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zoom RSS 多喜二さん、あなたのように本気で生きてみたい

<<   作成日時 : 2009/01/24 16:26   >>

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画像 ノーマ・フィールド著『小林多喜二―21世紀にどう読むか』(岩波新書)を一挙に読みました。と言っても少しずつ止まって考える必要のある点もあり、思った以上に時間がかかりました。とりあえず、全体を読み通したレビューをまとまりはありませんが、以下に記し、いくつかの点については後日考えて見たいと思います。

「多喜二さん、私もあなたのように本気で生きてみたい」 ―ノーマ・フィールド著『小林多喜二―21世紀にどう読むか』(岩波新書)を読んで―


 待望の多喜二論が出版された。ここまで言うと大げさすぎるだろうか。しかし、ここ数年、個々の研究論文、評論などが数多く出版されたが、一人の著者によって、多喜二のありのままの姿と生き様を丸ごと捉えた多喜二論は見当たらない。
 評伝としては手塚英孝著『小林多喜二』の業績はいうまでもないし、倉田稔著『小林多喜二伝』が小樽での多喜二の足跡を詳しく描いているが、評伝という体裁である。また個々に優れた論文もあるが、ここまで全体像を一人で論じた「書」としては近年なかったかと思う。

 多喜二への語りかけから始まり、読者への語りかけとして読むこともできるが、また著者自身への語りかけとしても読むことができるだろう。様々なところで著者の判断を示しながらも、それを読者にも考えてもらおうとする姿勢も感じる。
 その語りかけの中心は何よりも「生」(生きること)だと思う。そして、その「生」とは切り離せない、台所(暮らし)から労働、愛、政治、自然との共存と闘いなど、人の「生」という生々しい視点から見ることによって、生きた多喜二像を浮き彫りにしている。
 同時に、現代の私たちに「生」のあり方を問いかけ、多喜二を知ることの意義を伝えているのだはなかろうか。

 多喜二の「生」を、時代を踏まえつつ、かつ時間と空間を飛び越え、そして人だけでなく社会も動いていることを踏まえた分析は、これまでに論争になっている点などを考えるうえでも有効な視点を示しているように思う。
 多喜二を「矛盾の申し子」とする表現は、実は、多喜二の人生観・世界観を捉えようとする著者が示す提起を受け止めるうえで有効なのだが、それだけにはとどまらない。
 多喜二の時代、その後の時代も、実は「矛盾」の対立と統一との変動のなかで、ひとつの時代を形づくっているように見えるのだが、それさえも常に変動している。その眼に見えない変動を敏感に感じとった多喜二が、いかに活き活きとした「生きる人間」を小説に描こうとしたかを考えるとき、著者の主張はわかりやすい。

 「ともかく、多喜二の作品世界は窮屈でない。どこへ行っても人に好かれた多喜二は、ほとんどの人物にも一物の妥当性を持たせる。そういう人物がひしめく世の中を公式では捉えきれないのも当然。だから、創作は現実を把握するのに最高の現場だった。「現実を把握する」とはリアリズムの根本であるが、それは外界から作品に、なにものかを運び込むのではない。そんなことはそもそも不可能だ。むしろ、リアリズムは想像と創造を要す、ふつうの眼でいくら擬視しても気づかないか、見過ごすことのできないものを、小説のことばの力で見えるようにすることを目指す文学観と世界観だ。

 「多喜二の運動と創作はお互いを刺激して支えていた。創作はその場で認識される「正しい姿」に締め付けられることを拒み、運動は「正しさ」の探求を忘れさせなかった。

 「『安子』において最も強調すべき点は、運動が人間全体を相手にしなければならない、という認識の芽生えだ。

 「生きる」人間、そして人間全体をありのまま(想像と創造を要す重要性を著者は説く)に描こうとし、描いた多喜二の人間観・世界観に迫っていると思う。
 「多喜二の作品世界は窮屈でない」「そういう人物がひしめく世の中を公式では捉えきれない」「締め付けられることを拒み」「探求を忘れさせなかった」という指摘は、多喜二の文学と人生を考えるうえで、貴重な視点だと思う。

 「俺はじっとしていることが出来ない」と生き続けた多喜二を見つめ直すことによって、「人はだれでも、あなたのように本気で生きてみたいと、一度は思うのではないでしょうか」(著者のエピローグ)との言葉は、現代を生きる私たち全員に問いかける言葉として聞こえてくる。

 「政治」「犠牲」「愛情の問題」など、語るべきことは多岐にわたるが、それについてはこれからも考えていきたい。

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コメント(4件)

内 容 ニックネーム/日時
ノーマ先生のご本、お見事でした!!!
すごくわかりやすく、なのに鋭い。わたしも、かみしめるように、何度も読み直すでしょう☆!!
ほんとうに、このような多喜二論が世に出たことに、多喜二を慕う者として、誇らしい喜びを感じます。
めい
2009/01/24 21:09
浜林正夫『小林多喜二とその時代―極める眼』も類書といえるかも。
takahashi
2009/01/25 00:43
「多喜二への語りかけから始まり、読者への語りかけとして読むこともできるが、また著者自身への語りかけとしても読むことができるだろう。様々なところで著者の判断を示しながらも、それを読者にも考えてもらおうとする姿勢も感じる。」という点、まったく同感です。
それだけに読み飛ばすことができず、立ち止まり、立ち止まりして読んでいます。それでもこの本が、100年の後にも、多喜二の作品を読解する際の座右の一冊になるということだけは確信できます。
佐藤
2009/01/25 01:32
めいさんも、読み終わったのですね。
言葉はわかり易いけど、問うていることは本当に鋭いですね。

政治と文学、愛情の問題、犠牲についてなど、この間の論議を踏まえたうえでのノーマさんの見解と問いかけをおこなっていますね。
これらの点については、これからも検討が必要だと思います。

そのうえで、ノーマさんの人が生きるうえでの「人間として生きること」「人間関係」「社会・政治との関わり」という人間の「生」全体を捉えた視点からの読みに共感しました。

佐藤さんのいうように、「読み飛ばすことができず、立ち止まり、立ち止まりして読んでいます」ということが大切だと思います。
ノーマさんは、けっして自分の見解を「公式」にしようとするのではなく、「窮屈」な読みから解放しようとしています。

こういう議論は楽しいですね。
未来
2009/01/25 06:45

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