10月の読書

 新しい生活スタイルに入った10月、少し時間的余裕というか、読書タイムが増えた。もちろん、腰を据えた時間ではないが、移動中や休憩時間、待ち時間などに集中する時間が増えたということだけど。
 しかし、9月までの過密労働の影響が確実にきたのも今月だった。心配をかけてはいけないので、誰にも言わなかったが、10月の体調は最悪だった。家にたどり着くとゼーゼーと身体中で息をしないといけないほど疲労していた。夜になったら発熱する持病が毎晩続き、苦しい一カ月だった。
 昼間は元気で(どうしてか人の前では元気に振る舞っている)、家にたどり着いたら、身体中で呼吸して、大いびきをかいて寝ているそうだ。しんどい朝が何日も続いたが、気合いでスイッチを入れて(これがいけないんだろうね)、なんとか誤魔化してきた。
 そんな生活を続けながら、休日に12時間くらい睡眠をむさぼって、やっと今朝くらいから普通になってきた。もうそろそろ、これまでの経験から、元に戻るだろうと思っている。ということなので、ご安心を。

 倒れた義母の見舞いに行くこともしなかった。ずっとずっと気になっていた。「長崎だから」と自分を納得させてきたが、今も言葉も発せられない状態の義母が気になっていた。11月6日に義父の7回忌がある。5日に出発して、遅ればせながら7日に義母の見舞いをして8日に帰ってくる予定だ。

 以下、10月の読書記録。とくに、小森陽一編『3・11を生きのびる 憲法が息づく日本へ』はお薦めだ。最後2編はいまいちだったが、全体的に、今日考えなければならないことの論点が整理されている。憲法が息づく日本の実現こそが、未来を拓くことにつながる道だろう。

画像脇田滋編 『ワークルール・エグゼンプション』
豊田直巳 『フォト・ルポルタージュ 福島原発震災のまち』
小林多喜二/十和田操/宮本百合子 『百年文庫79 隣』
みやぎ教育文化研究センターほか編 『3・11あの日のこと、あの日からのこと』
田口ランディ 『ヒロシマ、ナガサキ、フクシマ』
大阪自治体問題研究所編 『大阪大都市圏の再生』
田島一  『時の行路』
堀江邦夫/絵=水木しげる 『福島原発の闇 原発下請け労働者の現実』
画像山岡俊介 『福島第一原発潜入記』
西尾成子 『科学ジャーナリズムの先駆者 評伝 石原純』
大木聖子・纐纈一起 『超巨大地震に迫る』
志村嘉一郎 『東電帝国 その失敗の本質』
山家悠紀夫 『暮らし視点の経済学』
福祉国家と基本法研究会 『新たな福祉国家を展望する』
小出裕章 『原発のない世界へ』
大阪の地方自治を考える会 『「仮面の騎士」橋下徹独裁支配の野望と罠』
画像佐野眞一 『津波と原発』
小森陽一編 『3・11を生きのびる 憲法が息づく日本へ』
奥村直史 『平塚らいてう』
高寄昇三 『翼賛議会型政治・地方民主主義への脅威』
佐多稲子 『私の東京地図』(講談社文芸文庫)
澤井勝ほか 『大阪都構想Q&Aと資料』
田中利幸/ピーター・カズニック 『原発とヒロシマ』
浅川凌  『福島原発でいま起きている本当のこと』
土屋 保男 『マルクス エンゲルスの青年時代』

昼休みの読書

 10月以降も相変わらず忙しい日々を過ごしている。昼間は仕事、晩は労働組合。昼間も休暇を取って労働組合の日も多い。まあ休暇にも限度があるので、いまの活動スタイルは年内だと思っている。来年からは、昼間は仕事、晩は労働組合活動というスタイルになるだろう。

 仕事に復帰して、もうすぐ一カ月になるが、気がついたら昼休みを取っている(当たり前だけど)。労基法の基本は「いっせい休憩」だけど、専従役員をやっていると「いっせい休憩」とはいかない。昼ご飯を食べる時間だけはみんなで昼食時間にしていたが、何時何分から何時何分ということにはならなかった。良くないけど、これが労働組合の現状でもある。

 いま、事務所についてから始業時までと、昼休みを、2年前と同じように読書タイムにしている。この時間だけで1日に50ページは読めるから、けっこうな時間だ。まあ、専従期間も移動中を読書タイムにしていたので、そんなに読書量が増えるわけではないが、昼休みにゆっくり読書できるというのはいいものだ。

 いま、みんなの読書量が減っているが、「知る」ことや「知ったことを活かすこと」、「自分の頭で考えること」の愉しみを知って欲しいと思っている。少し、学習活動にも力点を入れて、独習の習慣を一人でも多くの人に広げたいと思っている。

 ショックだったのは、というか唖然としたのは、今年から専従になった役員に、どれくらい本を読むかを聞いたら、年に4冊か5冊だという。空いた口がふさがらなかった。これは何とかしたい。

経済!経済?経済?? 人の命・健康・暮らしは二の次か!

 本日は、「橋下・大阪維新の会VS明るい会・よくする会」の公開討論会と「原発ゼロの会・大阪」の発足の集いに行ってきた。
 橋下・大阪維新の会の主張は、経済、経済、経済、経済成長がすべてを解決するかのような言い分だった。失業者が増えている、高卒・大卒卒業者の就職率が低い、大阪の非正規労働者が多いことを認めながら、結局は経済が良くなれば解決するような言い分だ。

 企業が儲かれば、賃金が自動的に上がるかのような発言、雇用問題が解決するかのような発言。しかし、企業は「儲かったら賃金を上げる」とか、「儲かったら正規雇用を増やす」と言っているのだろうか。
 ノーだ。大企業は、「労働者派遣法をやめたら国際競争力に負ける」とか「賃金を下げないと国際競争力に負ける」とか言って、どんどん内部留保を増やし続けているのに、安定雇用や賃上げを拒否しているではないか。企業が儲けても、内部留保は増えても、労働者の賃金が下がり続け、非正規労働者が増え続けてきたのが事実なのだ。
 その事実をまったく顧みることなく、経済が良くなって、企業が儲かれば、すべてが解決するような言い分は詐欺でしかない。
 そもそも、経済、経済、経済と言って、人の命をどうするのか、人の健康をどうするのか、人の暮らしをどうするのかについてなど、すべてが経済問題の後回しにされている。まったく逆さまの論理である。

 教育基本条例の問題点を指摘されると、そのことには答えずに別のことを答える。あげくのはては、高卒の6割しか正規の職につけない現状があるから、競争力をつけて勝ち残れるようにするためだと主張する。だったら、その競争に負けた4割の学生はどうするのか。きっと、維新の会は、10割が勝ち残れるようにするために、というのかも知れないが、可笑しな話した。そもそも、正規の椅子が6割しかないのに、その椅子を増やさずに、どうやって10割の人間を座らせるというのか。

 まあ、呆れた主張に、唖然とした。

 「原発ゼロの会・大阪」の発足の集いに参加して、あらためて思ったが、原発推進論者は「日本経済を守るためにも原発の早期再開を」というが、ここには人の命と健康を優先するという思想がない。
 日本経済のためには、人は命も健康も後回しにしろというのは、とんでもない思想だ。人なくして経済はあり得ない。人あっての社会ではないか。
 「資本の論理」との決別こそが、人間社会の未来を拓くのだ。「資本の論理」を優先する勢力に未来は託せないことは明白だ。

科学と哲学と芸術

 西尾成子著『科学ジャーナリズムの先駆者 評伝 石原純』を読み終わった。これは書き残しておかなければという石原純の言葉がいくつもあった。あの時代に、科学的考察を貫いたことにまず敬意を感ずる。そして、最後の死に唖然とする。生きていれば、戦後にどのような活躍をしたか、みたかったものだ。

 以下、いまも重要だと思われる論稿を紹介する。

 「われわれの論理における矛盾を避けようとするなら、その思考の法則を変え改良していかなければならない、すなわち、われわれの思想・観念・概念といったものを、与えられた自然に相応するように改めねばならない、最近の物理学の進展、たとえば相対論による時間空間概念、物質が原子、電子からなることの実験上の事実、に適応するように、変えねばならない、ここに自然科学と哲学の最も密接な交渉が存在する」(「自然科学と哲学」1915年)

 「科学者といえども政治や経済に対する関心と正しい認識とを必要とする。・・・。とくにその仕事の本質において最も国際的普遍性を有すべき科学者においては最も多くのことに対する自覚を保持して社会的な政治経済機構への正常な批判につとめることが肝要であると思われる」(『科学』巻頭言1936年)

 「およそ くろいものほど ひかる。いましめられる非常時の なにとない おののき。
巷に氾濫する国防映画。それで 都市までが 三角形に見えてくる。」(「黒体輻射」1936年)

 「科学教育では科学的に知られたことばかり教えるのではなく、同時にこんにち科学的に知られていない事柄がいかに周囲に満ちているかを十分に説明しておくことが必要である。さらに子どもたちが自発的に疑問を起こすように、しかも適切な疑問を起こすように導かねばならない。子どもたちの質問に対してはなるべく子どもたち自身で解答をみつけださせるように指導しなければならない。個々の問題について、科学的に思考するように導くことが大切である。」(「科学教育の原理的認識」1939年)

 「芸術において創造的能力が必要であることはいうまでもないが、芸術といえどもそれが完成したうえでは合理的かつ実証的でなければならないのであって、そうでなければ多数の人を感動させることはできないはずだ。ここに科学と芸術とが人間文化の最高の産物であることを真に理解することができるのである。要するに科学を進め、芸術を創作することは、つまりはこの地上の自然に秘められている真実の世界を覗い知ろうとすることに外ならないのであって、ここにこそ人生の最大の喜びがあるのはむしろ当然の事柄である。」(「科学と芸術」1941年)

西尾成子著『科学ジャーナリズムの先駆者 評伝 石原純』

 3・11以降、大震災や原発に関する本が続々と出版されている。3・11を「科学」的に考えるために、それらの書をむさぼり読んでいる。同時に、執筆者の観念に振り回されず、自分の頭で考えるために、古典と科学を学び直すことの重要性を感じている。
 とはいえ、まずは現状の認識が必要だとしゃかりきに現状認識に努めてきた。これはこれで大事だが、急がば回れ、も必要かもしれない。そんなことを考えながら、現状認識を中心にしながらも、本を漁っている。

画像 そんな折、西尾成子著『科学ジャーナリズムの先駆者 評伝 石原純』が出版された。島村先生とのお付き合いや、アインシュタインと山本宣治の対談などの知識がなければ、見逃していた一冊かも知れない。
 数年前まで、石原純の名前さえ知らなかったのだから。

 まだ読み始めたばかりだけど、19世紀から20世紀にかけての科学の発展、とりわけ物理学やアインシュタインの相対性理論がどのような受け止められ、どのように受け入れられていったのか、極めて興味深い時代の話、その時代を科学の目を持って生きた石原純の評伝は、今まさに読まれる必要があるのかも知れないと思わせる執筆ぶりである。

 「いまからみれば、1900年前後の物理学は大激動の時代を迎えようとしいた」と、科学的認識の発展・進化を興味深く(科学的かつ哲学的に)見続けている人々にとっては、見過ごすことのできない時代であり、画期である。

 「自然科学の領域においてにしろ画期的な発見がなされるごとに、唯物論はその形態をかえなければならないのである」とエンゲルスは喝破したが(『フォイエルバッハ論』)、19世紀の科学の画期的な発見を正面から受け止めた石原純の思考力を私たちは学ぶ必要があるだろう。

 本書は、19世紀から20世紀にかけての科学・物理学の発展に興味のない人にとっては、ちんぷんかんぷんの内容かもしれないが、わかる人には見逃せない一冊だ。

 3・11を契機に社会のあり方が見直されているが、科学の分野でも注目すべき提起や発見があるかもしれない。
 自然を知ることは、人間の生き方を、社会のあり方を知ることでもある。自然と無関係に人間は生きられない。どれだけの人が、そのことに気づいていようがいまいが、人間は自然の一部でもあるからだ。

 ついでに、最近私が注目している科学のあらたな発見(?)のその後に注目しているのは、①生命の元となる炭素などの生成と地球の生命誕生の謎、②ホモ・サピエンスとネアンデルタール人との混血の有無、③ニュートリノが光の速度を超えたという実験結果の真偽、などであるが、私にはそれを判断する知識はない。
 それでも、批判的に検証する認識力だけは高めていきたい。

 本書に、「彼が人の理論を無批判に鵜呑みしないという点は、評価されてもいいだろう」とあるが、これこそが一番大切なことである。マルクスのモットー、「すべてを疑え」「自分の頭で考えろ」こそが、明日を切り拓くだろう。

11/10 <シンポジウム>草稿ノート・直筆原稿に見る小林多喜二 ;創作の軌跡

 ブログ「「蟹工船」日本丸から、21世紀の小林多喜二への手紙。」に、11月10日の「 <シンポジウム>草稿ノート・直筆原稿に見る小林多喜二 ;創作の軌跡」の案内が紹介されている。
 シンポジストは、多喜二研究の現代的意義を深めているメンバーだ。行きたい。行きたい。

 しかし、しかし、いまの状況では、大阪府知事選挙の告示日だ。うーん、やっぱり行きたいけど・・・。

 でも、行きたいなぁ。
 島村先生にも、神村さんにも、尾西先生にも、久々に会いたいなぁ。

 以下、転用。 

「草稿ノート・直筆原稿に見る小林多喜二 創作の軌跡」
 第13回図書館総合展(パシフィコ横浜) 第3会場(アネックスホール203)
 11月10日(木)15:30-17:00 [受付開始15:10]
 主催:(株)雄松堂書店

 島村 輝氏(フェリス女学院大学 教授)(座長)
 日高 昭二氏(神奈川大学 教授)
 尾西 康充氏(三重大学 教授)
 神村 和美氏(東京学芸大学 助手)

 貴重な遺品資料として永らく丁寧に保存されていた多喜二の創作ノート15冊2000ページと、日本各地に散在していた直筆原稿類800枚が2011年2月、DVD版資料集としてまとめられた。多喜二のノート稿類には普段一般読者の目に触れることのない、作家の血のにじむような文学的営みの痕跡が、赤裸々に残されている。一例として代表作「蟹工船」を挙げるなら、このDVDにはその草稿ノート・直筆原稿・初出誌(「戦旗」掲載)が収録されており、それらを綿密にたどることによって成立過程でこの作品の本文がどう変化していったのかを明らかにすることができる。非合法の地下活動中に、若くして世を去った多喜二の作品は、その生成過程に不明な点が多かったが、そうした謎がとかれてゆくことが期待される。近代文学の分野で今注目されている草稿研究の分野に新たな一石を投じることになろう。

生活パターン

 仕事復帰して生活パターンが変わったが、慣れるまでは苦労しそうだ。終日、労働組合に専念していたのが、仕事中は仕事に専念しなければならない(当たり前だけど)。そして、夜は労働組合。まずは、この切り替えが必要。
 そして、2年前と仕事のシステムが大幅に変わっている。この新しいシステムに作業内容を従わせなければならない。何も便利になっているわけではないのに、「効率化」という名のもとに部分委託があるがゆえのシステム変更だ。
 以前なら、今日作業したものは明日には反映するのに、現在は、明日は委託業者の作業日で、明後日にならないと続きができない。仕事を切り売りした結果、バカバカしい手順を踏んでいる。以前なら3日間で終わった仕事が1.5倍かかる計算になる。ホントにバカバカしい。

 何はともあれ、まだ復帰したばかりだが、モノ言わぬ日はない。仲間は予測していたように、「やっぱりそういうと思っていた」と喜んでいる(笑)。現場でモノ言う労働組合役員として、新システムを早々にマスターすることにする。

 読書時間が少しだけ増えた。労働組合内での学習活動の推進にどう取り組むのかを今後のひとつの課題にしたい。

9月の読書

 9月30日の会議で、休職中の最後の役職も解任された。明日は復職初日として仕事に行く。2年間には沢山のことがあったけど、終わってみるとあっという間だった。今月からは非専従の役員として、晩や休日の活動が中心になる。2年前と環境が変わっているので、しばらくは生活リズムあわせが大変かもしれないなぁ。
 まあ、元気に頑張るつもりだ。9月の読書は以下のとおり。読んでも、読んでも、読みたい本が山済み。10月からG.W.F.ヘーゲル『論理学講義 ベルリン大学1831年』をテキストにしたゼミがあるのだが、毎週月曜日。月曜日は労働組合の定例の執行委員会があるので受講できない。残念。
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G.W.F.ヘーゲル 『論理学講義 ベルリン大学1831年』
広瀬隆・明石昇二郎 『原発の闇を暴く』
倉田  薫 『拝啓大阪府知事橋下徹様』
メディア総合研究所他編 『大震災・原発事故とメディア』
斎藤治子 『令嬢たちのロシア革命』
野里征彦 『罹災の光景』
別冊宝島 『原発の深い闇』
広河隆一 『福島 原発の人びと』
レーニン  『マルクス主義の三つの源泉と三つの構成部分/カール・マルクスほか』(科学的社会主義の古典選書)
画像宮台真司×飯田哲也 『原発社会からの離脱』
荻野富士夫 『太平洋の架橋者 角田柳作』
上杉隆・烏賀陽弘道 『報道被害【原発編】』
ルイーゼ・カウツキー編 『ローザ・ルクセンブルクの手紙』(岩波文庫)
市川恵子 『フクシマからの手紙』
メディア総合研究所編 『メディアは原子力をどう伝えたか』
川上武志 『原発放浪記』
レーニン 『プロレタリア革命と背教者カウツキー他』(国民文庫)
花丘奈果 『私は橋下知事に一票入れました』

非正規の仲間

 昨日は、ひとりでも入れる非正規の労働組合の定期大会と交流会があった。この労働組合の委員長も事実上退任した(次期役員の信任投票が来月初めまで)。なんだか寂しい。
 大会終了後、非正規の仲間の交流会を開催。昨年はじめて開催して、今年が2年目だ。多くの仲間が、現場での悔しい状況や労働組合の必要性、たたかう決意などが語られた。この交流会をはじめた私の思いに対して、賛意もいただいた。ありがたいことだ。
 あと、ひとつ役職が残っている。22日の大会で退任予定。

復職

 2年間の約束で引き受けた専従役員を昨日の大会で退任した。今月末までに引き継ぎを済まして、10月からは職場復帰だ。慣れるまで、リズムづくりが必要だけど、ボチボチ慣らしていくことにする。

8月の読書

 8月の読書。

画像丸山重威編 『これでいいのか福島原発事故報道』
二宮厚美・田中章史 『福祉国家型地方自治と公務労働』
平野喜一郎 『入門講座『資本論』を学ぶ人のために』
藤林和子 『原発の空の下』
山下文男 『哀史 三陸大津波』
山田善二郎 『アメリカのスパイ・CIAの犯罪』
高宮  守 『科学的考え方』
石川康宏 『人間の復興か、資本の論理か 3・11後の日本』
井形正寿 『「特高」経験者として伝えたいこと』
画像菅谷  昭 『新版 チェルノブイリ診療記』
大浦ふみ子 『歪められた同心円』
レーニン  『共産主義者における「左翼」小児病』(国民文庫)
不破哲三 『レーニン「カール・マルクス」を読む』
安斎育郎 『これでわかるからだのなかの放射能』
小出裕章 『原発はいらない』
レーニン  『国家論ノート』(国民文庫)
石橋克彦編 『原発を終わらせる』
巽  好幸 『地球の中心で何が起こっているのか』
レーニン  『国家と革命』(国民文庫)
武田  徹 『原発報道とメディア』
吉岡吉典 『「韓国併合」100年と日本』
堀田善衛 『広場の孤独』

新しい歴史の扉の前で

 社会の矛盾が数多くのひずみを引き起こしている。「閉塞感」という言葉が語られるが、「閉塞感」は受け身の言葉。「閉塞感」は、社会のひずみに立ち向かう気力が失われつつある時の消極的な言葉のように、聞こえてくる。
 矛盾あふれる社会を変えるのは、英雄でもなければ、独裁でもない。ひとりひとりの人間が、とても開きそうにもないと思われる歴史の扉を何としてもこじ開けようという意志を持った時、歴史は動いた。重くて、硬くて、一人の人間ではビクともしない扉も、幾万、幾百万の力が合わされれば、開くことができる。
 きっと、いまは、そんな時代。いや、そうしなければならない時代をむかえている。

 自覚的にか、無自覚かは別にして、多くの国民が、「このままではいけない」と思っている。そして、自覚的にか、無自覚かは別にして、多くの人々が「どうすればいいのか」を考え始めている。
 自覚的な人が、確信をもって、この扉をこじ開けることはできるのだと語らなくてはならない時代を迎えている。いや、語らなくてはならない。そのことが新しい歴史の扉を開く、近道を教えることになるだろう。このことに確信を持てるかどうかが問われているのではないか。
 一人ひとりの人間の力は微力でも、一人ひとりの力が集まれば大きな力になる。その力が集まれば、新しい歴史の扉はきっと開くだろう。

連載37回目(第ニ部7回目)

 連載原稿の締め切りがきた。発行日(9月1日)を考えて、民主党代表選の結果を先読みして書いたが、概ねハズレはしないだろう。それにしても、社会の激動期ゆえに、発行日を想定した予測原稿が必要な時代になっている。
 これまで、予測を外したことはないけど、これから先は、そうもいかないかもしれない。この変動期はもう少し続くだろう。新しい社会の担い手を、国民が選択できるように、私たちがもっと頑張らないといけないだろう。その気概を持つ人間をもっと増やさないといけないだろう。
 私は、いつも前向きだけど、「閉塞感」(?)に負けている人が多すぎるのではないか。ここを打破しないといけないだろう。だいたい、展望を示せ、という声があるが、展望を自らの手で拓こう、という人がどれだけいるか。いつの時代も、展望は自ら拓くものではないのか。
 その気概を持続する要は、学習だ。未来への確信と実践による検証こそが重要だ。

石川康宏著『人間の復興か、資本の論理か 3・11後の日本』

 石川康宏著『人間の復興か、資本の論理か 3・11後の日本』を、大震災からちょうど5カ月目の8月11日に読み終わった。感想を書く時間がなかったので、今日になったが紹介だけしておきたい。
 タイトルに石川先生の思いが込められていると思う。大震災後、私も同趣旨の思いを抱いている。今度の定期大会の方針への思いとして、「人の命とその尊厳を第一義にした憲法を守り活かす国づくり」をひとつの柱にした。「人間の復興」に通じるし、「資本の論理」でなく憲法の精神をくらしのすみずみに活かす国づくりこそが必要だと思っているからだ。

画像 目次を見て、驚いた。石川先生の言いたいことが目次に吹き出しみたいにして端的に書かれているのだ。
 第1章「震災復興は『資本の論理』とのたたかいである」には、目次の吹き出しに、「なぜ原発事故が起きたのか」「なぜ被災者のためとは思えない復興策が次々と提案されるのか」・・・それを根底にある「資本の論理」から読み解きます。
 第2章「民主党政権がめざしているもの」には、民主党はなぜここまでふらつくのか。「政策とカネを財界が提供し、政府が政策を実行する」という日本の政治構造の根本を解明します。
 第3章「「構造改革」がゆがめたこの国の形」には、自民党・民主党政権で進められ、「震災復興」「経済復興」の名のもとで進められる「構造改革」路線とは何なのか。「構造改革」を進めた結果、日本社会はどうなったのか。その幻想をはぎとります。
 第4章「「道州制」と住民の自治」には、道州制・地域主権改革・・・大阪・橋下府知事が進める「大阪都」路線で、自治体はどうなっていくのか。そこにも中央・関西の財界の影が。
 第5章「「新しい日本」をどうつくっていくのか」には、被災者たちの尊厳の復興をどう進めるのか。それを押し進める「新しい日本」をどうつくっていくか。内需に支えられた経済成長が必要です。
 第6章「政治に強い市民になろう」には、社会を変えて行くにはどうすればいいのか。近道は市民のみんなが賢くなること。私たち一人ひとりが賢くなる学びの方法を最後に提案してみます。
 という具合の「吹き出し」付きの目次だ。

 これだけ紹介しただけで、本書がどのような意図で書かれたかは明快だ。しかも、その中身は、具体的な「資本の論理」を詳しく掘り下げ、また、いま現在民主党政権や自民党などが「人間の復興」ではなく、「資本の論理」をひたすら推し進めようとしていることがわかる。また、橋下大阪府知事や「大阪維新の会」の進めていることも「資本の論理」であることを示している。
 そして、「新しい日本」を、何より「人間の尊厳の復興を、との主張は重要だ。「被災者たちが、もう一度立ち上がることのできる土台をつくることが急がれなければなりません」との主張に同感だ。

 ここ数年、『資本論』を機会あるごとに読み直しているが、『資本論』が分析した資本主義の「法則」がそのまま当てはまる「資本の論理」を、具体的に読み解く内容も豊富にある。一読をお薦めする。「社会を変えて行くにはどうすればいいのか。近道は市民のみんなが賢くなること」だ。

義母の容態

 昨日と今日と久々の連休だった。昨日は出掛けたが、今日は一日読書タイム。久々にゆっくり読書タイムが取れ、リフレッシュした。
 明日、明後日と長崎に息子と車で帰る相談をしていたが、やっぱり行けなくなった。現在、妻が帰っているが、義母の容態は持ち直した後、少しずつ変化があるようだ。話すことはできないが、目を開いて頷くこともあるという。少しずつだが、ゼリー状のものを口にすることもできているようだ。このまま順調に回復すれば、点滴による栄養補給も必要なくなり、車椅子生活なら出来る可能性が出てきたそうだ。ただ、言語障害が残る可能性が極めて高く、社会復帰が出来ても、義母のおしゃべりをもう聞くことができないことは覚悟しておかなくてはならないだろう。
 このような情報が妻が帰らないとわからない。これはこれで心配だ。9月には私も義母に会いに行きたいと思っているが、秋の陣との関係でどうなることやら。

新年度の方針作成にメド やれやれ

 9月の定期大会への方針つくりに7月から取り組んでいたが、本日、方針への最終手入れと必要な手続きが終わった。やれやれだ。
 これで急な仕事が入らなければ、今年は何日か夏休みが取れそうだ。かなり疲労が蓄積しているから、そろそろ休み時だと身体も教えてくれているようだ。

 8月の21日から23日まで全国大会だが、最終日に大阪の代議員のトリとして発言する機会がまわってきた。東日本大震災を受けて、全国の代議員の発言が片寄ることが想定されるだけに、単純な発言準備だけでは十分な発信はできないだろう。全国の発言を聴いた後で、軌道修正が必要なことも想定しながら、太い柱での今日の運動のあり方を大所的に語ることができるようにしておきたい。

 大阪の定期大会は9月。約束の任期がきたので退任予定だ。残す期間は短くなったが、最後までベストを尽くしたい。

「独裁知事さん、さようなら。憲法知事さん、こんにちは」の大運動を

 橋下知事が8月2日のツイッターで、「今大阪府議会では大阪維新の会は過半数があります」「税金の上げ下げに始まり、府民に義務を課すかどうかまで、最終的に大阪維新の会で決定できる。」と発信している。
 「今の日本の政治に一番必要なことは独裁」と公言した橋下知事の本音がまたまた示されている。とんでもない認識だ。

 3・11東日本大震災後の政治、福島原発事故をめぐる「やらせ」問題や無責任体質を知るにつけ、この国の政治が蔑にしてきた憲法の精神を活かすことこそが、この国のあり方を再生する道だと確信している。

 今の日本の政治に一番必要なことは「独裁」ではなく、「憲法の精神」を活かすことだ。

 かつて、「公害知事さん、さようなら。憲法知事さん、こんにちは」と黒田革新府政を実現した。過去のスローガンの再生になるが、あらためて「独裁知事さん、さようなら。憲法知事さん、こんにちは」の大運動が、いまこそ必要だ。
 同時に、人類と共存できない原発をなくすことは人類的課題になっている。「原発推進勢力さん、さようなら」の大運動を大阪からもすすめることが緊急課題だ。

6月と7月の読書

 6月の読書記録を残すのを忘れていた。7月とまとめて記録しておく。今日は自宅で大会方針などの仕事をしている。7月はかなりのハードスケジュールの合間に方針つくりを並行して行ってきたが、8月はどうなることやら。昨年は夏休みを1日取っただけだが、今年は取れるのだろうか。

画像松田解子 「世の樋」(松田解子自選集『髪と鉱石』収録)
松田解子 「山桜のうた」
安斎育郎 『福島原発事故』
松田解子 「ある生き残りからの聞き書き」
松田解子 「生きものたちと」
村岡俊三 『グローバリゼーションをマルクスの目で読み解く』
楜沢  健 『だから、鶴彬』
マルクス  『資本主義的生産に先行する諸形態』
松田解子 「恩師とワタの木」
画像松田解子 「白い小石から」
松田解子 「髪と鉱石」
松田解子 「ある坑道にて」
新船海三郎 『文学の意志、批評の言葉』
雨宮処凛 『ドキュメント雨宮革命』
夏目漱石 『坑夫』
牧野広義 『資本論から哲学を学ぶ』
中村和雄ほか 『非正規をなくす方法』
佐多稲子 『歯車』
画像小出裕章 『原発のウソ』
野口邦和 『放射能の話』
山形暁子 『女たちの曠野』
林京子著 『被爆を生きて』
工藤  晃 『マルクス「資本論」とアリストテレス、ヘーゲル』
テリー・イーグルトン 『なぜマルクスは正しかったか』
小林セキ 『母の語る小林多喜二』
室崎益輝ほか 『震災復興の論点』
野呂栄太郎 『野呂栄太郎全集』下巻
菊池洋一 『原発をつくった私が、原発に反対する理由』
高寄昇三 『大阪市存続・大阪都粉砕』
黒岩比佐子 『パンとペン』
福本和夫 『日本捕鯨史話』
石川真澄 『人物戦後政治』
坂崎紫瀾 『汗血千里の駒』

集中力と精神力と体力

 ここ数週間、頭をフル回転させて、いくつもの仕事を並行して考えている。我ながら集中力がよくもこれだけ続くものだと感心しているが、さすがに朝起きにくくなってきた。精神力で乗り切れたとしても、体力は消耗している、ということだろう。
 おかげで、朝の読書タイムを確保するのが難しくなってきた。これから、いくつかのヤマがある。健康管理に留意しながらも、それなりの仕事は仕上げておきたい。いま、集中力と精神力が持っているのは、このことがあるからかもしれない。
 体力には自信がないけど、なんとか9月までは頑張れると思ってはいるが。

「蟹工船―二一世紀丸」物語 第二部

 「蟹工船―二一世紀丸」物語第二部の第6回目の締め切りが近付いてきた。第二部の連載を始めたとたんに東日本大震災と福島原発事故が発生。大震災と大津波、原発問題にも言及しながら、当初の構想を書き進めている。とはいえ、1回1,000字の中で両方を書き進めるのには時間がかかる。
 第1回目で予告した『資本論』を考えるための準備体操に入れそうなところまでやっときた。試行錯誤の雑文で終わるのか、河上肇の『貧乏物語』から『第二貧乏物語』への発展へと進むのか、私にも全体像は見えていない。ただ、河上肇が『第二貧乏物語』に進んだ気持ちが、いま分かるような気がする。

東日本大震災チャリティー Kei.Sugar コンサート

画像 ケイ・シュガーさんのコンサートが9月4日(日)14時から行われる。行く気満々だったが、仕事が入ってしまった。たぶん、委員長代理として最後の仕事になるので、辛い選択だ。
 みなさんはぜひ参加してください。

日  時 2011年9月4日(日)14時開演
場  所 阿倍野区民センター小ホール
入場料 一般2,500円(一部を東日本大震災救援に役立てます)

1946年に『母の語る小林多喜二』が発行されていたら

 小林セキ述『母の語る小林多喜二』を読んだ。まだ読んでいない人のために内容には触れないが、もし『母の語る小林多喜二』が1946年に発売されていたら、あるいはこの原稿が埋もれていなかったら、小林多喜二伝に追加されるべき内容が複数ある。手塚英孝『小林多喜二』執筆時に確認調査が行われていただろう、と思われる。
 もちろん、1946年時点のセキさんの記憶であり、思いこみや記憶違いもあろうが、貴重な内容である。今後、多喜二の生涯について書く場合、この『母が語る小林多喜二』を念頭に入れなければならないだろう。田口タキさん、伊藤ふじ子さんのことも、追加されることになるだろう。
 セキさんが、「多喜二はその忙しい中でも何か一つの希望を持ってひたぶるその方向へ進んでいたと思われる位、張り切っていました」と親の目からみていたことに納得。また、多喜二が「犠牲」について、「その犠牲の一人とならなければならぬ自分は、そんなら不幸な者かと云えば、それは決して不幸とは考えて居らず」と語っていたというくだりは、多喜二としてはそうだよな、と思いながら読ませてもらった。
 ぜひ、一読を。

小林セキ述『母の語る小林多喜二』

画像 小林セキ述『母の語る小林多喜二』が発売された。本日の「朝日」北海道版に「母が語る 多喜二の歩み 書庫で見つかる」という記事が掲載されている。また、「潮流」にも小林セキさんと多喜二のことと本書のことが書かれていた。

「母が語る 多喜二の歩み 書庫で見つかる」
 asahi.com> マイタウン> 北海道> 記事>
 http://mytown.asahi.com/hokkaido/news.php?k_id=01000001107150005
2011年07月15日
 プロレタリア作家小林多喜二(1903~33)の母セキ(1873~1961)から聞き書きした原稿が、小樽商大の荻野富士夫教授=日本近代史=によって小樽文学館の書庫で見つかった。多喜二の生い立ちなどが記されており、「母の語る小林多喜二」(新日本出版社、1470円)として出版された。
■埋もれた聞き書き 本に
■小樽文学館の書庫で見つかる
 セキについては、作家三浦綾子の小説「母」で知られ、秋田弁でとつとつと話す姿は演劇にもなった。
 荻野教授が聞き書きの存在に気付いたのは、小樽商大の歴史を調べる中で、戦後に創刊された学術雑誌に目を通していた時。札幌市の出版社の「母の語る小林多喜二」という本の発刊予告広告を見つけた。しかし、予告と符合する文章は多喜二の全集にも収録されておらず、出版されなかった可能性が高いという。
 聞き書きをしたのは、小樽市朝里地区に住んでいた郷土史家小林廣氏(1895~1955)。多喜二の死後、近所に引っ越してきたセキと親しくなり、46年2月ごろに聞き取りをしたらしい。小林氏の死後、同氏の資料は小樽市総合博物館や小樽文学館に寄贈された。聞き書き原稿は一般向けに展示されず、文学館の書庫に保存されていた。
 荻野教授によると、聞き書きからは、セキの実家のパン店はまずまず繁盛し、3人の子どもを上級学校へ進学させたことや、セキが小樽の龍徳寺に頼み、多喜二に「物学荘厳信士」という戒名をもらったことなどが分かったという。
 荻野教授は「多喜二の母の証言というだけでなく、当時の庶民の女性の個人史でもある。三浦綾子が書いたセキと違う姿も随所に見える」と話している。


「きょうの潮流」
 http://www.jcp.or.jp/akahata/aik11/2011-07-15/2011071501_06_0.html
2011年7月15日(金)「しんぶん赤旗」
 作家・小林多喜二の母セキさんは、1961年5月、87歳で亡くなりました。ちょうど50年前です▼前年の10月、日本共産党に入党しています。また晩年、キリスト教信仰の道も歩んでいました。セキさんは、志半ばで命を奪われた多喜二の遺志をつぐとともに、「貧しい人々のために生きる」気持ちを人一倍強くしていたようです▼先ごろ出た『母の語る小林多喜二』(新日本出版社)を読み、弾圧下の多喜二の身を案じるセキさんのいちずな母性愛に打たれました。と同時に、行間から伝わってきました。セキさんは、死も覚悟して信念に生きる多喜二を誇らしく見守っていたのだ、と▼戦後間もないころの聞き書きです。軍国日本は倒れ、ひとまずセキさんも胸のつかえが下りていたのでしょう。「いつか多喜二は、屹度(きっと)我々の主張することが、必ず実現される時代がくると思うと言ったことがありますが、丁度それは今の世のことを予言したようなもので…それが時の政府の反感を買ったのですから、今思えば変なものです」▼日本共産党はきょう、創立89周年を迎えました。「貧しい人々のために」「すべての困っている人とともに」。多喜二やセキさんから受け継いだ立党の精神を、東日本大震災の被災者を支援する仕事で発揮している最中です▼創立90周年をめざし、党を大きくする大運動も始まりました。綱領の実現へ“2010年代を党躍進の歴史的時期に”。25回大会の提案の先には、創立100周年の日が視野に入ってきます。

林京子著(聞き手:島村輝) 『被爆を生きて』

 島村先生が林京子さんの聞き手となって発行された岩波ブックレット『被爆を生きて』を読んだ。林京子さんと島村先生の結びつきがよくわからなかったが(過去に聞いていて忘れているのかもしれないが)、「逗子・葉山九条の会」などでのお付き合いと知った。
 林京子さんの作品は私も読んでいるが、『希望』(2005年講談社)以降読んでいないような気がする。『希望』は、新しい命を創る覚悟をもつことで、「絶望」から「希望」を拓き、「一人で頑張ることはないんだよ、一緒に歩いていこう」と一人だけの問題ではないことを描いていた。

 今回、二人の対談を読んで、二つのことに注目した。ひとつは、「人の命の問題」をしっかりと見据えていること。「人の命、人権に対する認識」を私たちはあらためて強調しなければならないと思った。
 もうひとつは「第一義をとりなさい」ということ。常にこういう姿勢で生き続けることは難しいけど、なんらかの選択が求められた時には、「第一義」を選択することが重要だと思う。そこに、たとえ葛藤や矛盾があったとしても、やはり「第一義」を捨てることはできないだろう。

 島村先生が、「いまの時点と地続きの問題として原爆文学をとらえる必要があるのではないか」といい、「人間として物事をきちんと正面から見て、何が本当のことかを見極めて判断する―このことが出来なければ、すべてのことは命を軽んずる言葉にごまかされていってしまう気がします」と言っていることは、今まさに重要な視点だと思った。

 「絶望」するのではなく、「希望」を拓くことが、いま私たちに求められていることだ。

ヤマを越えたけど

 義母の、ヤマといわれた峠は越えたけど、意識が戻るかどうかは不明。あと一週間でどうなるかで、今後の方向が決まるという。もう、義母のお喋りは聞けないのか?もう一度、話すことができるのか?
 こんな状態の中で、私は仕事をしている。責任ある立場だけに、ほってはおけない。どちらも、私にとっては大事なこと。きっと、人によっては冷たい人間にうつるかもしけない。
 だけど、私には、義母を心配しながらも、私の任務をまっとうするしかない。いまは、義母の生命力と、回復力を信じるしかない。

義母のこと

 私が帰ると、必ず畑に行って新鮮な野菜を捥いできてくれた義母。私が、美味しい、美味しい、と食べる姿を喜んでくれた義母。もう、これが定着して20年にはなるのかな~。
 昨年末の義姉の手術の時に大阪に来て、我が家にも泊まっていった。いつも元気で、お喋りが大好きな義母。話し出したら止まらなくて、私は聞き役が多かった。
 昨日、脳梗塞、脳溢血で倒れて、意識不明との連絡があった。この三日間がヤマだといわれているが、自己呼吸して、時々手が動いているとも。
 妻が今朝から長崎の病院に向かった。
「持ち直した」という連絡を待ちながら仕事をすることになりそうだ。義母の生命力を信じたい。

明日から横浜

 明日から横浜。少しくらいゆっくりする時間があるかと思ったら、とんでもなかった。朝は11時からの会議が追加されて、早朝から出かけなければならないし、終わればトンボ帰りの予定だ。
 7月はあらゆる準備の集中期間。まとめなければならないものが複数あるので、集中力と発想力も必要。まあ、なんとか頭を柔軟にしながら、頑張ってみよう。

連載35回目

 来月で35回目になる連載原稿の締め切りがきた。構想は概ね出来ているのだが、あとひとつ物足りない。今日中に整理して、いっきに書きあげたいと思う。連載第二部はテーマにこだったこと、大震災が起きたことで、これまでようにはいかない。まあ、なんとか今日中に終わるだろう。

脳がフル回転

 来月に入るといろいろな方針を練り上げていかなければならない。その準備に、いま脳がフル回転している。いくつものことを同時に考えている。でも、この時間が大切。練って、こねて、練り直して、徐々に頭の中の整理ができると形になっていく。
 岩手疲れがやっと回復してきた。これから、もっとスピードをあげて、練ってみようと思っている。
 しばらくブログを更新していなかったので、友に心配をかけてしまった。気にはなっていたけど、頭の整理期間だったということで、ご容赦を。
 今日も元気に集会に参加して、デモにも参加してきた。体力は弱っているかもしれないけど、気力は満々。