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<<   作成日時 : 2011/06/05 18:32   >>

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 昨日の夕方、突然、疲労がピークに達した。今日は一日家でゆっくりしようと、朝もいつもより2時間も遅く目覚めた。朝は、ゆっくり過ごしたが、ちょっと本でも・・・。と思ったら止まらない。あーあ。
 楜沢健著『だから、鶴彬』とカール・マルクス著『資本主義的生産に先行する諸形態』(国民文庫)を読んだ。

画像 やっぱり楜沢健氏は注目だ。
 『だからプロレタリア文学』を読んで、以下のように感想を書いたけど、氏の視点は変わっていない。

 楜沢健氏に注目していましたが、今月発売された『だからプロレタリア文学』を読んでビックリしました。労働者の暮らしの実態に寄り添う「立ち位置」がこれほどはっきりしていたとは過去の論考で気づきませんでした。
 なぜ、いまプロレタリア文学が再発見され、「蟹工船」だけでなく、マルクスと「資本論」が読み直されているのか、その根本的問題に迫るものになっています。

 「貧困」との遭遇。
 それが感情をかき乱さない、穏やかで安定した遭遇になろうはずがない。それまで直面したことのない「不可解な」驚愕や憤怒や羞恥や恐怖をともなわない遭遇になろうはずがない。もしもその出会いが、何の感情の不調和も騒乱も混乱もともなわないのであれば、それは「貧困」ではない。感情の不調和や騒乱や混乱なしに「貧困」と真に出会うことはできない。『貧しき人々の群』は、そう訴えている。

 宮本百合子『貧しき人々の群』に対する論述だが、これは著者が同じ「遭遇」を感じたからこそ書ける文章であり、その「立ち位置」はすべての作品分析にブレることなく貫かれています。
 いまなぜ「蟹工船」なのか、現在の労働者にも寄り添いながら、その本質に迫る論考に、「鳥肌が立つ程興奮を感じた」といっては大げさかもしれませんが、少なくとも新しい「仲間」にエールを送りたいと思います。
 文学は誰のために書かれ、何のために書かれるのか、そして今日の資本主義社会のもとで懸命に生きる労働者が、立ち上がらずを得ない、そのことを「プロレタリア文学」時代から叫ばれ続けていることを示した本著の意義は大きいでしょう。


 以上は、2010年5月23日の未来ブログに書き込んだものだ。『だから、鶴彬』は、鶴彬の時代を俯瞰しようとしたもので、現代との対比はそれほど書かれてはいない。それでも、なぜ過去に学ぶのかという視点は、「立ち位置」に示されている。今後も期待したい。

 話は変わるが、橋下知事の独裁者ぶりが止まらない。ツイッターをみれば、暴走状態にあることがわかる。「数の力」で強権発動したことを批判されて、それに反論している言い分が自分勝手としかいいようのない支離滅裂ぶりだ。
 
 「大阪市議会大阪維新の会が提案した」条例について、「十分な審議もなく数の力で否決したのは既存の政党」と、自分たちの提案が否決されたことさえ「数の力」と言いきってしまうところが、独裁者の発想なんだろう。
 橋下知事のツイッターを読めば、コロコロ変わる言い方の角度、なんでも自分の基準でしか物事を考えられない無法ぶり、そして支離滅裂さがわかる。
 ただ、この言いたい放題のツイッターを読むには、根気と忍耐がいるから、誰も全部を読もうとは思わないだろうけど。

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