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zoom RSS 『資本論』第12章 教育と資本家

<<   作成日時 : 2009/03/29 06:28   >>

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 いやー、忙しい日が続いています。一昨日午前3時に原稿を送信して晩にはゲラの校正依頼、小見出しの位置の据わりが悪いので1行縮めてとの依頼です。限られた紙面の中での配置なので、どうしてもこのような依頼がチョクチョクきます。まあ、今日中に送信すればいいので、なんとかしましょう。
 忙しい中でも、読書時間は削れません。このリズムだけは続けたいのですよね。今朝も午前4時間から『資本論』を読みました。現在の社会状況のもとで、『資本論』を読み直すといろいろな視点が気づかされます。今年の元旦から読み始め、本日第12章を読み終わりました。
 資本が労働者をモノ・部品としかみない資本主義の必然性はさることながら、第12章には資本家が教育費にお金をかけることを嫌う本音も示されています。

 A・スミスは、次のように言う―「大多数の人間の精神は、必然的に彼らの日常の仕事によって、またそこにおいて、発達させられる。少数の簡単な作業の遂行に全生涯を費やす人は、・・・彼の理解力を働かす機会をもたない。・・・彼は、およそ創造物としての人間がなり下がれる限り愚かで無知なものとなる」と。
 スミスは、部分労働者の愚鈍さを叙述したあと、次のように続ける―
 「彼の停滞的な生活の千篇一律さは、自然に彼の勇敢な精神をも腐敗させる。・・・その千篇一律さは、彼の肉体上のエネルギーをさえ破壊し、彼がこれまで仕込まれてきた細目作業のほかでは、精神的に忍耐強く自分の力を発揮できないようにする。」


 そこで、スミスはそれへの防止策として、国家による国民教育を推奨するのだが、元元老院議員のG・ガニエルは徹底的に反対する。

 国民教育は、分業の第一諸法則に反しており、国民教育で、「われわれの全社会制度がぶちこわされる」と言うのである。
 「他のすべての分業と同じように」・・・「手の労働と頭の分業も、社会」「が富めば富むほど、ますます明瞭かつ決定的となる。」


 「手の労働と頭の分業」という言葉の異質さは別としても、要は何も考えずに仕事だけする労働者を資本が求めていることを示しています。
 今日の日本の教育「改革」が一部のエリート教育だけを優先し、他の者の教育は切り捨て、ただ従順なモノとしての労働者だけを育成しようとしている本音がここには示されています。資本主義的生産様式のもとで、資本家の考えることが同じになることを見事に表していますね。
 私たちが教育問題にも取り組まなければならない意義はここにもあります。

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