミの体質を考えると、今後の報道方向が変わるかも知れない、とフッと思った。民主党が自民党との大連立に動き始め、自民党がそれに乗ろうとしている様相を示す中で、いわゆる「地域政党」を持ち上げる動機がなくなることになるだろう。そうなったら、報道姿勢が変わることが想像できる。
 大本営発表と世論誘導を恥じないマスコミの体質に、国民も府民も騙されないようにしよう。

3月の読書

 今日は3月31日。何の日かよくよく考えていなかったが、長年勤めた仕事を退職する日の人もいる。会議が終わって一服していたら、いつも身近にいた(場所としてではなく、心として)先輩が退職の挨拶に訪れてくれた。
 「どうしたん」と尋ねたら、「今日が退職だから挨拶に来た」と言われて、ハット、気付いた。まだまだ、ダメだよね。未熟だよね。わかってはいたのに、自分の仕事のことで頭がいっぱいで、人の気持ちに気付けないでいる。気のきいた言葉をかけることもできなかった。
 それが、いまの私の限界かもしれないけど・・・。いつも要所要所で、心を支えてくれた先輩の存在を感じながら、「ありがとう」もなかなか言えない。この性格を少しは変えないといけないと思う。

 あとで、ハット気がついて、追いかけて、「卒業祝いをさせて欲しい」と誘った。これも、私の都合を押しつけてしまったかもしれない。でも、私の気持ち・・・。
 もうやめよう。

 今度は、ゆっくりと飲みたいな、そう思っている。いつになるかは、まったくわからないけど・・・。

 ありがとう。本当にありがとう。

 話は変わる。石川康宏さんの 『マルクスのかじり方』を読んだ。構成上、ダブるところがあるのは欠点だけど、いまなぜマルクスなのか、学ぶとはどういうことか、生きるとはどういうことか、社会のあり方はどうなのか、などなど、今こそ考えるべき問題がわかりやすく述べられている。お薦めの一冊だ。

 今月の読書は以下のとおり。忙しいからこそ、「これだけ読んだ」という方向は、石川康宏さんの、言わんとすることに合致していると思った。消化できているかどうかは別だけど。

画像井上ひさし 『この人から受け継ぐもの』
福地保馬 『ディーセント・ワークの実現を』
辻井  喬 『私の松本清張論』
農文協編 『TPP反対の大義』
佐々木譲 『カウントダウン』
今井伸英 『歴史と社会の唯物論』
吉富有治 『橋下徹 改革者か壊し屋か』
堤  未果 『社会の真実の見つけかた』
廣宮孝信 『TPPが日本を壊す』
画像友寄英隆 『「国際競争力」とは何か』
イースト・プレス 『あらすじとイラストでわかる資本論』
津上  忠 『作家談義』
湯浅誠・一丁あがり実行委員会 『活動家一丁あがり!』
野呂栄太郎 『日本資本主義発達史(上)』(岩波文庫)
野呂栄太郎 『日本資本主義発達史(下)』(岩波文庫)
不破哲三 『不破哲三 時代の証言』
石川康宏 『マルクスのかじり方』 必読書
スティーブ・シップサイド 『わくわく「資本論」』 タイトルに騙された。こんな本は読まなくていい