ちょんびりもの個人生活も
いやー、和歌山から帰ってきたら佐藤さんからコメントが書き込まれていました。先日から私の体調のことを心配していただいています。
「時間を無駄に使いましょう」と、佐藤さんなりの表現ですね。「身体は生命力の工場です。身体がストライキやサボをしたら困りますよ(笑)」と、これも私が最近爆睡することがあるので、心配してのことです。たしかに爆睡は身体からの注意信号だと感じていますので、注意します。
でも、「時間を無駄に」使うことが、性分上できないのですよねぇ。ボッーとしている時間がもったいなくて(笑)、空いた時間にできることを何かしてしまうのですよねぇ。
ブログ「「蟹工船」日本丸から、21世紀の小林多喜二への手紙。」に、小林多喜二「独房・党生活者」発売に関する岩波書店の「文庫ニュース」が紹介されています。
その中に、「私にはちょんびりもの個人生活も残らなくなった」と書かれていることに対してのことが書かれています。「生活の背理のただ中に、確かに多喜二は立っていました」と書かれていますが、これは違いますよね(岩波ニュース執筆者の善意的な考えを否定るために書いているのではありません)。
私の現在の生活に照らしてです。
そもそも、「ちょんびりもの個人生活も残らなくなった」なんてことはないです。そもそも、自分で選択した「生き方」であるうえに、「ちょんびりの個人的」時間はあります。この「ちょんびり」の時間も私にとっては大切な時間なのです。この「ちょんびり」の時間をどう有効に使うかも、私にとっては重要な「生き方」の問題なのです。
だから、多喜二は「党生活者」で、「一日を28時間に働いても疲れを知らないタイプ」に自分を鍛えなければ駄目だ、と言う人があると書いていますが、しかし、多喜二はちゃんとそれは肉体的には無理だと事前に言っています。
「頭がギン、ギン痛んだ」
「極度の疲労から身体の何処かを悪くしているらしく、弱い子供のように直ぐうつ伏せになって寝ていた」
まあ、そういうことです。
私も身体には留意し、身体の注意信号に敏感になり(信号が出てからでは駄目だと佐藤さんに怒られていますが)、休めるときには休むようにします。
でも、「本望」には、やっぱり「生き方」の問題がかかわっています。
「時間を無駄に使いましょう」と、佐藤さんなりの表現ですね。「身体は生命力の工場です。身体がストライキやサボをしたら困りますよ(笑)」と、これも私が最近爆睡することがあるので、心配してのことです。たしかに爆睡は身体からの注意信号だと感じていますので、注意します。
でも、「時間を無駄に」使うことが、性分上できないのですよねぇ。ボッーとしている時間がもったいなくて(笑)、空いた時間にできることを何かしてしまうのですよねぇ。
ブログ「「蟹工船」日本丸から、21世紀の小林多喜二への手紙。」に、小林多喜二「独房・党生活者」発売に関する岩波書店の「文庫ニュース」が紹介されています。
その中に、「私にはちょんびりもの個人生活も残らなくなった」と書かれていることに対してのことが書かれています。「生活の背理のただ中に、確かに多喜二は立っていました」と書かれていますが、これは違いますよね(岩波ニュース執筆者の善意的な考えを否定るために書いているのではありません)。
私の現在の生活に照らしてです。
そもそも、「ちょんびりもの個人生活も残らなくなった」なんてことはないです。そもそも、自分で選択した「生き方」であるうえに、「ちょんびりの個人的」時間はあります。この「ちょんびり」の時間も私にとっては大切な時間なのです。この「ちょんびり」の時間をどう有効に使うかも、私にとっては重要な「生き方」の問題なのです。
だから、多喜二は「党生活者」で、「一日を28時間に働いても疲れを知らないタイプ」に自分を鍛えなければ駄目だ、と言う人があると書いていますが、しかし、多喜二はちゃんとそれは肉体的には無理だと事前に言っています。
「頭がギン、ギン痛んだ」
「極度の疲労から身体の何処かを悪くしているらしく、弱い子供のように直ぐうつ伏せになって寝ていた」
まあ、そういうことです。
私も身体には留意し、身体の注意信号に敏感になり(信号が出てからでは駄目だと佐藤さんに怒られていますが)、休めるときには休むようにします。
でも、「本望」には、やっぱり「生き方」の問題がかかわっています。
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