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zoom RSS 長崎西端の神秘的(?)な島のこと

<<   作成日時 : 2007/09/09 08:34   >>

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 「長崎県の平戸島から更に西の海中に周囲約8里程の細長い孤島がある。そこが本邦の最西端にある生月島である。
 私はそこに未だに奇怪な伝承と潜伏をひそかにつづけている古切支丹宗徒の数群が残存している事実を知り、・・・、過去のヴェールに包まれたこの島もようやく世間の明るみに出されつつある。とにかく、まがりなりにもかほど整然たる組織を持ちつづけて残存した潜伏信仰宗団の例は、全世界にも誠にめずらしいのであって、その歪曲ぶりは、どんなしっかりした宗教でもその指導を経たれて潜伏した場合どうなるかという、テストケースとしても興味があり、その実験を再びするためには実に数百年の時間を要するのである」(切支丹風土記九州編/宝文館/1960年)

 私は縁あって、この長崎・生月島の歴史をボチボチ(本当にボチボチ)調べているのですが、まとまった本としては元町長がまとめた「生月史稿」しかなく、まだまだ解明されていないことがある不思議な島です。
 フランシスコ・ザビエルの時代から長い迫害に耐えて受け継がれた隠れキリシタンの信仰、江戸時代に日本最大の捕鯨量・規模で栄えた益冨捕鯨など、日本の最西端の小さな小さな島がどうしてこのような歴史を持つのか、興味深いものがあります。
 しかし、言伝え的なものが多く、その真相解明は不十分だし、捕鯨の研究書に益富捕鯨のことが書かれていますが、高価で購入するのに躊躇するものが多いため、私の興味を満足させてくれる良書に出会うことはありません。

 ここ数年の間にも、時々この生月島の隠れキリシタンのことがテレビや書籍で取り上げられることがありますが、神秘的なヴェールをわざと施した眉唾的なものも多く、嫌になることもあります。
 冒頭に取り上げた『切支丹風土記九州編』は、最近古本市で見つけ本日読んだのですが、このような紹介をされれば「世にも不思議な」島にされてしまうでしょう。私がこの地で産声をあげた年に出版された本ですが、あまりにも島全体の風土を誤解される部分があります。
 ただ、この本には現在伝承されている「隠れキリシタン」の実態は、「御納戸の神様」を祀る独自の形態であると示しています。「聖フランシスコ・ザビリヨ様から直伝の正統的カトリック」を誇称しながら、現在島にあるカトリック教会に足を運ぶこともなく、一方で仏壇を持ち神棚を祀る独特の宗教であるとの指摘は的確な表現であるかもしれません。

 ところが、その信徒数の記述になるととんでもない数が記されているから驚きです。全人口1万1千人中「大体5割乃至6割が古切支丹総数であろう」と記されています。冒頭に引用した文を再び見てください。そこには「古切支丹宗徒の数群が残存している」と記されています。それが「大体5割乃至6割が古切支丹総数」となるのだから、困ったものです。
 さらには、この「生月の切支丹」の前に「平戸の切支丹」という稿があるのですが、そこでは驚くなかれ、「生月島では現在(昭和34年6月調査)カトリックの数はわずかに407名であるのに反し、納戸神を信ずる旧切支丹の数は約1万人といわれている」などと記されています。

 あ〜あ、またとんでもない本にお金を使ってしまいました。これだから高価な本を買うのを躊躇してしまうのです。(この本は高価でなかったから購入した)とんでもない無責任な内容が書かれた本がどれほど流通していることか。まあ、生月島の項を読む人は少ないでしょうが。

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コメント(6件)

内 容 ニックネーム/日時
「古切支丹宗徒」の興味深いお話のご紹介、ありがとうございます。
キリシタンの抵抗として強く印象付けられているのが島原の乱――。
江戸時代初期に起こった日本の歴史上最も大規模な一揆による反乱であり、幕末の動乱に至るまでの最後の本格的な内戦でもありました。
 火あぶりにしても、踏み絵をさせても信仰を捨てず、自らの信じる道を歩む人々の群れ――。
 この「妖怪」が、徳川政権をどれほど戦慄させたを想像します。

 ある本によると、近代天皇制のシステムには、このキリシタン信仰の「力」をとりこんで、(狂信的に)システム化させたものだといいます。
 そうした宗教と政治が一体となった排外的帝国制度―第日本帝國が、もう一方のキリシタンの火を継ぐ者としてのマルキスト(蔵原惟人の一家もまたキリシタンであり、小林多喜二の一家もキリシタンと深い関係がある)と争闘した関係となったことは私には興味深いことだと思えます。

9月9日9時の、九条を守る運動の一つとしてコメントさせていただきました。未来さん、ご協力ありがとうございます。

takahashi
2007/09/09 08:59
「生月島の隠れキリシタン」でGoogle検索をすると、じつに興味深い記事がいくつも出てきます。この島で歌われている「隠れキリシタンのオラショ」は2種類のCDが出ているのですが、実はぼくは所蔵しておりますよ^^。

↓Amazon.co.jpのページから↓
http://www.amazon.co.jp/長崎・生月島のオラショ-宗教音楽/dp/B00005S09V

http://www.amazon.co.jp/生月壱部-かくれキリシタンのゴショウ-おらしょ/dp/B00005HTJ8/ref=pd_bxgy_m_text_b/250-3512381-9205836
Prof. Shima
2007/09/09 11:22
この「オラショ」の言葉は、唱える地元の人たちでも意味がわからない「呪文」のようになっているとのことですが、そうした「呪文」のようなことばにも、ことば本来の持っている重要な機能がありそうです。

芥川賞を受賞した「アサッテの人」で頻出する、文脈を離れて一般的には意味不明のことばなどについても考えさせてくれます。そしてそれは多喜二の小説に出てくる「過剰な比喩」や独特のオノマトペの果たしている役割を理解するヒントにもなるのではないでしょうか。
Prof. Shima
2007/09/09 11:23
takahashiさん、どうもです。

島村先生、まさかオラショのCDを持っているとは、参りました。「アサッテの人」は読んでいないのですが、読む価値ありますか。
未来
2007/09/09 20:54
興味深いですね。。日本最西端の島に潜伏し、独自の形態に進化した(?)キリスト教。「オラショ」とは、歌のようなものなのでしょうか?それにしても、キリスト教は、どのようにして、日本の土壌に根付くことができたのでしょう??調べてみたいものです。takahashiさまの書かれたように、踏み絵や火あぶりという恐ろしい迫害のなかでも信仰を捨てさせなかったキリスト教は、長崎のひとたちにとって、どういう風に受け入れられたのか知りたいです。時代の違いはありますが、中野重治の「村の家」を読むと、輸入されてきた思想はなかなか日本の土壌に根付きづらい、レーニンをもってしても天皇ほどの魅力を民衆に感じさせることはできないということが書かれてあるので、キリスト教が、知識人ではない庶民のなかに、深い信仰者を獲得できたのはなぜかなと思うのです。
めい
2007/09/10 11:38
 現世の苦難と宗教は時々結びつきますね。宗教は「救い」を求めて受け入れられる側面と、支配者に利用される側面と極端な側面を持っています。
 近代の天皇は後者。そもそも戦前天皇を見た人はほとんどいず、ましてや話もすることもない人が「魅力」的などというのは、虚像いがいのなにものでもないでしょう。
未来
2007/09/11 05:53

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