山宣と多喜二と鶴彬を語る

画像 「いまなぜ、山宣、多喜二、鶴彬なのか」。来年が生誕120年の山本宣治、没後75年の小林多喜二、没後70年の鶴彬、この三人について、それぞれの関係者が、いまの時代との関係で話します。
 やっとその準備が終わりました。明日の私の持ち時間は10分です。いつもは10分までなら原稿でなく、メモだけで済ますのですが、「蟹工船」ブーム絶頂のもとで話が流れないように原稿を書いてみました。ただ、過去にも原稿つくったことはありますが、原稿どおりしゃべったことは一度もないので、どうなるかは明日次第ですが。
 どうも労働組合の会議や大会で発言することが多いために、他人の話を聞いてからそれに対して話す癖になってしまっています。だけど、労働組合の議論はかみ合わなければ、というのがモットーなので、これだけは抜け切れません。
 30を超える話のときはレジュメつくって話しますが、10分くらいだとレジュメつくるとかえって拘束されてしまって自由な発言ができないことや、レジュメをしゃべってしまおうとして、時間オーバーになってしまう恐れがあります。あまりにも労働組合の会議ばかりに慣れてしまって、自分でも良くないとは思うのですが、このスタイルから抜け切れません。
 まあ、よろしくお願いします。

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック