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zoom RSS 『愛と平和の文学教育 ブレヒトとチャップリンに魅せられて』/島崎嗣生

<<   作成日時 : 2005/09/18 09:54   >>

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 本書はクリスチャンで高校英語教師が、文学作品から人間と社会の関係、そして人はどう生きるかを問うている。
 クリスチャンに興味もなければ、英語教育の実践がどうあるべきか、などのテーマには興味はないが、本書で分析されている「人間」と「どう生きるか」のテーマには共感を持って読むことができた。

 ブレヒトの『ガリレイの生涯』、灰谷健次郎の『兎の眼』と『太陽の子』、チャップリン論。この三つをテーマにし、どの論稿も熱い思いがこもっていて、引き込まれるように読んでしまう。

 ガリレイ裁判で、ガリレイは地動説をなぜ撤回したのか?ガリレイのこの行動が科学の進歩にどのような後退をもたらしたのか?真実の追求と支配者の弾圧とはどのような関係にあるのか?その本質を見事に捉えていると感じた。

 灰谷健次郎の『兎の眼』は感動するのに、『太陽の子』には裏切られたという話が多い。著者もそうだという。
 なぜ、こうした感想が起こるのか?『兎の眼』の主人公はどこにもいそうな人、一方『太陽の子』の主人公はどこを探しても現実には存在しない立派な人、ここに大きな違いがある。

 『太陽の子』は、「作者の主張や、教訓的な言い方が沢山でてきて、それがやっぱり『つまらなさの一因』」と分析。私も同感である。それは『天の瞳』の後半がだんだんつまらなくなってきている原因とも一致している。

 ただ作者は、灰谷健次郎論を「つまらなさ」だけで分析していない。作者は、灰谷健次郎は立派な主人公を「はじめからそういう存在として描いた」と分析し、いろいろなことが『太陽の子』として「発展する芽としては十分あった」と分析する。
 たしかに、逆転の発想的作品だと言えばそうかもしれない。しかし、灰谷健次郎の最近の作品がどれもこれも『太陽の子』的作品になっていることに私の不満である・・・。

 さて、作者が最も力を入れて描いているのがチャップリン論である。『愛と平和の文学教育』という題名もここから決められたと思う。
 チャップリンが人の愛情を社会の関係から描き、平和への思いを全力をあげて追求した人生には多くの人が共感する。

 作者は、その「生き方」を高校生にも知って欲しい、考えて欲しい、そのように生きて欲しい、と願っている。そのため、時には生徒と衝突し、授業を思うままに展開することができない。
 チャップリンの「生き方」は、政治と無関係ではいられないし、支配的な政治に断固抗議した姿勢などに、すべての人が共感しないのかも知れない。
 無党派という言葉があらわれ、政治的無関心層も増えている。しかし、政治と無関係で人は生きていけるのであろうか。けっして生きることはできない。作者は、自身の体験も描きながら、この問題を避けることなく高校生と格闘している。

2004-05-22

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