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akioさんから「小林多喜二の恋」Gが書き込まれました。以下に紹介します。 小林多喜二の恋G 中津川俊六著(1949・2婦人公論) ♪最も、母は女だけに、瀧子を家に入れることを、何べんも考え直したに違いない。『多喜二はどうして世間から白首(ゴケ)とか淫売婦とかと蔑まされるような 商売女に気持が動いたのであろう。』子の親として、狂気の沙汰とより受取れなかったから、母の心痛も想像のほかであったに違いない。 しかし、母は、一応はそう思いながらも、小林をどこまでも信じて疑わないものを心の底に持っているのであった。 その心の底を割って見れば、今迄24年の間、親の眼からみて、これという間違いらしい間違いを起こしたことが無かったのだ。(注1) 注1:『女性革命家=苅田アサノ』さんが、治安維持法で検挙されたとき、「家中の人が『アサノのしていることだから間違ったことはしていない』と思ったそうです。」そしてアサノさんの母親は、獄中に月の決まった日に『洗濯』をしに面会に行ったそうです。♪ ♪今度のことも、多喜二はきっと正しいと考えてやった事に違いあるまい。それがどういうふうに正しいのか、胸にはっきりと呑み込めないながらも『家に引き取ってやれよ、』と、母は何気なくそういって、奥沢から瀧子を自分の傍に呼び寄せるだけの勇気を持つ事が出来た。 ところが、実際一緒になって見ると小林の母は、瀧子が心から気に入ってしまった。顔やかたちが美しいばかりではない、内気で従順な、それでいて、しゃんとした強い意志を何処かに隠しているような彼女。 商売女が誰でも持っている、あの一種特別な性格崩れというものが、世間を永く渡ってきた母の眼にも、それと映らなかった。 だが、多喜二の嫁というよりも、自分の傍から離したくない、つまり自分の娘にでもしたいような切実な気持を母に抱かせたのは。瀧子の非情と思われる境遇のせいではなかったろうか。♪ ♪瀧子の一家は、もと高島という小樽市外の海岸町にあって、長女の瀧子が小学校を出る頃まで其処に住んでいたが、父親はどういう事情かはっきりしないけれど、鉄道自殺をして家庭に宿命的な暗い影を投げてしまった。 やがて、取り残された母親と瀧子と妹の「美津子」は、小樽の稲穂町に移って第二の父を迎えたのであるが、義父はこれという一定の職業を持たない、いわば市井無頼(ナラズモノ)の徒で、瀧子の「からだ」を『やまき屋』に売るような男であった。 だから、彼女が売られたのは、貧乏のせいばかりではなく、理不尽な義父の振る舞いがたったからで、たとえ彼女が『やまき屋』から自由になっても、家に帰れば、又もや義父の毒牙にかかって、第二の『やまき屋』に売られるのは必定の運命だった。 小林の母が、何としても彼女を自分の傍から離したがらないのも無理ではなかった。♪ (続く=次回:瀧子と同居です。) この頃の年譜を振り返って見ると。 1925(T14)12月:多喜二は「身請け金500円」を最初は「英語教師をしていた友人の『あいつは金持っていると:蒔田栄一』に借りに行きますが『だめ!!』、そして同じく友人の島田正策に頼み込みます『ほらボーナス貸すよと言って200円』借りました。足りない分は自分の『拓銀=ボーナスを』足して「瀧ちゃん」を身請けします。(瀧子は:実家の長橋町に) 1926年2月:奥沢に「囲う」(1926・1・13瀧子宛書簡) 1926年4月:母にさとされ「小林家」に迎い入れる。 |
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