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zoom RSS 多喜二の日記

<<   作成日時 : 2009/04/03 06:01   >>

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 多喜二の日記には、全部ではないでしょうが、読書の記録も書き込まれています。私も以前は感想などを書き込む習慣を持っていたのですが、このところ忙しくてできていません。少しでもいいから、記録を残すことが必要かもしれないなぁ、なんて考えてしまいました。

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先日、小林多喜二のノート稿類の多くを管理している日本共産党中央委員会を訪ね、コピーではありますが、「日記」をはじめさまざまな資料を見ることができました。これまで、『全集』などの編集を経たかたちでは分らなかったことが、いろいろわかりましたが、その中で、「日記」に関するトピックスを二つだけご紹介しましょう。おそらく関係者だけが知っていたことで、公的に紹介されるのはこれが初めてだと思います。

Prof. Shima
2009/04/03 20:44
【多喜二の日記のタイトルは「折々帳」ではなかった】

多喜二の草稿ノートはそのほとんどが細かい書き直し、訂正、推敲のあとで一杯になっているのですが、日記帳にはほとんど直しが見られません。

その日記帳は「折々帳」というタイトルで知られ、ぼくもそう信じてきましたが、ノートの表紙には「折々帳」ではなく「析々帳」と書かれています。「折」ではなく「析」です。

そのことを踏まえて、改めて日記の中身を考えてみると、なるほどただ単に「折々」のことを記した漫然たる日記ではなく、自分の読書や創作、生活についての「分析」的な記述が大半を占めているという気がしないでもありません。

まぁ単なる書き間違いかもしれませんが、いずれにせよ「折々帳」ではなく「析々帳」であるということは事実です。
Prof. Shima
2009/04/03 20:49
【多喜二は「タッキー」と署名していた】

この日記ノートの裏表紙に、彼の英語の署名があります。そこに、多喜二は「Takiji Kobayashi」 ではなく「Tacky Covaiashy」と記しています。

そう、多喜二は「タッキー」だったのです。これは自筆署名で、ぼくが面白がって勝手に呼んでいるわけではありません。若き日の多喜二の、カッコつけの茶目っ気が、この署名に現れているような気がします。「タッキー・コヴァイアシー」。。。うーむ、若い!!
Prof. Shima
2009/04/03 20:56
 ”折折帳”1925年4月から書き始めたのでしょうか。そうだとすれば前の年10月に知り合った田口タキさんの”タキ”も意識していたという考えはいかがでしょうか。だからKOBAYASHIでなくCOVAIASHYというひねったスペリング(あるいは郷利基といったハンドルネームのつもりだった?)を用いたのかと想像します。SHYには、はにかみ屋の意味も(多喜二も彼女も)こめられていたかも。
「析析」を調べたら、禅宗の「祖堂集」巻19に”浄潔たること析析たり”という文がありましたが、多喜二と禅宗との接点は聞いたことはないのですが、漢文の知識に由来していたのでしょうか(析析という中国の人の名前が存在しますが)。母セキさんの名も意識したのでしょうか。
 本当に、多喜二の研究は「謎解き」にめぐりあう奥深さがありますね。
御影暢雄
2009/04/03 22:04
小林家の菩提寺は禅宗でした。
面白い符合ですね。
佐藤三郎
2009/04/04 08:05

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