6月の読書

 例年に比べ読書量が増えている。読書スタイルがかわったわけではないから、読むスピードが速くなったのかもしれない。今月は橋下関連本を何冊か読んだが、橋下ブレーンの書には驚かされる。ウソが多い。こんなウソが許されていいのか。橋下氏に打算からすり寄る政治家とマスコミがこんなことを許す一因になっていることが推測できる。こんな事態はいつまでも続かないだろう。
6月の読書は以下。

手塚英孝 「新しい事実」 (『手塚英孝著作集』第ニ巻)
小森陽一 『橋下「維新の会」の手口を読み解く』
マルクス・エンゲルス「ドイツ・イデオロギー 第ニ巻」 (『ME全集』第3巻)
手塚英孝 「晩年の小林多喜二」 (『手塚英孝著作集』第ニ巻)
岡田知弘 『震災からの地域再生』
クルプスカヤ 『国民教育と民主主義』 (岩波文庫)
マルクス「フォイエルバッハにかんするテーゼ」 (『ME全集』第3巻)
手塚英孝 「「播州平野」のゆかりの地」 (『手塚英孝著作集』第ニ巻)
エンゲルス「フォイエルバッハ」 (『ME全集』第3巻 了)
手塚英孝 「宮本百合子全集」 (『手塚英孝著作集』第ニ巻)
手塚英孝 「二人のお母さん」 (『手塚英孝著作集』第ニ巻)
山口俊雄編 『日本近代文学と戦争』
手塚英孝 「宮本百合子没後三十周年に寄せて」 (『手塚英孝著作集』第ニ巻)
本多勝一 『本多勝一の日本論』
手塚英孝 「晩年の花外」 (『手塚英孝著作集』第ニ巻)
マルクス・エンゲルス「クリーゲに反対する回状」 (『ME全集』第4巻)
手塚英孝 「徳永直」 (『手塚英孝著作集』第ニ巻)
長山高之 『故郷はるかなり』
エンゲルス「プロイセン憲法の侵害」 (『ME全集』第4巻)
マルクス・エンゲルス「ブリュッセル共産主義通信委員会からG・A・ケトゲンへの手紙」 (『ME全集』第4巻)
手塚英孝 「神吉洋士と生江健次」 (『手塚英孝著作集』第ニ巻)
加藤久晴 『原発テレビの荒野』
田村秀 『暴走する地方自治』
エンゲルス「プロイセン銀行問題について」 (『ME全集』第4巻)
マルクス・エンゲルス「在ブリュッセル・ドイツ民主主義=共産主義者からファーガス・オコナー氏へのあいさつ」 (『ME全集』第4巻)
エンゲルス「フランスにおける政府と反対派」 (『ME全集』第4巻)
エンゲルス「プロイセン憲法」 (『ME全集』第4巻)
荻野富士夫 『特高警察』
マルクス「カール・グリュンに反対する声明」 (『ME全集』第4巻)
エンゲルス「ドイツの現状」 (『ME全集』第4巻)
労働法律旬報2012年6月上旬号 「橋下政治に対する批判的検討」
エンゲルス「保護関税か自由貿易制度か」 (『ME全集』第4巻)
手塚英孝 「本間雄一君について」 (『手塚英孝著作集』第ニ巻)
牧俊太郎 『「米国のポチ」と嗤われる日本の不思議』
手塚英孝 「大野大力について」 (『手塚英孝著作集』第ニ巻)
増田孝雄・佐藤光雄 『民主的労働者論』
川名雄児 『バカヤロー市議会議員』
『POSSE』vol.15 「橋下改革をジャッジせよ!」
樋口健二/渡辺博之/斉藤征二 『「最先端技術の粋をつくした原発」支える労働』
手塚英孝 「新井紀一を憶う」 (『手塚英孝著作集』第ニ巻)
熊谷徹 『なぜメルケルは「転向」したのか』
手塚英孝 「神吉洋士のこと」 (『手塚英孝著作集』第ニ巻)
手塚英孝 「ひとすじの黒い汗」 (『手塚英孝著作集』第ニ巻)
Voice編集部編 『橋下徹は日本を救えるか』
マルクス「哲学の貧困」 (『ME全集』第4巻)
手塚英孝 「江口さんのこと」 (『手塚英孝著作集』第ニ巻)
屋山太郎 『屋山太郎が読み解く橋下改革』
エンゲルス「ギゾーの衰退と切迫する没落―フランス・ブルジョアジーの立場」 (『ME全集』第4巻)
マルクス「『ライニッシャー・ベオバハター』紙の共産主義」 (『ME全集』第4巻)
杉原四郎・一海知義 『河上肇 芸術と人生』
山田隆司 『最高裁の違憲判決』
エンゲルス「詩と散文におけるドイツ社会主義」 (『ME全集』第4巻)
手塚英孝 「発禁本の倉」 (『手塚英孝著作集』第ニ巻)
手塚英孝 「アメリカへわたった日本の文献」 (『手塚英孝著作集』第ニ巻)
菅井幸雄 『演劇創造の系譜』

5月の読書

 5月はいつもよりたくさんの本を読んだ。『ME全集第3巻はもうすぐ終わりそう。『手塚英孝著作集』第ニ巻は、一作ずつボチボチ読んでいるので、まだまだかかるかな。
 この5月だけで、橋下関連の本がいったい何冊出版されたのだろうか。ほとんどがブームに便乗しているとしか思われないような手合いだ。その中でも、しっかり検証した本が読まれることを期待する。
 5月の読書は以下のとおり。

手塚英孝 「児玉花外」 (『手塚英孝著作集』第ニ巻)
手塚英孝 「「二つの庭」解説」 (『手塚英孝著作集』第ニ巻)
垣内亮  『消費税が日本をダメにする』
手塚英孝 「残された小説資料の一部」 (『手塚英孝著作集』第ニ巻)
加藤則夫 『たにぜんの文学』
手塚英孝 「非合法時代の小林多喜二」 (『手塚英孝著作集』第ニ巻)
森岡孝二編 『貧困社会ニッポンの断層』
手塚英孝 「「不在地主」の背景」 (『手塚英孝著作集』第ニ巻)
上田七加子 『道ひとすじ』
秦重雄  『挑発ある文学史』
手塚英孝 「小林多喜二―近代作家像への照明」 (『手塚英孝著作集』第ニ巻)
土方與志 『なすの夜ばなし』
山本健治 『橋下徹論』
手塚英孝 「片山潜と文学文化運動」 (『手塚英孝著作集』第ニ巻)
手塚英孝 「戦時下の反戦文学」 (『手塚英孝著作集』第ニ巻)
香山リカ 『「だまし」に負けない心理学』
手塚英孝 「小林多喜二の作品についての報告のなかから」 (『手塚英孝著作集』第ニ巻)
手塚英孝 「小林多喜二小伝」 (『手塚英孝著作集』第ニ巻)
森英樹ほか編 『3・11と憲法』
手塚英孝 「「蟹工船」について」 (『手塚英孝著作集』第ニ巻)
手塚英孝 「葉山嘉樹の書簡と小林多喜二「蟹工船」の原稿」 (『手塚英孝著作集』第ニ巻)
大城立裕 『普天間よ』
手塚英孝 「翻訳された小林多喜二の作品」 (『手塚英孝著作集』第ニ巻)
手塚英孝 「同志小林多喜二を憶う」 (『手塚英孝著作集』第ニ巻)
牧瀬菊枝編 『久津見房子の暦』
手塚英孝 「小林多喜二の思い出」 (『手塚英孝著作集』第ニ巻)
竹信三恵子 『ルポ賃金差別』
手塚英孝 「終戦の年」 (『手塚英孝著作集』第ニ巻)
自立生活サポートセンターもやい編 『貧困待ったなし!』
手塚英孝 「目白の家」 (『手塚英孝著作集』第ニ巻)
手塚英孝 「多喜二全集の完成」 (『手塚英孝著作集』第ニ巻)
木暮太一 『僕たちはいつまでこんな働き方を続けるのか?』
マルクス・エンゲルス 「ドイツ・イデオロギー 第一巻」 (『ME全集』第3巻)
手塚英孝 「思い出をたどって」 (『手塚英孝著作集』第ニ巻)
手塚英孝 「1932年頃の非合法生活」 (『手塚英孝著作集』第ニ巻)
志位和夫 『新たな躍進の時代をめざして』
田原総一郎×佐高信 『激突!朝まで生対談』
大谷禎之介 『マルクスのアソシエーション』
手塚英孝 「小林多喜二の碑」 (『手塚英孝著作集』第ニ巻)
重松清 『希望の地図』
手塚英孝 「小林多喜二の伝記を書いて」 (『手塚英孝著作集』第ニ巻)
手塚英孝 「新版の小林全集と年譜」 (『手塚英孝著作集』第ニ巻)
「議会と自治体」編集部 『新・必携 地方政治 これだけは知っておきたい』
手塚英孝 「研究会の十年間」 (『手塚英孝著作集』第ニ巻)
手塚英孝 「小林多喜二の最後の住居」 (『手塚英孝著作集』第ニ巻)
手塚英孝 「佐々木と須山」 (『手塚英孝著作集』第ニ巻)
手塚英孝 「外国の小林多喜二研究者」 (『手塚英孝著作集』第ニ巻)
湯川秀樹/梅棹忠夫 『人間にとって科学とはなにか』
手塚英孝 「十二年の手紙について」 (『手塚英孝著作集』第ニ巻)
手塚英孝 「「定本・小林多喜二全集」発刊にあたって」 (『手塚英孝著作集』第ニ巻)
手塚英孝 「全集の仕事がはじまった頃」 (『手塚英孝著作集』第ニ巻)
川上徹也 『独裁者の最強スピーチ術』
手塚英孝 「小林多喜二の調査で」 (『手塚英孝著作集』第ニ巻)
福岡政行 『大阪維新で日本は変わる!?』
手塚英孝 「志賀直哉と小林多喜二」 (『手塚英孝著作集』第ニ巻)
シラー 『群盗』 (岩波文庫)

4月の読書

 正月から読み始めた『マルクス=エンゲルス全集』の第二巻を読み終わった。第三巻は「ドイツ・イデオロギー」でほぼ一巻。ぼちぼち読み進めたい。
 考えること多く、このブログは読書記録のみになっている。カーキーソルトさんから、ブログの更新がないと指摘されたが、当面、読書記録だけはしておこうと思っている。フェイスブックのほうで発信しているが、これも少し滞り気味だ。
 まあ、元気に、あれこれ深く考えながら行動しているので、ご心配なく。4月の読書は、以下のとおり。
 なお、橋下氏関連の出版が相次いでいる。あまりにもつまらない内容のものは、記録することもやめた。橋下氏の「ウソ」を無批判に垂れ流すような本が、商品となってしまうところに、資本主義の矛盾と害悪が如実にあらわれているようだ。しかし、橋下氏に批判的な本も出版されている。ここに商業主義だけをみるのではなく、矛盾を弁証法的にとらえる視点も必要なのだろう。

新原昭治 『日米「密約」外交と人民のたたかい』
手塚英孝 「木曜日の午後」 (『手塚英孝著作集』第一巻)
宮本みち子 『若者が無縁化する』
角田修一 『概説 社会経済学』
手塚英孝 「外套」 (『手塚英孝著作集』第一巻)
『経済』5月号 「マルクス経済学のすすめ2012」
シェイクスピア 『お気に召すまま』 (岩波文庫)
安蒜政雄・勅使河原彰 『日本列島石器時代史への挑戦』
池内 了 『科学と人間の不協和音』
エンゲルス 「イギリスにおける労働者階級の状態」 (『ME全集』第2巻)
手塚英孝 「父の上京」 (『手塚英孝著作集』第一巻)
二宮厚美 『新自由主義からの脱出』
エンゲルス 「大陸の社会主義」 (『ME全集』第2巻)
エンゲルス 「ドイツにおける共産主義の急速な進展」 (『ME全集』第2巻)
手塚英孝 「停留所にて」 (『手塚英孝著作集』第一巻)
手塚英孝 「薬」 (『手塚英孝著作集』第一巻)
産経新聞大阪社会部 『橋下語録』
ありむら潜 『震災・ガレキを乗り越えて カマやんの夢畑』
エンゲルス 「近代に成立し今も存続している共産移住地の記述」 (『ME全集』第2巻)
手塚英孝 「予審秘密通報」 (『手塚英孝著作集』第一巻)
東京学習会議編 『新・日本国憲法講座 第一部』
エンゲルス 「エルバーフェルトにおける二つの演説」 (『ME全集』第2巻)
エンゲルス 「最近のライプツィヒ虐殺事件―ドイツの労働運動」 (『ME全集』第2巻)
馬渕浩二 『世界はなぜマルクス化するのか』
エンゲルス 「ヴィクトリアの訪問―「王室」間のいがみあい」 (『ME全集』第2巻)
手塚英孝 「「赤旗」地下印刷」 (『手塚英孝著作集』第一巻)
手塚英孝 「落葉をまく庭」 (『手塚英孝著作集』第一巻)
高橋哲哉 『犠牲のシステム 福島・沖縄』
エンゲルス 「ドイツの状態」 (『ME全集』第2巻)
手塚英孝 「土曜日の午後」 (『手塚英孝著作集』第一巻)
エンゲルス 「イギリス穀物法の歴史」 (『ME全集』第2巻)
手塚英孝 「宮本顕治宛書簡」 (『手塚英孝著作集』第一巻 了)
池田功 『啄木 新しき明日の考察』
エンゲルス 「『イギリスにおける労働者階級の状態』補遺」 (『ME全集』第2巻)
エンゲルス 「フーリエの商業論の一断章」 (『ME全集』第2巻)
山岡淳一郎 『震災復興の先に待ちうけているもの』
エンゲルス 「ロンドンにおける書国民の祝祭」 (『ME全集』第2巻)
マルクス 「声明」 (『ME全集』第2巻)
オキュパイ!ガゼット編集部編 『私たちは"99%"だ』
エンゲルス 「『イギリスにおける労働者階級の状態』の1887年アメリカ版への序文」 (『ME全集』第2巻)
エンゲルス 「『イギリスにおける労働者階級の状態』の1892年ドイツ語版への助言」 (『ME全集』第2巻 了)
武藤武美 『プロレタリア文学の経験を読む』
マルクス 「フォイエルバッハにおけるテーゼ」 (『ME全集』第3巻)
手塚英孝 「松岡荒村の遺稿」 (『手塚英孝著作集』第ニ巻)
シェイクスピア 『ハムレット』 (岩波文庫)
手塚英孝 「小林多喜二の原稿帳」 (『手塚英孝著作集』第ニ巻)
志水宏吉 『検証 大阪の教育』
シェイクスピア 『オセロー』 (新潮文庫)

3月の読書

 3月は忙しい月だった。週2回の妻のリハビリ通院への付き添い。娘の就職に伴い、神奈川に新居の準備に一泊二日で行き、家財道具いっさいを買いそろえて帰ってくるなど。
 とうとう今週は疲労のピークにきてしまって、参った。今朝から快復したので、安心したけど、4月2日に転勤。新しい仕事につくから、またイチからスタートだ。
 3月は『マルクス=エンゲルス全集』第1巻を読み終わり、第2巻の「聖家族」まで読んだ。『日本プロレタリア文学集』第11巻も読み終わった。4月は読書時間が短くなりそうだが、読みたい本が満載だ。
 以下、3月の読了。

遠藤晃 『自治体労働者像の追及』
柴垣文子 『星につなぐ道』
エンゲルス 「イギリスの状態 トマス・カーライル「過去と現在」」 (『ME全集』第1巻)
エンゲルス 「イギリスの状態Ⅰ 十八世紀」(『ME全集』第1巻)
エンゲルス 「イギリスの状態Ⅱ イギリスの憲法」 (『ME全集』第1巻 読了)
小森陽一×アーサー・ビナード 『泥沼はどこだ』
大鹿靖明 『メルトダウン』
一ノ宮美成+グループ・K21 『橋下「大阪維新」の嘘』
山家悠紀夫・井上伸 『消費税増税の大ウソ』
第三書館集部編 『ハシズムは沈むか』
土屋保男 『革命家マルクスとイエニー』
犬田卯 「解放された農奴」 (『日本プロレタリア文学集11』)
上出洋介 『太陽と地球のふしぎな関係』
赤旗編集局 『原発の深層』
佐々木俊郎 「芋」 (『日本プロレタリア文学集11』)
安田雪 『ルフィの仲間力』
マルクス・エンゲルス 「聖家族」  (『ME全集』第2巻)
佐々木俊郎 「駆落」 (『日本プロレタリア文学集11』)
佐々木俊郎 「熊の出る開墾地」 (『日本プロレタリア文学集11』)
外岡秀俊 『震災と原発 国家の過ち』
佐々木俊郎 「黒い地帯」 (『日本プロレタリア文学集11』)
大林道子 『山本宣治と母多年』
雨宮処凛 『14歳からの原発問題』
佐々木俊郎 「都会地図の膨張」 (『日本プロレタリア文学集11』)
飯田豊二 「祭の夜」 (『日本プロレタリア文学集11』)
川上勉 『高見順 昭和の時代の精神』
飯田豊二 「銅像になった将軍と馬」 (『日本プロレタリア文学集11』 読了)
広瀬隆 『第二のフクシマ、日本滅亡』
レーニン 『第二インタナショナルの崩壊 他十六篇』 (国民文庫)

2月の読書

 毎年、2月は読書量が少しだけ減るが、今年もやっぱり予定した本を読み切れなかった。まあ、それでも読んだほうかな。
 最近は、フェイスブックに書き込むのが精いっぱいで、ブログまで手が回らない。とりあえず、読んだ本だけ記しておきたい。

エンゲルス 「国内危機についてのイギリス人の見方」(『ME全集』第1巻)
NHK「こころの遺伝子」製作班編 『益川敏英の「あなたがいたから」』
エンゲルス 「国内危機」(『ME全集』第1巻)
堀江正規編 『自治体労働者』
エンゲルス 「政党の立場」(『ME全集』第1巻)
エンゲルス 「イギリスにおける労働者階級の状態」(『ME全集』第1巻)
エンゲルス 「穀物法」(『ME全集』第1巻)
小森陽一 『漱石論 21世紀を生き抜くために』
大阪じん肺アスベスト弁護団編 『問われる正義』
マルクス・エンゲルス 『マルクス・エンゲルス文学論』(岩波文庫)
エンゲルス 「ロンドンだより」(『ME全集』第1巻)
鰺坂真・牧野広義編 『マルクスの思想を今に生かす』
エンゲルス 「大陸らおける社会改革の進展」(『ME全集』第1巻)
エンゲルス 「大陸の運動」(『ME全集』第1巻)
小松公生 『原発にしがみつく人びとの群れ』
自治体労働運動研究会編 『自治体労働組合読本』
榊原秀訓編 『自治体ポピュリズムを問う』
森岡孝二 『就職とは何か』
川村祐三 『ものがたり公務員法』
サラ・バン・ゲルダーほか 『「99%」の反乱』
河田恵昭 『津波災害』 
太田努 『小林多喜二の文学と運動』
堤未果 『政府は必ず嘘をつく』
沢村凛 『ディーセント・ワーク・ガーディアン』
羽淵三良 『現代映画批評・映画評論』
エンゲルス 「国民経済学批判大綱」(『ME全集』第1巻)

2012年1月の読書

 今年も、いまを考えながら本を読んでいる。『ME全集』は、この調子ならどこまで読めるだろうか。2月は多喜二祭の月だから、少しペースダウンするかも。2012年1月の読書は以下のとおり。

画像マルクス 「プロイセンの最新の検閲訓令にたいする見解」(『マルクス=エンゲルス全集第1巻』)
マルクス 「シュトラウスとフォイエルバッハとの審判者としてのルッター」(『ME全集』第1巻)
鶴田知也 「海鳴り」(『日本プロレタリア文学集11』)
川上弘美 『神様2011』
マルクス 「第六回ライン州議会の議事(第一論文)出版の自由と州議会議事の公表とについての討論」(『ME第1巻』)
鶴田知也 「牧場を逐われて」(『日本プロレタリア文学集11』)
マルクス 「歴史法学派の哲学的宣言」(『ME全集』第1巻)
鶴田知也 「シベリアから返って来た手紙」(『日本プロレタリア文学集11』)
画像西谷正 『坂田昌一の生涯』
平田直ほか 『巨大地震・巨大津波 東日本大震災の検証』
マルクス 「『ケルン新聞』第179号の社説」(『ME全集』第1巻)
マルクス 「共産主義とアウグスブルク『アルゲマイネ・ツァイトゥング』」(『ME全集』第1巻)
鶴田知也 「闇の怒」(『日本プロレタリア文学集11』)
ナオミ・クライン 『ショック・ドクトリン』(上)
マルクス 「第六回ライン州議会の議事(第三論文)木材窃盗取締法にかんする討論」(『ME全集』第1巻)
鶴田知也 「或る農夫の話」(『日本プロレタリア文学集11』)
マルクス 「離婚法案」(『ME全集』第1巻)
画像山本勝治 「十姉妹」(『日本プロレタリア文学集11』)
ナオミ・クライン 『ショック・ドクトリン』(下)
マルクス 「ライプツィガー・アルゲマイネ・ツァイトウングの発禁」(『ME全集』第1巻)
山本勝治 「員賞を打つ」(『日本プロレタリア文学集11』)
第三書館編集部編 『ハシズム!』
マルクス 「モーゼル通信員の弁護」(『ME全集』第1巻)
日野秀逸 『大震災と日本の社会保障』
大阪弁護士会編 『貧困の実態とこれからの日本社会』
前田河広一郎 「セムガ(鮭)」(『日本プロレタリア文学集11』)
阿部彩 『弱者の居場所がない社会』
マルクス 「ヘーゲル国法論の批判」(『ME全集』第1巻)
画像前田河広一郎 「アトランテック丸」(『日本プロレタリア文学集11』)
スーザン・ジョージ 『これは誰の危機か、未来は誰のものか』
マルクス 「「独仏年誌」からの手紙」(『ME全集』第1巻)
佐藤洋 『TPPターゲット』
マルクス 「ユダヤ人問題によせて」(『ME全集』第1巻)
伊藤千尋 『地球を活かす 市民が創る自然エネルギー』
大島堅一 『原発のコスト』
有田光雄 『自治体労働運動 過去・現在・未来』
今野賢三 「処女地」(『日本プロレタリア文学集11』)
マルクス 「ヘーゲル法哲学批判」(『ME全集』第1巻)
カール・マルクス/宮川實訳 『学習版 資本論③』
画像市川昭午 『大阪維新の会「教育基本条例案」何が問題か?』
マルクス 「論文『プロイセン国王と社会改革― 一プロイセン人』(『フォルヴェルツ!』第60号)に対する批判的論評」(『ME全集』第1巻)
合田寛 『格差社会と大増税』
不破哲三 『『資本論』はどのようにして形成されたか』
エンゲルス 「ヴッパータールだより」(『ME全集』第1巻)
犬田卯 「土に生く」(『日本プロレタリア文学集11』)
佐藤静夫 『現代文学への視角』
武藤類子 『福島からあなたへ』
エンゲルス 「アレクサンダー・ユング『ドイツ現代文学講義』」(『ME全集』第1巻)
本庄豊 『煌めきの章 多喜二くんへ、山宣さんへ』
エンゲルス 「プロイセン国王フリードリヒ・ヴィルヘルム四世」(『ME全集』第1巻)

読書コメントも難しくなってきた

 最近は、簡単にコメントできるフェイスブックへの書き込みで済ましているため、このブログへの書き込みが減ってしまった。ブログには、ブログの発信力があるので、必要だと思うが時間がなくなる中で、両方は難しい。興味のある人は、フェイスブックへの登録を。

 かつては読んだ本の概ね8割に対して、書評を書いていたが、多忙のなかで中断している。今年に入って、フェイスブックに読んだ本の短いコメントを書いているが、これもそろそろ限界になってきた。
 それでも、読んだ本の中には、その真意を深く検討しなければならないものがある。

 マルクスの「論文『プロイセン国王と社会改革― 一プロイセン人』(『フォルヴェルツ!』第60号)に対する批判的論評」(『ME第1巻』)は、現代にも読みごたえのある論文だ。これからの運動を展望しながら、今後も考えてみたいと思っている。


大阪多喜二祭「前夜祭」 1月28日

 2月18日の大阪多喜二祭に向けて、毎年恒例の「前夜祭」を1月28日に開催する。参加者が主人公の「前夜祭」も定着し、すでに30名を超える参加者(出演者?)が登録済みだ。
 今年はゲストにオダサク倶楽部主宰の井村身恒さんを招き、ミニ講演「小林多喜二と織田作之助」をしていただく。大阪「多喜二サロン」にもお越しいただいたが、「小林多喜二と織田作之助」をテーマに語るというのは、これまでにないことだろう。
 また、清水ただしさんや渡辺武さん、藤永のぶよさんをはじめ、日航不当解雇原告団のKさんにも参加いただく。日航の不当解雇裁判の判決が3月末に言い渡される。Kさんとは1月5日にも固い握手を交わしたが、ぜひ訴えを聞いて欲しい。
 もちろん、第2部の司会は、ケイ・シュガーさんだ。私は、この日京都に行っているが、間に合うように大阪に帰ってきたい。

大阪多喜二祭「前夜祭」

日 時 1月28日(土)午後6時半~

場 所 ねむかホール(谷町6丁目)

参加費 500円


問合せ 治安維持法国賠同盟大阪府本部
06-6772-7555

今井正の映画「小林多喜二」上映

画像 今井正の生誕百年を機に「シネ・ヌーヴォX」(大阪市西区九条)が、1月中今井正の映画を上映している。
 映画「小林多喜二」も、1月16日(月)20:50~、18日(水)9:50~、19日(木) 17:05~、20日(金) 20:50~、21日(土)9:50~、上映される。
 詳しくは
http://www.cinenouveau.com/sakuhin/imai/imaische.html
 をご覧いただいたい。

三日間の読書三昧

 ここ数年、1月1日から3日まで同じ生活パターンだ。とはいえ、読書タイムが私のリフレッシュ時間だから、最高の休養でもある。
 今年も、1日に義姉家族との新年会に出かける以外は、読書タイムと晩酌タイムのみ。そして、早寝早起きを心がけ、健康的な生活を過ごした。

 計画どおり、『マルクス=エンゲルス全集』第1巻を最初から読み始め、「序文」、マルクス「プロイセンの最新の検閲訓令にたいする見解」「シュトラウスとフォイエルバッハとの審判者としてのルッター」「第六回ライン州議会の議事 出版の自由と州議会議事の公表とについての討論」「歴史法学派の哲学的宣言」まで。
 『日本プロレタリア文学集』11・「文芸戦線」作家集②を開いて、鶴田知也「海鳴り」「牧場を逐われて」「シベリアから返って来た手紙」を読んだ。
 『マルクス=エンゲルス全集』と『日本プロレタリア文学集』は、いつ読み終わるか分からないペースで読み続けるつもりだ。

 『資本論』は、宮川實訳宮川彰監修『学習版 資本論③』を第10章から13章第3節まで読んだ。この「学習版」の出版ペースが遅いので、これぐらいのペースでも早いくらいかもしれない。

 あとは、川上弘美『川上弘美』西谷正『坂田昌一の生涯』平田直・佐竹健治・目黒公郎・畑村洋太郎『巨大地震・巨大津波 東日本大震災の検証』を読んだ。
 『巨大地震・巨大津波』は、3・11以前の地震・津波の科学的認識の到達点と、3・11東日本大地震以降の研究態度などについて書かれ、興味深かった。これらの科学者の姿勢とは明らかに異なる、東電の「想定外」との破廉恥な無責任ぶりや、科学的検証をしようともせず原発再稼働を企む政府の無責任な姿勢に改めて怒りを感じた。

 明日からは、また通常の暮らしが始まる。仕事と労働運動の合間に読書でリフレッシュすることにしよう。明日からは、えらい評判になっているナオミ・クライン『ショック・ドクトリン』を読む予定にしている。買い込んでいる本は何十冊とあるから、朝起きたら気が変わるかも知れないけど(笑)。

西谷正著『坂田昌一の生涯』

 西谷正著『坂田昌一の生涯―科学と平和の創造』を読んだ。最初に記しておくが、西尾成子著『科学ジャーナリズムの先駆者 評伝石原純』と併せて読まれることをお薦めする。

画像 石原純の著作を通じて物理学を専攻した科学者は多いが、坂田昌一はその一人であるばかりでなく、科学と社会、政治との関わり方など、「科学者」「人間」として一貫して生きた点にも、二人には大きな共通点である。
 二人の生き方・考え方から学ぶことは多い。私たちはその精神を一層発展させていくことが必要だ。二人が単に科学だけの発展を願ったのではなく、科学者の社会的責任を自覚し、行動し続けたのは、そこに科学的な考え方「哲学」がある。何よりも自然哲学、自然弁証法、唯物弁証法を実践する立場にあったからだろう。

 自然には階層性があり、それは自然の発展の中で作られ、生物、人間、社会もその発展の中で作られたものであるから、社会科学は現代自然科学が対象としているいろいろな階層と同じ系列上にあるねのを対象としている点において、同質性があると共に独自の法則がある、つまり、社会の発展法則を明らかにしたマルクスの資本論は、ニュートン力学、量子力学と同格であり、このような自然の階層性を基礎とした弁証法的自然観を背景として、はじめて科学の論理をとらえ、科学の将来に全体的な計画を樹てうる、と論じる。

 大学の中ではすべてを疑う精神が育まれているが、外へ出た人はとかく流れに押し流されて、いわゆる批判的精神が失われている。大学で学んだことの中でもっとも大事なのは、批判的精神を身につけて失わないということだ。

 以上の引用は大切な点を示している。いまの社会を批判的精神をもって科学的指針をもって行動するためにも、弁証法的自然観を身につけ、社会科学を学ぶ必要がある。『自然の弁証法』や『資本論』などの学習が不可欠なゆえんだ。

2012年2月18日 大阪多喜二祭

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 大阪多喜二祭も今年で6年目。チラシが出来たので紹介するが、これは「不屈」用で、本チラシには「不屈」の印刷はない。年末ギリギリに間に合わせたので、これからチラシを普及する予定だ。

多喜二の火を継ぐ「大阪多喜二祭」

日 時 2012年2月18日(土)午後2時開会
場 所 クレオ大阪東ホール
第一部 多喜二追悼の抒情歌/清水紫さん
第二部 記念講演「人間の健康・多喜二・人間的復興」(仮題)
     日野秀逸さん
資料代 1,000円
主 催 大阪多喜二祭実行委員会
連絡先 治安維持法国賠同盟大阪府本部
      06-6772-7555

2012年の幕開け

 新年明けましておめでとうございます。

 旧年もお世話になりましたが、今年もよろしくお願いします。

 2012年は、ますます変化、激動の時代になることが予測される。「いまの政治を変えてほしい」「くらしを良くして欲しい」という国民の思いはますます切実になっている。自公政治も民主党政治も、この国民の立場に立たない政治であることが、国民の目にも見えるようになっている。
 しかし、それに代わる政治への展望が見いだせない状態にもある。悪政の元凶、資本主義の根本システムが社会矛盾と政治混迷を生み出していることを国民の目に見えるようにしなければならないだろう。

 「1%の彼らに私たち99%の未来を決めさせない」というウォール街占拠運動の宣言を活かし、なぜ1%に富みが集中するのか、それを改めるためにどうすればよいのか、私たちの連帯した運動が必要なことを、みんなで確認していることが必要だ。
 同時に、国民が「政治への展望が見いだせない」もとで、ウソと誤魔化しによって「改革者」を装いながら、さらに一部の富める者だけが富める社会へと導こうとするファシズムの台頭を許してはならない。

 今年は、しっかりと学習し、現実社会を分析し、実践することによって、未来への展望を拓く年にしたい。もちろん、多くの仲間とともに一緒にすすみたい。

12月の読書

 昨日、今年1年間の読書について書いたが、本日は12月の読書について。
今年の後半はレーニンの本を意識的に読んだが、今月は国民文庫のレーニン著『マルクス=エンゲルス=マルクス主義』(全三巻)を批判的に読んだ。『唯物論と経験批判論』や『帝国主義論』など数多くの功績があるレーニンが「革命論」で一面的な論を強硬に展開したのか(晩年、修正しているが)。科学的社会主義から逸脱する者との論争の繰り返しが、激烈になり勇み足を招いたとの感さえもってしまう。外なる敵と内なる敵といえば、言い過ぎになるかもしれないが、内外の敵との論戦の多いことが災いしたのか。もう少し、レーニンの書を読みながら考えてみたい。
 鰺坂真さんの『科学的社会主義の世界観』を読み返したが、「物の見方・考え方」、唯物論的弁証法を誰もが学び直す必要を痛感しているからだ。あまりにも哲学が語られなくなり、体系的な哲学の本の出版さえない今日を危惧せざるを得ない。哲学者の集団的英知を集め、体系的な入門書をつくるべきだと思うが、そのような状況にないようだ。
 マスコミを使った「大本営発表」が氾濫する中で、国民が真の敵にたいして立ちあがるには「学習」が欠かせない。来年は、狭い領域ではあるが、学習活動にも挑戦する予定だ。
 12月の読了は以下のとおり。

画像レーニン 『マルクス=エンゲルス=マルクス主義』(1)国民文庫
樫本喜一編 『坂田昌一 原子力をめぐる科学者の社会的責任』
竹本賢三 『原発小説集 蘇鉄のある風景』
太田昌克 『「核の今」がわかる本』
自由報道協会編 『自由報道協会が追った3・11』
大谷昭宏×藤井誠ニ 『権力にダマされないための事件ニュースの見方』
マーカス・チャウン 『宇宙誕生』
連合通信社編集部 『原発闇社会』
レーニン 『マルクス=エンゲルス=マルクス主義』(2)国民文庫
画像鰺坂真 『科学的社会主義の世界観』
レーニン 『マルクス=エンゲルス=マルクス主義』(3)国民文庫
POSSE vol.11 『「3・11」が揺るがした労働』
福島県九条の会編 『福島は訴える』
雇用のあり方研究会 『ディーセント・ワークと新福祉国家構想』
粟野仁雄 『ルポ 原発難民』
シェイクスピア 『ヴェニスの商人』(岩波文庫)
森 浩一 『倭人伝を読みなおす』
前泊博盛 『沖縄と米軍基地』
中村邦生編 『この愛のゆくえ』(岩波文庫ポケットアンソロジー)
栗原幸夫 『わが先行者たち』
レーニン 『一歩前進、二歩後退』
霜田正次 『文学と現代』

2011年の読書

 2011年も明日で終わり。今年は、昨年から続けたヘーゲル弁証法の学習をなんとか計画どおり終わらせ、古典学習にこだわり続けた。今年は230冊を読了したが、3月以降、原発や大震災関連の本を漁ったので、自然科学や文学の分野が少なかった。

 来年は、自然科学や文学を今年よりも多く読めればと思っている。ただ、古典を摘まみ読みしているだけでなく、マルクス=エンゲルス全集を第一巻から読み進めようかとも考えている。10年以上かかる挑戦になるので、持続できるかどうかの自信はまったくないが、何事も挑戦だ。

 『資本論』は、繰り返し読み続けたい。読む度に新しい発見があるし、思考訓練にもなる。今年はヘーゲルの弁証法を学習したあとだけに、『資本論』がいかに弁証法を駆使して書かれているかがよくわかった。「導きの糸」にしたいけど、それほどの能力はないので、読むだけでも愉しみたい(笑)。

2011年、そして来年

 2011年も残すところあと2日と数時間だ。今年は大きな事件(問題・課題・転機)があった。

 その第一は何といっても、東日本大震災・大津波と福島原発事故だ。これまでの認識を改めなければならないほどの大事件であり、転機でもあり、今後の課題を与えられた。
 東日本大震災は、自然の威力をこれほどかというほど知らしめた。しかし、こうした自然の威力は、これが初めてでもなければ、これが最後でもない。これからも起こることを前提にした認識と行動が求められている。
 同時に、日本の政治が行ってきたことは、こうした災害時に人命を助けるのではなく、犠牲を増幅する政治だったことを明らかにした。効率化の名のもとに進められてきたことが、災害時に人命救助をはじめとした最も大切にすべき人間を疎かにしてきたことが浮き彫りになった。自治体機能の縮小(役所数や職員の減)は、救援・復旧に著しい遅れを招くなど、現在も支障をきたしている。病院の統廃合は、救助や救命に支障をきたし、救える命さえ救えない事態を招いた。数え上げればキリがないほどだ。
 福島原発事故も、人の命よりも経済を優先する資本の論理を浮き彫りにした。ウソやヤラセなど、資本の論理と原発を推進した政治の醜悪さ、露骨さを明らかにした。そして、原発と人類は共存することはできず、原発をなくすことでしか解決できないことを知らしめた。

 転機の第二は、10月に職場復帰したことだ。これまでの生活スタイルを元に戻すことだといえば、それまでだが、そんな簡単なことではなかった。2年間に蓄積した疲労を回復させる間もなく、体調不良とたたかいながら、ダブル選挙があった。ダブル選挙については、別途論及しなければならないと思っているが、ここでは長くなるので省略する。
 ただ、休みなしに働いた2年間に比べ、週休日に少しは休み日を確保しながら(本当は当然のことなのだが)、体調回復に努め、少しは良くなっている。
 職場復帰以降のことについては、また書く機会があると思うので、ここでは省略する。

 この1年間を振り返って思うことは、人間の暮らしを犠牲にする資本主義のシステムが、政治への不信という「資本にとっての困難さ」を持ちながらも、依然として貫かれていることだ。
 政権交代後も、東日本大震災後も、資本は自らの儲けを増殖するために、政治と御用学者をフル稼働して、飽くなき利潤追求にまい進している。
 このシステムは、「社会的に強制」されない限り、歯止めがかからない。その「強制」を行わない政治への不信といら立ちが、「破壊者」でありながら「改革者」を装った橋下・維新の会への支持へと結びつく結果を導いている。1930年代にヒットラーが台頭したこと現象とよく似ている。
 そこに向かわないためにも、人々の暮らしを苦しめている原因を明らかにし、その解決策を示し、具体的に行動することが求められている。ただ「独裁ノー」をいうだけでは、国民に展望を示すことはできない。
 「貧困」が可視化される状況をつくったように、今日の閉塞感の元凶を可視化し、その解決に向け行動することが解決の道であることを可視化させなければならないだろう。そのためには、日々の粘り強い行動の積み重ねが重要だろう。

 最後に。
 多くの国民は、「いまのままではいけない」と確実に思っている。「政治を変えて欲しい」と願っている。そんな人々に、真実を知らせ、その解決法を共通認識にすることができれば、政治を変えるエネルギーに転化できる日がやってくる。その可能性が高まっている一面も確実に存在する。来年こそは、そんな転換期を拓こう。

義母の調子悪し

 毎晩、毎晩、会議や集会などで遅い日が続いている。そんな中でも、今日は大阪多喜二祭の準備。これまでの賛同者にチラシなどを送付した。回を重ねるごとに賛同者が増えるのは嬉しいが、発送作業も増えるので大変ではあるが・・・。
 帰ってきたら、義母の調子が悪いと連絡があったとのこと。急を要するとかいうことではないが、元の病院に戻ったそうだ。明後日から妻が様子を見に行く予定。私は予定どおり25日~26日に行ってくる。慌ただしい年末になりそうだ。

一人ひとりの人間が尊重されることが当たり前の社会へ

 今週はハードだった。寒波も堪えた。身体は弱いけど、意志が強固だから(笑)、ついつい無理をしてしまう。家に帰ってから、いろいろな情報をチェックするのをやめて、そそくさと寝ればいいのだけど、ついつい様々なサイトを調べてしまう。でも、世の中を見渡さなくて、運動の方向を見定めることはできない。
 職場復帰したとたんに情報量が激減する。単組の報告を聞いているだけでは、情報不足になる。これをなんとかできないかな~。

 昨日は、大阪争議団の支援総行動だった。休みを取って丸一日参加した。不当な解雇や、一方的な賃金引き下げ、労働条件引き下げなどの不当労働行為があらゆるところで行われている。
 憲法にも労基法にも明らかに違反している。裁判でも断罪される不当労働行為は後を絶たない。

 こうした解雇や使い捨て労働、人間の尊厳さえ奪う不当労働行為を絶対に許してはならない。なのに、こうした労働者への不当な行為を、「民間では当たり前」などと嘯き、競争に勝ったものだけが生き残れるような社会へと導こうとする橋下・維新の会のやり方は絶対に許されない。
 安定雇用、健康で文化的な生活ができる賃金と働くルールの確立こそが「当たり前」の社会を実現しよう。そのために、すべての労働者が何度も何度も立ちあがらなくてはならない。
 この「何度も何度も立ちあがること」が明日の展望を拓く道だろう。

 12月24日~25日に下関に行く。そのついでに長崎に帰ることにした。義母が転院した。いまの患者の人権不在の点数医療制度のもとで、労働者だけでなく、患者さえたらい回しされる。こんな政治がいつまで続くのだろうか。
 この目で現実を見据え、この現実把握の力で、理不尽な現実を変える道筋を考えなければならない。もちろん、みんなの力でだ。

 義母は自分自身の生命力とたたかっているだけではない。今日の医療制度ともたたかっている。私は、そんな義母に、一緒に「頑張ろうね」と言いにいくつもりだ。

竹本賢三著『蘇鉄のある風景』

 原発小説集として発行された竹本賢三著『蘇鉄のある風景』を読んだ。元赤旗記者としいうこともあり、現場のリアルな人間模様や労働現場、労働者の生の実態などが描写され、興味深かった。興味ある人は、読んでみるといいだろう。

 ただ、「解説」に誤認識がある。解説者と知らない仲でもないので、あえて書いておく。「八目鰻」に書かれた大阪・関西の生コン関係の「分裂派」の暴力的行為は、解説者が書くような「労線統一」とのスローガンに行われた流れとはまったく別のものだ。小説「八目鰻」にも、「労線統一」などとは書かれていない。解説に「労線統一」をめぐる状況のように書いているのは間違いだ。
 著者は、「統一と団結」の名のもとに、暴力を行使して統一労組懇排除を進めた「分裂派」の暴力とその構造を鋭く追及したのだ。まだまだ著者の追及は足りないぐらいだ。
 そもそも、「八目鰻」は1984年に書かれている。大阪や関西の事情に詳しくない解説者にとっては仕方のないことかもしれないが、殺人さえ犯した一派のことを、このような「解説」で済ましては著者の思いを歪めることになる。仕方がない側面もあるとは思うが、あえて記録しておく。

樫本喜一編『坂田昌一 原子力をめぐる科学者の社会的責任』

 原発をめぐる戦後からの状況を、科学者の視点から見つけ続け、発言し続けた坂田昌一の文集。「平和利用」という「思い」にこだわった今日的には疑問符がふされる内容はあるものの、坂田昌一や日本学術会議が指摘し、警告した事項を忠実に守ろうとすれば、原発の稼働はあり得なかったことが予測される。
 科学者の科学的な指摘や警告に耳を貸さず、原発を推進した政府や原発推進者の「無理」があらためて分かる。60年前から、安全性を死守しようとする政治姿勢もなかったことが分かる。このような曖昧な状態のもとで、原発を稼働した政治責任は重い。
 過酷事故が起こってからでは遅い、と指摘されていたにも関わらず、それに耳を貸さなかった政治責任をあらためて追及しなければならないだろう。

「自然発生的」について

 私も時には使っているかもしれない「自然発生的」という言葉について、考えさせられた。レーニンの「なにをなすべきか?」に書かれている。以前に読んだ時には、素通りしたかもしれない。今月、レーニンの「マルクス=エンゲルス=マルクス主義 1」(国民文庫)収録の「なにをなすべきか?」抜粋を読んでいて、釘づけになった。「自然発生的にもいろいろある」として、「理解しはじめた」という捉え方は、偶然ではなく必然性が内在していることを示している。歴史が断絶していないように、人間社会の運動も断絶していないことを考える時、「自然発生的」という言い方に気をつける必要があるだろう。

 「しかし、自然発生的にもいろいろあろうというものではないか
 「「自然発生的要素」とは、本質上、意識性の萌芽状態にほかならないということである
 「つまり、労働者は、自分たちを圧迫している制度が確固不動のものであるという古くからの信仰を失って、集団的反撃の必要を・・・理解しはじめたとは言わないが、感じはじめ、目上の者への奴隷的従順をきっぱりと捨てさったのである

「蟹工船」ブームの誤読

 2008年に、いわゆる「蟹工船」ブームが起こった。その時、人々は小林多喜二の「蟹工船」の何を読んだのだろうか。使い捨て労働の悲惨さ、過酷労働の酷さ、それらへの「共感」という紹介が多かった。
 2011年3月11日の福島原発事故が起こって以来、原発労働者の実態を「蟹工船」と例える本を何冊も読んだ。それほど、原発労働者の、命軽視の労働条件の酷さがクローズアップされたからだろう。それはそれで間違ってはいない。

 しかし、小林多喜二は、けっして、そのことだけを唯一の課題にしたわけではない。悲惨な労働の実態を明らかにするだけでなく、なぜ、そのような労働が強いられるのか。強いられた労働者が、最初はバラバラにされていて、その本質に気づかなくても、何度も同じ過酷な労働を強いられることによって、学んでいく姿を描いている。

 自らのおかれた立場を学んだ結論が、「俺達には、俺達たちしか味方が無えんだ。」ということに気づき、「そして、彼等は、立ち上がった。―もう一度!」という結論になることが、多くの書で見落とされている。

 第三次「蟹工船」ブーム(第一次は1929年、第二次は2008年、第三次は私たちがこれから起こす)は、人間の尊厳をかけたたたかいへの本当のたたかいへと発展させなければならない。

 昨今の橋下氏などへの支持は、主体的な、能動的な行動力をもぎ取られた閉塞感あふれるもとでの、他力本願の結果なんだろう。

 「万国のプロレタリア団結せよ!」と、「そして、彼等は、立ち上がった。―もう一度!」を、セットで考え、行動する時、本当の「蟹工船」を書いた多喜二の精神が生きてくる。世界に広がる「99%のわたし」の精神と行動は、マルクスと多喜二の精神に繋がっている。

11月の読書

 昼間は仕事。夜は労働運動。非専従に戻って2ヶ月目。非専従で全体を見渡すのはなかなか難しい。けど、「木を見て森をみず」にならないようにしないといけない。
 11月の読書は以下。『資本論』はこだわって読み続けている。青木笙子著『沈黙の川 本田延三郎 点綴』は、本田延三郎の生涯だけでなく、小林多喜二との関わり、井上ひさしとの関わり、「組曲虐殺」に関することなど、興味深い内容だった。

画像カール・マルクス/宮川實訳 『学習版 資本論②』
友寄英隆 『大震災後の日本経済、何をなすべきか』
山田玲ニ 『資本主義卒業試験』
橋下徹/堺屋太一 『体制維新―大阪都』
赤旗編集局 『原発の闇 その源流と野望を暴く』
POSSE vol.12 『復興と貧困』
日野秀逸 『「被災者目線」の復興論』
柳田邦男 『「想定外」の罠』
画像内田樹ほか 『橋下主義を許すな』
安西祐一郎 『心と脳』
吉田謙吉 『築地小劇場の時代』
塩崎賢明ほか 『東日本大震災 復興への道』
小出裕章 『原発の真実』
ハイネ   『ドイツ古典哲学の本質』(岩波文庫)
柿谷浩一編 『日本原発小説集』
今野晴貴・川村遼平 『ブラック企業に負けない』
画像斎藤貴男 『民意のつくられかた』
北村俊郎 『原発推進者の無念』
有馬晋作 『劇場型首長の戦略と功罪』
池田知隆 『どうなる!大阪の教育』
山岡淳一郎 『原発と権力』
青木笙子 『沈黙の川 本田延三郎 点綴』

一冊の本が届きました

 数年前に宇治山宣会の総会で記念講演をした人から、一冊の本が届いた。メッセージには、このブログを見ているとのこと。この2年間の更新状況は恥ずかしい限りですが、西宮のTさんだけでなく、このような読者がいることにびっくり。
 小林多喜二の研究に関心を持っている人が、一個人の発信を見ていることをあらためて考える必要があるかもしれない。何はともあれ、多喜二への関心は、ひそかに(?)、興味深く、いまも続いていることに確信をもとう。

 送られた本にたいする「書評」は、後日ということで。

「民意」のはき違え

 大阪市長選挙に当選した橋下氏が、早くも「民意」の歪曲を行っている。大阪市全有権者は2,104,977人、橋下氏に投票したのは750,813人で、全有権者の35.66%。選挙に勝ちさえすれば、当選者の意見がすべて「民意」であると押し通す手法はすでに使われてきたが、昨日の会見はその最たるものだ。

 27日の会見で橋下氏は、「大阪市長は260万人の民意を得ているだけ」(「毎日」)と発言。いつ、どこで、「260人の民意を得たのか」。
 平松氏に投票した522,641人の「民意」、831,523人の投票しなかった人の「民意」を無視して、「260万人の民意を得ている」と言い切る思考が恐ろしい。

 正確には「大阪市長は260万人市民の代表」であって、いずれの「民意」にも耳を傾けなければならない。ましてや、「大阪市民有権者の35.66%の支持を得ただけ」で、「白紙委任」されたわけでもない。それが「260万人の民意を得ている」とすり替わってしまうのだから、とんでもない暴君だ。

 「教育基本条例案」や「職員基本条例案」についても、「民意」を得たから、「民意を無視することはできない」と発言。しかし、選挙公報では「教育基本条例案」についていっさい触れず、法定ビラではウソと誤魔化しに終始。それでも、勝ちさえすれば、「民意」と解釈する傲慢ぶり。

  「民意」をはき違えた人物と冷静な議論ができとは思えない。「教育基本条例案」「職員基本条例案」については、全国の各界各層から異議や問題点、違法性さえ指摘されている。大阪市議会では、すでに否決されている。それでも「民意」と言って市長提案すると言っている。
 WTCの時もそうだったが、否決されたら「もう一度民意を問うこともあり得る」と、解散という脅しや恫喝を平然と行う。今度もそうだ、「解決しなければもう一度民意を問うこともあり得る」と発言。違法な条例案さえ、歪曲した「民意」を盾に押し通そうとする姿勢は独裁そのもの。さらには、自らの独裁ぶりをカモフラージュするために言った言葉にはあきれるしかない。「教委の独裁を改めさせる」と言ったという。空いた口がふさがらない。

 さらなるたたかいへ、運動を強めていこう。

小林多喜二『党生活者』のミッシングリングが解けた?

 小林多喜二の「党生活者」については、多喜二自身の書簡や事実関係などから、その執筆時期というか、完了時期について疑問が多い。私も、時期的につじつまの合わない書簡などに基づいて考えたときもあった。気になりながら、そのままになっていたが、ついにその真相が明らかになるかもしれない。

 島村先生のフェイスブックに「来年2月に小樽で開かれる「小樽小林多喜二国際シンポジウム」で​は、晩年(地下活動中)の多喜二が遺した原稿や、伏字無しの状態​で保存された「ゲラ」を素材に話すつもり。「党生活者」の直筆原​稿は発見されていないが、伏字無しで組まれた「ゲラ」刷りは二種​類残されている。」との書き込みがあった。
 二種類「残されている」ことについては、すでに佐藤三郎さんが指摘していたが、現物をみない私はあまり深く考えていなかった。
 しかし、この意味はとてつもなく大きいことに気付いた。この二種類の「ゲラ」の違いが、書簡の日付問題や編集者の見た原稿がいつのものだったのか、などの疑問を解くことになるかもしれない。
 これは、多喜二研究にとって、注目すべき発表になるかもしれない。

2012年大阪多喜二祭の挑戦

 超多忙なメンバーが集う大阪多喜二祭事務局が今月から動き始めた。第1回事務局会議で相談した内容の具体化が着々と進んでいる。
 大阪多喜二祭は、時代を撃つことにこだわり、昨年は経済学者でもある石川康宏神戸女学院教授に記念講演をしていただいたが、今年も文学研究者でない人に依頼し、現在、記念講演のタイトル等の最終調整中だ。

 現在、東日本大震災復旧・復興支援みやぎ県民センターの代表世話人で、東北大学名誉教授、日本医療福祉生活協同組合連合会副会長理事の日野秀逸さん。近著に『「被災者目線」の復興論』など。

2012年大阪多喜二祭(第6回)
 日 時 2012年2月18日(土) 午後2時~
 場 所 クレオ大阪東ホール(2010年、2011年と同じ)
       (JR「京橋」駅南口・南へ徒歩7分
       京阪「京橋」駅中央口・南へ徒歩11分
       地下鉄「大阪ビジネスパーク」駅④出口・東へ徒歩9分)
 第1部 文化行事
       (折衝中)
 第2部 記念講演
       日野秀逸さん「人間の健康(いのち)の復興と小林多喜二」(仮題)

大阪「多喜二サロン」
 日 時 2011年12月6日(火) 午後6時半~
 場 所 クレオ大阪中央
       (地下鉄谷町線「四天王寺前夕陽ヶ丘」駅1、2番出口から徒歩約3分) 
 内容   井村身恒さん「織田作の孫弟子が語る―織田作之助と『蟹工船』」

③2012年大阪多喜二祭「前夜祭」
 日 時 2012年1月28日(土)午後6時~
 場 所 ねむかホール(谷町6丁目)

「蟹工船」劇 「北緯五十度以北」と小林多喜二

 以前、古本市で購入した吉田謙吉著『築地小劇場の時代』を読んだ。ここに書いてあることが本当なら、蟹工船執筆の調査は函館だけでなく、船中の様子などは小樽でも調査していたことになる。興味深い。吉田謙吉は舞台装置家で築地小劇場で仕事をしていた。以下、引用(P233~)。

 高田保脚色による小林多喜二の「蟹工船」は「北緯五十度以北」という題目に変えさせられてしまったことによって、かろうじて上演されることになった。
 新築地劇団の「蟹工船」の上演にさいしては、劇団から、当時、小樽の拓殖銀行に勤務していた小林多喜二を、土方与志とぼくとでたずねることになったが、土方与志が、地方公演の稽古にひっかかっていて、何としても出かけられなくなってしまったために、ぼくだけがひとり、「蟹工船」そのものについての資料取材のために、小樽まで出かけることになり、あらかじめ、劇団から小林多喜二宛つぎのような電文を打った。
 キサクカニコウセンブタイノタメヨシダケンキチアスアサ7ジ オタルニツク」シンツキジ
 初日は、すでに数日後に迫っていた。ぼくは小林多喜二をたずねるはなしがきまるとすぐ、その日のうちに小樽に向かった。
 (略)
 小樽に着くなり、拓殖銀行をたずねると、すぐにわかった。ひっそりとした裏通りにあった二階建ての木造の洋館まがいの建物で、はいっているなりカウンターで刺を通じると、ちょっとはなれたデスクから、立ちあがった小林多喜二は、にこやかにその白顔をほころばせながら、出てきてくれた。
 (略)
 漁業組合を、まず、たずねた。入口の土間に立ってみると、両側のニ階ベットから蟹工船の漁夫たちが、むっくり起きあがりながら、無表情ぜんとした顔を一瞬こちらに向けた。一人の漁夫が、土間のあたりまで出てきてくれ、小林多喜二と二言・三言はなしはじめていたが、北海道弁というか、ほとんどはなしの内容はききとれなかった。
 (略)
 小林多喜二と漁夫のはなしは、ぼくに蟹工船を見せてあげてほしいとの頼みの連絡だったことがあとでわかった。だが、「あいにく、いま、みられるように、船からあがったところだし、就航はしていない」という。しかし、船員のいない船そのものだったら、見せてもらえるということだった。
 もちろん、ぼくはぜひその船を見せてほしいと頼んだ。その足で、そのまま小林多喜二と埠頭に向かった。埠頭といっても、さくばくとした浜辺で、そこに、小さなモーター船のはしけが一・ニ隻もやっていた。だが、小林多喜二は、銀行の勤務中なので、いったん銀行に帰らなければならないからというので、その浜辺で別れ、ぼくひとのそのハシケに乗せてもらった。
 (略)
 ぼくはふたたび拓殖銀行にもどって、小林多喜二に会い、礼をのべると、すぐにまた小樽の駅にひきかえし、その日のうちに連絡船に乗った。
 (略)
 それについて付記しておきたいのは、尾崎宏次、茨木憲両氏による著「先駆者の生涯―「土方与志」」の年表によると、ぼくがこの上演にさいして小樽まで出かけたが、「小林多喜二には会っていない」と記されているが、明らかに誤りであることは、以上にしるしたとおりだが、
 (略)

義母の笑った顔

 昨日、長崎から帰ってきた。義母の見舞いに行く前に、「表情がないから。何を言っても頷くだけだから」と言われていたので、人を判別できないのかなと思っていた。
 ペットに横たわる義母に、「来たでー。たいへんやったなぁ」と話しかけると、大きく目を見開いて、大きく笑ってくれた。一緒に行った親類が、「笑った顔を初めて見た」と驚いていた。時々は人を判別できるまで回復したのだと思う。右半身は動かないけど、左はしっかりと動く。リハビリをしんどがっているそうだが、もう少し回復すれば、車椅子生活ができるようになるかもしれない、という。
 少しでも回復して欲しい。一緒に行った娘が、義母の姿を見て泣いていた。あんなに、おしゃべり好きだった義母が話すこともできない姿はたしかに悲しい。回復を祈るのみだ。