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小林多喜二の戀〔承前〕Q
 小林多喜二の戀〔承前〕Q中津川俊六(1949・03婦人公論)P=7・12 ♪かのように、瀧子のすみからすみまで知り尽くしての愛情の仕方というものは、それなりに善意に満ちたものではあったが、それが、彼女に言わずもがなの感を与えたのは、事実であったろう。  過去を振り返ってはいけない、それに拘って自分を卑下してはならぬと、始終口癖の様に、言葉や手紙の上でも繰り返される度毎に、彼女はかえって意識的に、それに拘ってしまうのであった。  「忘れろ」が「忘れるな」と同じ意味を持つ、逆作用の心理にとら... ...続きを見る

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2008/07/27 12:56
小林多喜二の戀〔承前〕P
 akioさんから小林多喜二の戀〔承前〕P中津川俊六著(婦人公論1949・3)が書き込まれました。以下に転載します。 ♪事実小林は、始終、言葉でも、手紙でも、また、小説の上でも、彼女の自己卑下をめぐって、彼女を難じたり、諭したり、励ましているのであるが、たとえば、一例として、次のような手紙を書いているのだ。 (1927・2:日不明)・・瀧ちゃんは何でも僕の云う事なら従うといったねえ。それじゃ一つ従って貰いたい事がある。それは瀧ちゃんが、自分に暗い陰を持っているという意識を何時(でも)までも持... ...続きを見る

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2008/07/12 05:59
小林多喜二の戀〔承前〕O
 akioさんからです。これ何回続くのでしょうかね。以下に転載します。 小林多喜二の戀〔承前〕O中津川俊六  ところで瀧子は、今度(室蘭へ家出)の場合でもそうだが、自分のようなものがまつわりついては、小林を不幸にするばかりだと、母に泣いて訴えている。しかし、この彼女の言葉を、言葉としてそのまま分析しないで理解することは困難であろう。  彼女のこの言葉には、二様の意味が同時に含まれているからである。一つは自己卑下であり、もう一つは経済的なものであった。  小学校もろくに出ていない、知識の低... ...続きを見る

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2008/07/02 19:29
小林多喜二の戀〔承前〕N
 akioさんから、小林多喜二の戀〔承前〕Nが書き込まれました。以下に紹介します。  小林多喜二の戀〔承前〕N:中津川俊六(婦人公論1949・3) ♪第二の家出事件がもちあがった。  瀧子が○病院から、突然姿を消したのが5月(1927年)の28日であった。ところが、その前の27日の夜、稲穂町の大黒屋という呉服店の角で、二人は偶然にも会っているのだ。  その時は、何時ものように、なんと云う事なしに一緒に物を食べたり、街を散歩したりして、小林は、10時40分の汽車で若竹町の家に帰ったのである... ...続きを見る

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2008/06/28 06:48
小林多喜二の戀M
 もう14回になるのですね。akioさんの記事を以下に転載します。 小林多喜二の戀M中津川俊六(婦人公論1949・2) ♪しかし、小林は人並み以上に感情家だったが、その感情をオーバーするだけの理性の強さを持っていた。だから、東京行きの中止と、瀧子の家出を契機として、彼の文学に対する考え方や、その後の瀧子への態度は、尚一層に小林的に鮮明の度を加えていった。  彼の生い立ちや、環境からおしてもわかるように、彼の文学は自然発生的にプロレタリア的に成らざるを得ない運命の星のもとにあった。  それ... ...続きを見る

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2008/06/18 20:07
小林多喜二の戀L
 akioさんから「小林多喜二の戀L」が書き込まれました。以下に紹介します。 小林多喜二の戀L中津川俊六(1949.2婦人公論) ♪彼女はそれに一言の文句を付けようもないから、彼について勉強もしよう、彼が立派な小説家になるようにと祈り続けているが、何かそこに自分なりに納得いかない、割り切れないものが何時までも滓(カス)のように心の底に澱んでいるのをどうする事も出来なかった。「やまき屋の生活が言葉通りに地獄なら、小林の家は、まさに天国であった。  ところが、瀧子にとっては、そのどちらも仮の住... ...続きを見る

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2008/06/04 05:58
小林多喜二の恋K
 akioさんから小林多喜二の恋Kが書き込まれました。以下に紹介します。 小林多喜二の恋K中津川俊六(1949・2婦人公論) ♪さて、小林が東京へ出たがっている。それが瀧子にどんな風に反射したであろうか。彼が東京に就職口が見つかって上京するようなことがあったら、彼女も一緒に東京へ行く。それで、晴れて二人の結婚生活が始まるのだ。  こんな事は、二人の間には暗黙の内に約束されているようなものの、しかし、その点になると小林ははっきりとは明言してくれない。なぜか口を濁らせて、曖昧にしている。たとえ... ...続きを見る

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2008/05/28 06:41
小林多喜二の恋J
 akioさんから小林多喜二の恋パート11が書き込まれました。このakioさんの書き込みはけっこう大変なんですよ。私も以前、多喜二から田口瀧子宛書簡すべてを書き込みましたが、かなりのエネルギーがいりました。おかけで「田口タキ」のテーマで調べるとすべての書簡が簡単に見れます。コピーするのも楽です。akioさんの書き込みも「中津川俊六」のテーマで調べれば簡単に見れるようになっていますよ。以下にakioさんの小林多喜二の恋Jを転載します。 ...続きを見る

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2008/05/14 19:05
小林多喜二の恋I
 akioさんから「小林多喜二の恋I」が書き込まれました。ありがとうございます。以下に転載します。 小林多喜二の恋I中津川俊六著(1949・2婦人公論) 〔瀧子の家出〕  小林が瀧子に惹かれたのは、彼女のまれにみる美貌と、まれにみる従順と、そしてまれにみる生活のたくましさであった。彼女の従順については、小林が次の様に観察している。 「三、四日、彼女の働き振りは素晴らしい。母がそのことを自分に言った。自分の事の様に嬉しかった。こういう女をストリンドベリにみせて、安心させてやりたかった。そし... ...続きを見る

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2008/05/03 05:43
小林多喜二の恋H
 akioさんから「小林多喜二の恋」の続きが寄せられました。以下に紹介します。 小林多喜二の恋H中津川俊六著(1949・2婦人公論) (瀧子との同居)  母(セキ)にとって不思議でならないのは、その後の、多喜二と瀧子とのからだの関係だった。家の中が狭くて、二人は弟妹たちと一緒に枕を並べて寝なければならなかったから、つい夫婦の関係が結ばれないとみるのは、皮相な観察であった。  また、二人は正式に結婚したわけではなく、瀧子の親たちの承諾も得ていないからというのも、理由にはならない。小林が彼女... ...続きを見る

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2008/04/27 08:07
小林多喜二の恋G
 akioさんから「小林多喜二の恋」Gが書き込まれました。以下に紹介します。 小林多喜二の恋G 中津川俊六著(1949・2婦人公論) ♪最も、母は女だけに、瀧子を家に入れることを、何べんも考え直したに違いない。『多喜二はどうして世間から白首(ゴケ)とか淫売婦とかと蔑まされるような 商売女に気持が動いたのであろう。』子の親として、狂気の沙汰とより受取れなかったから、母の心痛も想像のほかであったに違いない。  しかし、母は、一応はそう思いながらも、小林をどこまでも信じて疑わないものを心の底... ...続きを見る

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2008/04/16 19:24
小林多喜二の恋F
 akioさんから「小林多喜二の恋」の続きが書き込まれました。以下に転載します。 小林多喜二の恋F 中津川俊六著(1949・2婦人公論)  瀧子から、『前借は500円ちかいが、その半分以上は自分が今まで貯金しているから、あとの半分だけ都合がつけば、今直ぐにも「やまき屋」から自由に出ることが出来るのだと聞いて、』            小林は心底から有頂天になった。200円位ならなんとか工面がならないでもあるまいと、自然そこに自身めいたものも生じた訳であるが、ああいう生活をしながらも、こつこつ... ...続きを見る

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2008/04/05 06:45
小林多喜二の戀 E
 akioさんから「小林多喜二の戀」の続きが寄せられました。以下に紹介します。 ...続きを見る

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2008/03/25 06:03
小林多喜二の戀 D
 akioさんから小林多喜二の戀の続きが紹介されました。akioさんの角膜剥離が治ったとのこと、安心しました。良かったです。以下に転載します。 小林多喜二の戀 D  小林は1903年に、秋田の田舎、北秋田郡下川沿村の自作兼小作農を父として生れた。母はイロハも習えないような日雇土方の娘であった。百姓だけでは食えないので、両親は農閑期になると、近所に建っている土工のトロッコ押しに出かけた。   彼が4歳の時、土地も奪われ、とうとう食えなくなった小林一家は、津軽海峡を渡って北海道へ移住した。そし... ...続きを見る

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2008/03/20 08:32
小林多喜二の戀C
  akioさんから小林多喜二の戀の第4弾が届きました。以下に紹介します。 小林多喜二の戀C ♪ 小林は文学を愛するように、現実を愛した。瀧子を愛する道は、彼女をたんに文学化することだはなくて、さらに瀧子を現実化することであった。彼女をまず「やまき屋」から解放する。  この牢獄から自由になった彼女を彼は自分のもとに引きとり、自分のえがくうつくしい理想の女にしたててゆく。そして、自分の一生をとおしての伴侶にする。小林にとって、これ以上の自分と彼女とのあいだの現実化、文学化はないと考えたのであ... ...続きを見る

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2008/03/10 05:02
小林多喜二の戀B
 akioさんから、小林多喜二の戀第三弾が届きました。以下に転載します。 ♪小林多喜二の戀B  小林の眼に映じた、いや、彼の心奥にふれた瀧子のアウトラインを知るためには、彼がそのころ、「やまき屋」に取材して書いた「曖昧屋」という作品が恰好なものだとおもわれるが、彼はその小説について、作者としての、つぎのようなメモを書いている。  初恵−純情。いい生活を求めている。センチメンタル。  光代−無反省。現在の生活に満足。  瀧子−内に純情をもっている。いい生活を求めている。しかし、そこから一... ...続きを見る

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2008/03/04 05:53
小林多喜二の戀A
  akioさんから「小林多喜二の戀A」が紹介されました。以下に転載します。 ♪小林多喜二の戀A  小林が田口瀧子あてに書いた手紙は、小樽時代、東京時代の八年間をとおして二十通ばかりのこっているが、この手紙はおそらくいちばん最初のものではなかったとおもわれる。  日づけをみると、大正13年3月20日なっているから、小林二十三歳、瀧子が十八歳のときで、二人の交渉は、その前の九月から始まっているのであった。  海岸線から山ノ手へかけて縦にほそ長い入舟町の、その山ノ手にちかい通りに面して、瀧子... ...続きを見る

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2008/02/29 06:32
小林多喜二の戀 @                
 akioさんの新連載が始まりました。第1回は「瀧ちゃん」宛の手紙の抜粋からです。以下に紹介します。 ...続きを見る

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2008/02/28 06:33
akioさんの新連載 予告♪♪
 akioさんから新連載の予告♪♪がありました。以下に紹介します。 2006.5.26わけも分からず書込みして?ついでにパソコン茶か茶かしている間に、「アキオちゃんブログ」が出来ちゃたりして。パニック!!(どんどん書込みあって全国のブログファンから怒られて!!!)   新たな連載前に私の履歴・・ @大逆事件と石川啄木・・2006.6.14 A多喜二と大月源二・・06.6.29→7.31(11回)=安子 B山本宣二と高倉テル・・06.7.30→8.27(10回) C多喜二の恋・・06.9... ...続きを見る

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2008/02/25 05:49
中津川俊六『全集』(1982年刊、立風書房、上下)
 小林多喜二が主宰した「クラルテ」に参加し、青春の多感な時期を小林多喜二と共有し、『小林多喜二の恋』などの作品を書いた中津川俊六さん。その中津川俊六『全集』(1982年刊、立風書房、上下セット6,000円、新品)をセット1,000円(送料450円)で武田晃二さんがお譲いただけるとの連絡が大阪多喜二祭実行委員会にありました。数に限りがありますが、ぜひご購入ください。大阪多喜二祭実行委員会も若干数取り寄せました。先着順となりますので、お早めにご連絡ください。 ...続きを見る

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2008/02/07 22:16
回想の小林多喜二:終章
 アキオちゃんから、「回想の小林多喜二:終章」が届きました。アキオちゃん、いつもありがとう。以下に紹介します。  回想の小林多喜二:終章(クラルテと俊六)丁度そのころ、友人のSが、小林から、今度『クラルテ』といふ同人雑誌を出すから、同人になってくれ、なにか書いてくれといふ話を持ってきた。まったく意外なプロポーズであった。『群像』廃刊になって間も無いころで、だから、いままでのやうに自由な発表機関を持てなくなった私が、別に新しい雑誌を欲しいとはおもってゐた。  しかし、前にも書いてゐるやうに、私... ...続きを見る

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2007/01/15 05:32
回想の小林多喜二C
 アキオちゃんから回想の小林多喜二Cが届きました。いよいよ次回が終章みたいです。以下に紹介します。  回想の小林多喜二C 「小林多喜二とチエホフ」 ♪♪ただ、私は、大抵の土曜日には小樽の実家に帰り、日曜日を小樽で遊んで居たのであったが、汽車の中で、よく小林と会った。小林は、小樽築港駅の近くにあって(商業学校へ通っていた頃の中学下の三ツ星パン屋は叔父さんの家であることがあとで判った)小樽の町へ出るには汽車を利用していたから、期せずして、こんな汽車の中で会わざるを得なかったのであろう  だから... ...続きを見る

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2007/01/09 05:42
回想の小林多喜二B
 アキオちゃんから、回想の小林多喜二Bが届きました。以下に紹介します。 新春(・o・) 回想の小林多喜二B=「没書の本心」  かやうに、小林をはばむものが、私のうちにふかく根をおろしてしまった。それ故、『駄菓子屋』が『群像』から締め出しくらったのは、作品そのものがまづいからではなかった。  また、中学対商業といふ学校の閥からでもなかった。それは、小林と私との二人の間にかもし出された、一種特別な関係からによるものであって、率直にいへば、競争心理なるものが私にはたらいたからに相違ないのであっ... ...続きを見る

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2007/01/06 07:02

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