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5月17日京都駅に午前8時53分に到着した一行のうち、中野重治と小林多喜二は京都大学に、他の一行は午後6時まで何処でどのように過ごしたのだろうか。この時間の空白を誰が記した人がいるのだろうか。 それはさておき、京都の講演会場は、手塚英孝『小林多喜二』では「三条の青年会館」、 江口渙『たたかいの作家同盟記』・笹本寅『文壇郷土誌−プロ文学篇』では「三条の青年館」となっている。この三条の「青年会館」について、特定した文書はないが誰か調査したのだろうか。藤田廣登さんの『小林多喜二とその盟友たち』にはいずれも「青年会館」と記されていることから自明のこととして通り過ぎているのだろうか。 この「多喜二と大阪・関西メモ」は、それらのことについても詳細に知りたい人のためにも「青年会館」について記しておきたい。 「青年会館」については、『戦旗』1930年7月号の永田春夫感想文の中に「三条の青年会館には山宣の血潮と、憤怒の涙が今尚残って居るぞ」という記事がある。この記事から「青年会館」を推定することができる。 それは、第三高等学校YMCA基督教青年会館。 大正13年4月に開校した京都労働学校。賀川豊彦・河上肇を顧問として設立され、校長は山本宣治だった。その会場が、三条基督教青年会館だった。まさに「山宣の血潮と、憤怒の涙が今尚残って居る」会館である。 写真を探したが、以下のサイトでしか見つからなかった。著作権があるため、以下をクリックして見ていただきたい。ここには(チャペル)1937年取り壊しとあるが・・・。 http://www.rakutai.jp/etc/yamashiro/file/050.html こんな写真を見つけました。 http://www.kyobunka.or.jp/seiyou/taisyo.html http://gipsymania.exblog.jp/8033034/ ところで、山本宣治は大阪労働学校の講師、神戸労働学校の講師もしていました。京都、大阪、神戸と巡回した多喜二らの足跡は山本宣治の活動舞台とダブッてきます。神戸青年会館について山宣から辿れないかと調べましたが、神戸労働学校の会場は兵庫教会とありました。 次回は三条会館のエピソードをすでに記されたものから紹介する予定。 |
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佐々木敏二『山本宣治』下に、日本フェビアン協会との関わりなどをはじめ何度も「神戸基督教青年会館」が出てきます。多喜二一行が行った同一の会場と考えられますね。 |
未来 2008/02/24 10:17 |
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