未来の小林多喜二

アクセスカウンタ

help リーダーに追加 RSS 「蟹工船」、「読売」につづいて「朝日」にも、「朝ズバ」にも!

<<   作成日時 : 2008/05/13 21:03   >>

トラックバック 0 / コメント 8

 おー。今日家に帰ってきたらメールだけで25通。なんだこりゃー。みなさんからのメール読んで、島村先生のブログチェックしたら、おー、です。
 もうすでに多くの人も読んでいますので、二番煎じはやめて、本日は島村先生のブログを転載させていただきます。みなさん、島村先生のブログはご存知ですか。えー、知っていましたか。以下に転載します。写真は、島村先生同様です。

画像 中国の大地震はえらいことだと思いながら今朝、「朝日新聞」を開いたところ、なんと社会面に3段で「蟹工船」の記事が組まれていた。先日の「読売」に続いて朝日にも。「蟹工船」感想エッセーコンテストグランプリ受賞の山口さなえさんの取材などが記事になっている。

 今、若者にウケる「蟹工船」 貧困に負けぬ強さが魅力?
 http://www.asahi.com/culture/update/0513/TKY200805120295.html
 (写真も同記事から)

 続いてみのもんたの「朝ズバ」を見ていたら、朝刊各紙の紙面紹介のコーナーでこの記事が取り上げられた。大分前のことになるが、みのさんはかつて「思いっきりテレビ」の「きょうはなんの日」コーナーで、多喜二の特集を扱ったこともある。今日も単に「蟹工船」だけを採り上げるのではなく、虐殺された多喜二の最期の紹介もきちんとして、「こんな時代があったということを、しっかり記憶しておかなければならない」といっていた。

 いま湯浅誠さんの岩波新書『反貧困』を読んでいるが、現場のケースを通じて裏付けられる日本の貧困な有様は、もはやだれの目からも隠すことはできないところまできているということだろう。この本を読むと「自己責任」論の欺瞞、「貧困」の真の問題点がくっきり浮び上がってくる。つまり憲法25条の問題は、9条と直接にリンクするということ、戦争をしない、ということは、「生きさせろ」ということなのである。

設定テーマ

関連テーマ 一覧

月別リンク

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(8件)

内 容 ニックネーム/日時
興味がわきました。
明日本屋に行ってきます
へビィなダンボ
2008/05/13 22:15
ブログのご紹介と記事転載、ありがとうございます。このところぼくのブログのほうも、多喜二や「蟹工船」関連の記事が多くなりました。「ブーム」自体は一過性のものでしょう。しかし「ブーム」を生む根っこは間違いなくある。そこをどう捕まえるかだと思います。よろしくおねがいします。
Prof. Shima
2008/05/14 10:40
小林多喜二の恋J中津川俊六(1949・2婦人公論)
〔瀧子の自活〕
 瀧子が家出してから、約10日間はいつかすぎってしまった。小林は彼女の居所を探すために、毎日のように彼女の母親を訪ねては消息を探ったり、父が亡くなってからは、小林一家の面倒をみている義兄を相談相手にして、心当たりを歩き回ったりして、精も根も枯れ尽くした。
 だから、瀧子が花園町の小野病院で働いているのを付きとめる事ができ、18日の夜には、やっとのことで彼女と会い、2人で町を散歩しながら話し合ったのだけれど、直ぐにも彼女を自分の家に連れ戻そうと、今の今迄の張詰めた気力も足元から崩れて、それを言い出す術を知らなかった。
 しかし、それは彼女を探すための毎日の心労のせいばかりではない。この10日間は、たしかに彼に反省の時間を与えずには於かなかった。彼女の立場というものを、いやでも考えずにはいられなかった。
 二人の間に愛情さえあれば、何時までも一つ屋根の下で一緒に居られるものだ、という単純な愛の公式に囚われていた、自分が、今更の様に恥かしく思われてならなかったのだ。♪
akio
2008/05/14 17:25
へビィはダンボさん、「蟹工船」は入手できましたか?
習慣的に本屋があれば入ってしまい、ついでに「蟹工船」をおいてあるかチェックしてしまう習性が私にはありますが、ブームとはいえ、大手書店や一部の書店でドバっと積んであるか、一冊も置いてないかにわかれます。個々の書店員さんの采配に左右されるようです。まあ、なければ、むむ、けしからんと思ってしまいますが。(←もう、私ってば何様でしょう)
「蟹工船」と出合えますように。
ai
2008/05/14 17:28
うわ、akioさん、入力中でしたか。
私の書き込みが割り込んじゃいましたね。
おじゃましました〜。

島教授のブログ、さっき拝読しました。
今度は産経新聞に蟹工船記事とわ!
さすがに、腰が抜けました(汗)ビックリした〜。「ブームを生む根っこをどう捕らえるか」という含蓄ある一文の意味がわかりませんが、未来さんにはわかるんでしょうねぇ。
根っこ、雨水、窒素などいろいろありそうです。それが何にあたるのかを突き止めようとするのも楽しそうです。
ai
2008/05/14 17:37
 ありていに言えば、小林は瀧子に対して暴君で在ったと言える。世間に有り触れたような暴君の振る舞いは一度もしなかったが、無意識にしろ彼女の立場を無視して、一方的に自分の我を通そうとする態度が、彼女に強く反射し、それが今度の家出となったのであった。
 それでは、小林の我とは、一体なんであったろう。一口に云うと、文学への情熱と云うより他ない。文学のためには、他を顧みず、如何なるものをも犠牲にしてやまぬ気力、それが小林の我であった。
 小林は同人雑誌「クラルテ」をはじめ、他の雑誌にも、この三、四年の間に20篇に近い小説を書いていたが、のれんに腕押しのような、虚空を掴む様な、はかなさ、頼りなさが、己の文学に自信を失ったのではない。自信のある作品が世間に認められないもどかしさが、作品を書く度に強まっていくのであった。♪
akio
2008/05/14 17:39
♪もっともこの地方の文学仲間からは、彼の文学的力量は十分に認められていたし、やや常識的で、自然主義的で、大正末期の文壇的文学からみれば、古めかしい衣を脱げ切れずにはいたけれども、的確なテーマの把握とそれにふさわしい強靭な手法とは、一部の人々から彼の文学的な将来を約束させられていた。 
 しかし、それくらいの反応で、彼の文学的情熱が満足される筈がなかったのは云うまでもない。
 世の常の文学青年の様に、彼もまた作家志望を捨てる事が出来なかった。
 そのころ、彼は作家の新井紀一へ、東京の就職口を頼んでいた。(札幌拓銀本店の課長にも。)
 東京へ出て、みっちり文学勉強をやるためというよりも、作家を志して地方に踏み止まっている愚かさから、一時も早く身をかわして脱けようとしたからであった。(次回:瀧子に求愛出来ない多喜二)    注:瀧子の家出=1926・11・11
注:「評論『シエクスピアよりも先ずマルクスを』を発表し(浅野十二氏)と小樽新聞紙上で論争をしている時期です」
akio
2008/05/14 18:01
※多喜二が瀧子に贈った「石川啄木」詩64首。
(1926・2・15:田口瀧子あてラブレーター)
○『啄木研究』=甲東牧人著=1938年1月号から引用
4:何処やらに沢山の人が争いて
  国引くごとし
  われも引きたし
5:とある日に
  酒をのみたくてならぬごとく
  今日われ切に金を欲りせり
6: 目の前の菓子皿などを
  かりかりと噛みてみたくなりぬ
  もどかしきかな
7:こころよく
  我にはたらく仕事あれ
  それをし仕遂げて死なむと思ふ
8:よごれたる足袋穿く時の
  気味わるき思ひに似たる
  思出もあり
9:東海の小島の磯の白砂に
  われ泣きぬれて
  蟹とたはむる
10:頬につたふ
  なみだのごはず
  一握の砂を示しし人を忘れず   
akio
2008/05/14 18:23

コメントする help

ニックネーム
本 文