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zoom RSS 「居心地の悪さ」を共有する勇気

<<   作成日時 : 2008/11/24 10:35   >>

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画像 以前、島村先生のブログを読んで気になっていた『東アジア歴史認識論争のメタヒストリー』を購入しました。まだ読み始めたばかりなのですが、「韓日、連帯21」の試み、とあるように認識を共有することの重要性と、その困難性をも乗り越えようとする姿勢を感じ取っています。
 ただ単に「到達」の面だけを押し出すのではなく、現在の困難性にも率直にふれ、問題意識を深めようとする姿勢は、今後の展開への希望を感じさせます。

 正直驚いたのは、「居心地の悪さ」に直面するということ、と題した島村先生の論稿が前半にあることでした。自然的な存在ではない「国家」「国境」に対する認識と問題意識を表明したうえで、タイトルの言葉が展開されています。

 「居心地の悪さ」に直面することを通じて初めて、何が相互の理解を難しくしてきた問題なのか。何がこれまで真の「連帯」の可能性を妨げてきたのか、といったことが浮かび上がってくるといえるのではないでしょうか」
 「問題の複雑さを考えるなら、この「居心地の悪さ」に直面することは避けられない。むしろ、「居心地の悪さ」を一つの方法とする必要があるともいえるだろう。「日韓・韓日」の新しい共同的関係を構築するために、いったん「居心地の悪さ」を共有する勇気を持とう。」


 「日中・知の共同体」や孫歌氏、溝口雄三氏の論点などは、本書で読むのが初めてであり、それについて論じることはできませんが、それらの論点の中の「個別性」と「普遍性」をどう取扱うかなどの提起は興味深く読むことができます。そのうえで、「居心地の悪さ」を正面から据えた論は、「連帯」に向けた心構えとして興味深く読むことができます。

 なぜなら、私は長く労働組合に関わってきた中で、「共同」や「連帯」とは共通する課題を強調することにより、一方で相違点は脇に置く、という思考が「普通」になっています。もちろん、この点は大事だと思いますし、ここから出発しないと共同行動は難しくなります。
 しかし、そこからもう一歩進めようとする時には、「違い」が目に付き、「居心地の悪さ」を脇に置く習慣が知らす知らずのうちにできています。
 人間誰しも「居心地の悪さ」を避けたいと思うものです。でも、それを乗り越えなければならない場面というのもあります。そこに、「居心地の悪さ」は一方のものではなく、双方にあることを認識し、共有する勇気を持とうという提起はに鮮さを感じました。

 島村先生のこの提起は、私の活動範囲でのものとは違う「場」での提起かもしれませんが、共有するものはあると思います。もちろん、大きな隔たりがある場合には、そんなに簡単なことではないし、共通の土台がなければ機械的に考える必要はないでしょうが。
 しかし、共通の問題意識を持ちながら、「居心地の悪さ」にお互いに引いてしまっている「ところ」もあるのではないでしょうか。そんなことを考えながら、「居心地の悪さ」を共有する勇気、をインプットしておきたいと思います。

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内 容 ニックネーム/日時
あの面倒くさい本をご購読いただき、ありがとうございます。「面倒くさい」といいましたが、なにかに一歩踏み込もうとした、時にはそういう面倒くさい「居心地の悪さ」にしみじみ直面することがあるのが現実です。そのことに直面する勇気をもちたい、持つことも必要ではないか、というのが、「日中・知の共同」をやったときの問題意識でした。

そしてやったあとも、かならずしも実りある成果ばかりが得られたというわけではなかったのですが、にもかかわらず「居心地の悪さに直面する」ということへの勇気という点の大切さは否定できないことでした。「韓日・連帯21」を始めるにあたっても、そのことが念頭にあったため、あの報告をしたわけです。4年前のことです。

それから4年、以前自分のブログにも書いたように、こちらの運動も「実りある成果」ばかりではなかったのですが、やはりこのことは必要であると実感しています。
Prof. Shima
2008/11/24 22:18
具体的な行動を起こすという点では、相違点を留保して一致点で行動するということは原則として必要だと思います。しかしイデオロギーをぶつけ合う場である学者の討論では、それだけでは済まないことがあります。それを避けていては、大事な部分に触れることができないのです。

ただ、大切なことは、そうした意見の相違を討議の場に持ち出したからといって、その場を離れて別のところで議論の相手に反論したり、中傷を加えたりはせず、あくまで議論の場を共有することが、こうした討議に加わる者にはモラルとして求められるところでしょう。そこに「居心地の悪さに直面」しつつ、議論を続ける意味があると思います。

議論を続ける場がある限り、連帯の可能性はあります。議論を一方的に打ち切るとか避けるとかすれば、連帯の可能性は失われます。「連帯」ということばを、ことばだけのものにしないために、「居心地の悪さに直面する」機会にどう対処するかが、これからますますいろいすな場で問われてくるのではないか、と思います。
Prof. Shima
2008/11/24 22:25
好意的に書いていただいて、大変ありがとうございます。この本の裏側にはそうしたやや苦い体験の積み重ねがあるということを、一言打ち明けさせていただきましたが、「韓日、連帯21」の試みも、決してムダではなかったことは、この本がよく物語っているのではないでしょうか。この運動が発展的に継承されていくことを、関係者の一人としても心から願っています。
Prof Shima
2008/11/24 22:29
いや、詳しい事情ありがとうございます。
「連帯の可能性」を考え、それを追求しようとするとき、考えるべき点があると思いました。
とっいっても、そんなに簡単なものでもないとは思いますが、念頭にいれておく必要はあると思います。
未来
2008/11/25 05:33

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