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zoom RSS 読書における能動性

<<   作成日時 : 2006/02/09 21:06   >>

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 私にとって読書にはふたつの読み方がある。一つは、最初から何かを見つけたくて読む場合。もうひとつは、面白そうだとか、これを勉強してみようかと狙いをさだめて読む場合。いままで深く考えたことはなかったが、ここに表れた能動的と受動的の意識の違いは、結果において大きな影響をもっているようだ。

 前者の場合、読み取ろうとする内容が明確であるから、その本が私の求めるものに答えてくれているかどうかが評価の基準となってくる。能動的に読むから、私の求めたものがあった場合、そのエキスを最大限に読み取ることができる。そして、新たな発見があったとき、その喜びは倍増する。
 しかし、求めるものがなかったとき、その落胆は大きい。何か大切な視点があっても見落としていることがあるのかもしれないが、それに気がつかないときがあるかもしれない。ずいぶん経ってから、ああ読み落としていたと気づくことがあるから、ここは気をつけなくてはならない。

 後者の場合、著者の視点から読む。これはこれで大切かもしれない。しかし、受動的というものは忍耐を要する。ここに心の隙があらわれる。それが、ゆるみとなり、大切な視点を読み落とす原因ともなる。ここが難しい。

 常に能動的な立場をもつことが大切だと思うが、これを持続することは難しい。それでも、能動的な視点を持ち続けることが、読書にとって必要なことだと思う。一見受動的に見えても、そこには能動性をもっているものである。そうでなければ、本を読むという意思が働くことを説明できないだろう。
 であれば、文学をはじめとして本を読むということは、強弱は別として能動的な意思が働いているのだろう。その強弱の差が大きいところに難しさがあるのだろうか。一度、そんなことも突き詰めて考えてみたい。

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