『資本論』と、民営化という「市場」拡大
昨日の続きで、『経済』11月号の「『資本論』で社会を語ってみた」を読みました。私も青年部の学習会で直接ではなく間接的に挑戦している最中の取り組みを、正面からやっているのを読んで、正面突破もなかなか意義があるなと思いました。まあ、私の場合は4回の学習会で現代の仕組みの一端を知ってもらおうという試みなので、比べようもありませんが。
この取り組み報告文の中に、昔は『資本論』が一つの「教養」として読まれた時期があったのに、いまでは「教養」としても共有されなくなってきた、ということが書かれています。
いまでは、「搾取」という言葉さえ、滅多に使われません。「賃金とは」「搾取とは」などの「そもそも論」が、一部の分野を除いてほとんど学習されていないのが現状かもしれません。
多喜二の日記で、よく引用されるひとつに1927年3月14日の日記があります。
磯野進の小作争議の演説を聞こうとして行ってみたところ、何十人という巡査が表に居り、入場を拒絶している。外では沢山の人達が立ち去りもしないで、興奮し、官憲とブルジョワの横暴をならしていた。一労働者のようなものの口から「搾取」などという言葉が常識のように出ていた。時代が進んだことを思った。皆目ざめているのだ。自分も興奮して帰ってきた。
21世紀のいま、この「搾取」についてあまりにも語られることが少なくなったのではないでしょうか。
「官から民」への大合唱のもとに、「民営化」がどんどん進められています。しかし、その本質を説明するのには骨が折れます。
「市場化」というのが、資本家が儲けるための「市場」を増やすことだということが簡単には分かってもらえないのです。
指定管理者制度が導入されて、入札した企業が儲からないから「撤退」した事例が増えている、などなど具体的な事例を説明しても、やっぱり十分には分かってもらえません。
橋下知事が、その仕事の「充実度」について、結果的に「民が4で、官が6」で「官」が「充実度」で勝っも、やっぱり「民営化する」と言っても、誰も疑問にさえ思わない状況があります。
「市場」の拡大に血眼になって、かつては「市場」を拡大するために戦争さえした資本家の本質がまったく理解されないのです。
「民営化」されても、施設などを維持する経費はまったく変わりません。「節約」できるのは人件費だけです。その結果、「民営化」された場所で働く労働者は、派遣・非正規労働者で、いわゆる「官製ワーキングプア」です。この「官製ワーキングプア」が増えていることを説明すると、「うーん、それはいけない」と分かるのだけど、「やっぱりしっくりこない。なんで民営化したらいけないんだろう」と堂々巡りです。
公務員は「厚遇」、「まともな仕事をしていない」ということが刷り込まれているのです。それも一部の「真実」を、あたかもそれがすべてのように、です。
「厚遇」の人がいる事実が、すべての公務員が「厚遇」だと思われています。ここが一つのミソかもしれません。
「民営化」して、請け負った会社が「厚遇」の賃金を改めて、「普通」の人並みの賃金を払って、その差額で儲けたというのなら、「官製ワーキングプア」という事態が今日ほどに広がることはないはずですよねぇ。
ここいらにカラクリがあるのですが、資本主義そのももの仕組みがわからないと、かわりにくいのですよね。だから、流れに乗ってしまうのかもしれません。
あらためて、『資本論』(『資本論』でなくとも、その肝心点)が一つの「教養」となるような状況づくりが必要だと思いました。
『蟹工船』の最後に次のように書かれています。
―この一篇は、「植民地に於ける資本主義侵入史」の一頁である。
資本家は、新たな「市場」拡大をめざして未開の地におもむき、そこを「植民地」化していく。「派遣労働」や「民営化」という新たな「植民地」に侵入した資本家の横暴はいまも牙をむいている。
そして、彼等は、立ち上った。―もう一度!
この取り組み報告文の中に、昔は『資本論』が一つの「教養」として読まれた時期があったのに、いまでは「教養」としても共有されなくなってきた、ということが書かれています。
いまでは、「搾取」という言葉さえ、滅多に使われません。「賃金とは」「搾取とは」などの「そもそも論」が、一部の分野を除いてほとんど学習されていないのが現状かもしれません。
多喜二の日記で、よく引用されるひとつに1927年3月14日の日記があります。
磯野進の小作争議の演説を聞こうとして行ってみたところ、何十人という巡査が表に居り、入場を拒絶している。外では沢山の人達が立ち去りもしないで、興奮し、官憲とブルジョワの横暴をならしていた。一労働者のようなものの口から「搾取」などという言葉が常識のように出ていた。時代が進んだことを思った。皆目ざめているのだ。自分も興奮して帰ってきた。
21世紀のいま、この「搾取」についてあまりにも語られることが少なくなったのではないでしょうか。
「官から民」への大合唱のもとに、「民営化」がどんどん進められています。しかし、その本質を説明するのには骨が折れます。
「市場化」というのが、資本家が儲けるための「市場」を増やすことだということが簡単には分かってもらえないのです。
指定管理者制度が導入されて、入札した企業が儲からないから「撤退」した事例が増えている、などなど具体的な事例を説明しても、やっぱり十分には分かってもらえません。
橋下知事が、その仕事の「充実度」について、結果的に「民が4で、官が6」で「官」が「充実度」で勝っも、やっぱり「民営化する」と言っても、誰も疑問にさえ思わない状況があります。
「市場」の拡大に血眼になって、かつては「市場」を拡大するために戦争さえした資本家の本質がまったく理解されないのです。
「民営化」されても、施設などを維持する経費はまったく変わりません。「節約」できるのは人件費だけです。その結果、「民営化」された場所で働く労働者は、派遣・非正規労働者で、いわゆる「官製ワーキングプア」です。この「官製ワーキングプア」が増えていることを説明すると、「うーん、それはいけない」と分かるのだけど、「やっぱりしっくりこない。なんで民営化したらいけないんだろう」と堂々巡りです。
公務員は「厚遇」、「まともな仕事をしていない」ということが刷り込まれているのです。それも一部の「真実」を、あたかもそれがすべてのように、です。
「厚遇」の人がいる事実が、すべての公務員が「厚遇」だと思われています。ここが一つのミソかもしれません。
「民営化」して、請け負った会社が「厚遇」の賃金を改めて、「普通」の人並みの賃金を払って、その差額で儲けたというのなら、「官製ワーキングプア」という事態が今日ほどに広がることはないはずですよねぇ。
ここいらにカラクリがあるのですが、資本主義そのももの仕組みがわからないと、かわりにくいのですよね。だから、流れに乗ってしまうのかもしれません。
あらためて、『資本論』(『資本論』でなくとも、その肝心点)が一つの「教養」となるような状況づくりが必要だと思いました。
『蟹工船』の最後に次のように書かれています。
―この一篇は、「植民地に於ける資本主義侵入史」の一頁である。
資本家は、新たな「市場」拡大をめざして未開の地におもむき、そこを「植民地」化していく。「派遣労働」や「民営化」という新たな「植民地」に侵入した資本家の横暴はいまも牙をむいている。
そして、彼等は、立ち上った。―もう一度!
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